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慢性的な、自己不安

はじめに

下記に綴るのは自分のどろどろした部分です(所謂、自分語りです)。

自分の心情を整理するために、そして、客観的に見るために吐き出したものですので、

もしかしたら、ご不快な思いをさせてしまうかもしれません。

お早めに、違う記事を見ることをお勧めいたします。


言葉のアクセサリー


最近、流行りのことばのように飛び交っている
「ADHD」や「ASD」など。

本当に本当に苦しんでいる方がいらっしゃることは重々承知の上で、
これらが一種のアクセサリーとなっていることは言うまでもないでしょう。

「忘れ物多すぎ;;ごめんわたしADHDっぽいんだよね;;」みたいに…

「変わっている(特別な)自分」を、見ている人に知ってもらいたいのか…

もしくは、

(聞いたところによれば、"それ"をもつ方々が天才的な一面も持つこともあるようなので、)
自分がその天才性を持っているかもしれない!ということを我々に向けて暗にアピールしているのか…

どうしてかは分からないけれど…。

私も昔は

私自身も、よく昔から「変わっている」だの「変」だの、言われてきて
思春期当時は、そんな自分が「他の人と違って特別なんだ✨」とか思ったりしたこともありました。

そして「変わっている自分」を人に自分を押し付けたり、人を遠慮なく傷つけたり…。
今思えば、本当に、幼かったなと恥ずかしくなります。

「変」や「変わっている」など、自分を纏う言葉がそれこそアクセサリーのように
きらきら輝いているように思えて、当時は誇らしかったけれど

社会的に大人になった今、
そのアクセサリーがどんどん重たくなっているのを感じます。

ふとした一言で場を変な空気にしたり
相手が本意としていることが分からなかったり
その場の正解が分からなくなって何も言えなくなったり
逆に空回って他の方にフォローしてもらったり

他にも、衣食住や表情、手の動かし方、姿勢など。

きらきらだったアクセサリーが、
今は重たい鎖になって、

しかもそれは嫌なところに絡みついていて、
私を、きつく、きつく、縛ります。

生きづらさ

今思えば、私は、人間関係において、

友達のつくり方、異性との接し方、
年上や立場の偉い人、凄い人への接し方、後輩への接し方…
笑うタイミングや相槌を打つタイミング、

それぞれ失敗や成功を学習して、その場その場で「成功した接し方」を繰り返し使っているように思えます。

そして失敗したらまた「成功した接し方」を探るみたいな。

イメージとしては、ジグソーパズルをのりでぺたぺた貼っている感じ。

"普通"に見える方は「このピースはここに合いそうだな」というものを連想して、
予め準備して、
スペースを埋めることができているように見えます。
(もしかしたら学習して"普通"に見せている人もいるかもしれないけれど。)

私は、はめたピースとはめたピースの間に必要なものが分からないから、
その場その場で、合いそうなものを合わせてみて...というのを繰り返している感じです。

そして、のりで最初から貼ろうとするので
だめだったらダメージがでかい、という…(笑)
べたべたするし、裏地がはがれて見えなくなるし。

だから人よりもピースを埋めるのに時間がかかるし、
多方にご迷惑を掛けます。

そのせいか、軸が他人にあるというか…
「正しい」とか「普通」に自信がないので、
お話している相手の「正しい」をずっと探っている感じです。
(そのため恐らく、自分がいる環境次第で社会的に「正しくないこと」もしてしまう気がしています。その環境が「正しい」であれば。)

自己不安


どうもここ数年、そんな自己不安が絶えません。

自分に違和感を感じるたびに、
周りが凄いと思うたびに、
自分が"普通"の枠の外にいる気がしてならないのです。

※もしかして例の「ADHD」や「ASD」などを持っているのかな?
と思って、インターネットのそれらしい診断や記事を読んでも、いまいち当てはまらず…

当てはまる項目もあるけれど、本当に苦しんでいる方と比べると私なんか全然そんなことないな、と思い直したり。

自分の「変」をどこに片付けていいのか、分からないんです。
(さっさと医療機関に行って診断すればいいのにと思った方、申し訳ございません。私もそう思います。)

自分に纏わりついた重い鎖の金属の匂いを吸い込むたびに
心臓のあたりに黒い靄がかかる感覚に陥ります。

吸い込み過ぎて、気持ちが悪くなったときは
自分が靄で見えなくなって、何も考えられなくなって、
集中できなくなって
不安で不安で涙が止まらなくなります。

それがここ数年、ずっと続いているんです。


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