萩原聖人とチーム雷電の魅力

今回は萩原聖人さんとチーム雷電について私の個人的な想いと、そこから展開して「競技としてのガチさ」と「エンタメとしての魅せ方」のバランスや兼ね合いの理想について書いたものです。

最初にはっきり書いておきますが、萩原聖人さんの麻雀は私の「好み」ではありません。麻雀観が違うと言っても良いでしょう。

こちらのインタビューなどでも語られる通り、萩原選手はいわゆる「魅せる麻雀」という考え方を大切にしています。

数年前の私は、この「魅せる麻雀」というフレーズが大嫌いでした。今はいろいろと思うところがあり、このフレーズはとても重要であると考えるようになりました。このような表現が作り出す価値について気付いた、と言ってもいいかもしれません。

人々は何に魅せられるのか

まずはなぜかつての私が「魅せる麻雀」が嫌いだったのかお話しましょう。

最大の理由は「魅せる」の定義が不明瞭なことです。
どんなプレイに魅せられるかは、視聴者ひとりひとり違うはずです。もちろん萩原選手のプレイに魅せられる人もいれば、そうでない人もいる。

一般的に魅せる麻雀というのは、期待値的に損であっても、手役を作ったりして派手なアガリを狙うような選択を指して言われることが多いと思いますが、わざわざ期待値の低い選択をして「君たちはこれがおもしろいんでしょ?」って言うのって視聴者馬鹿にしてないか? と昔の私は考えていました。
(したがって、まったく同じ打牌をしていても魅せる麻雀などというフレーズを使わずに「これが勝つために最適だと思った」と言うなら納得できました。ようは魅せる麻雀というフレーズを言い訳にすんなよ、ってことです。)

少なくとも私は、様々な状況において多くの引き出しを使いこなして期待値を追求する選択に魅せられるので、萩原選手の麻雀よりも園田選手の麻雀の方が「おもしろい」と感じます(この点は今も変わっていません)。

実際に人気はある

けれど、事実として萩原選手は人気があります。

単に俳優としての知名度があるから、というだけでなく、萩原選手の麻雀であったり「魅せる麻雀」という考え方を評価する意見もTwitterなどでよく目にします。

実際にMリーグをきっかけに麻雀を始めた人で、そのような評価をしている人とお会いしたこともあります。

何か統計的な数字があるわけではありませんが、「あの考えは間違っている、くだらない」と切り捨てるべきではないと考えられるくらいの支持を集めているのは間違いないでしょう。

自分はYouTuberとして、「麻雀をより多くの人に消費してもらう」ことを生業としていますから、この自分と市場の価値観の違い、というのは分析しておく必要があると考えました。「なぜ萩原選手は人気があるのだろう」「萩原選手は素晴らしい!と感じる人と自分の違いはどこにあるのか」という点を言語化しておくことが、クリエイターとしての自分にとってプラスになると考えたのです。

高い手はライトユーザーを引き付けるのか?

魅せる麻雀がどんな麻雀を指すか厳密な定義があるわけではありませんが、一般的には手役を作って派手なアガリをする、という文脈が含まれていることが多いと思います。

そこで「鳴いて1000点や2000点をアガるよりも、タンピン三色みたいな手を作る方が派手だからライトユーザーからするとわかりやすく、おもしろいと感じられるのではないか」という仮説が思い浮かびます。

確かに、押し引きや読みにおける高度な判断の「すごさ」は視聴者側の雀力が高くなければ理解できませんが、役がたくさんついていて高い手をアガれた、というのはルールを理解している人ならばわかります。ルールを理解していなくても、画面に映る数字の動きや実況の方のテンションなどからある程度はわかるかもしれません。

もしくは牌効率通りに手をすすめて即リーチ、という麻雀はある程度の雀力があればそこらへんのおじさんでもできるのだから、オリジナリティのある手順に人は魅せられるのだ、という考えもあるかもしれません。

魅せる麻雀の価値をこのようなところに見出している人は多いと思いますし、自分も最初はそう思っていました。

しかし、

・高い手を作る
・牌効率通りの一般的な手順ではなくオリジナリティのある手順を踏む

ことを「魅せる麻雀」である、と定義するのであれば近藤誠一選手こそがその代表格となるべきではないか、という疑問が生まれます。

近藤誠一は「魅せる麻雀」なのか?

Mリーグを見ていると近藤選手の手順に驚かされることは多くあります。

それ鳴かないの?
そこのターツ払っちゃうの?

みたいな選択から、しっかりハネマンをアガリきるというのを何度も何度も見せられました。

「オリジナリティのある手順で高い手をアガる」という意味では近藤選手の右に出る人間はいないのでは? とすら思います。

少しでも客観的に考えるために2019年シーズンのデータを見てみましょう。

近藤選手 
平均打点 8230点
アガリ率 19.51%
副露率  13.59%
リーチ率 20.91%
平均順位 2.09

萩原選手 
平均打点 6165
アガリ率 19.02%
副露率  12.97%
リーチ率 25.65%
平均順位 2.65

となっています。
誤解が無いよう一応書いておきますが、私はこの程度の試合数で「どちらの選手の麻雀がより優れているか」といったことを語るつもりは全くありません。

あくまで上記の魅せる麻雀に関する仮説と照らし合わせて「ライトユーザ層にどのような印象を与えるか」という視点で考えています。印象というのは結果によって与えられるものですから、わずかな試合の結果論であっても問題はありません。

その上でこの数字を見てみると、「二人は同じくらいメンゼン主義であり」「同じくらいの割合でアガっていて」「近藤選手の方が高打点の手をアガる割合が高く」「結果的に成績(平均順位)も良い」ということがわかります。

もしも「高い手を狙うスタイルがわかりやすくてかっこいい」というのが魅せる麻雀の定義であり、それ故に萩原選手の人気が高いのだとすれば、同様の理由でそれ以上の評価を近藤選手もされていなければおかしいことになります。

「近藤選手の麻雀って高い手ばんばんアガるしわかりやすくて楽しい!」ってなるはずな気がするけれど、少なくとも自分の知る範囲ではそういう評価にはなってない。

むしろ近藤選手は玄人好みというか、それなりに競技麻雀を見慣れている人からの評価が高い印象です。

少なくとも、近藤選手と萩原選手を同じカテゴリーで評価されているのを聞いたことがありません。

近藤選手が一般的に「魅せる麻雀の代表格」とは認識されていないということは、「オリジナリティある手順で高い手をアガるのが魅せる麻雀であり、それはライトユーザにもわかりやすく人気の出やすい打ち方である」とは言えないことになります。少なくとも、それだけではない、はずです。

というわけで、ここから私が考える「萩原選手の真の魅力」についての解説です。

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