見出し画像

【噛んで砕こう】ビールの歴史#3「中世のビール②」

どうも!
水島ひらいちの涼です!

前回はこちら。

今回は修道院とビールの関わりについてお話します。
前回の記事でもフランク王国で発令されてた荘園令には修道院もビール醸造設備を持つことが定められていると書きましたね。

中世ヨーロッパでは教会や修道院が領地の寄進を受けて権力を高めていくパターンが多々見受けられました。
その当時、キリスト教の中では『ワイン=キリストの血』『パン=キリストの肉』という考えがあり、ビールも「液体のパン」と呼ばれるだけあって重宝されていました。
荘園令もあり、修道士によるビールづくりが盛んに行われていたんです。

当時の水は衛生的に飲めたものではありませんでした。なので、修道院は巡礼者など多くの人々に水に代わる安全な飲み物としてビールを提供していました。その大量のビールの需要に対応する為、ビール醸造設備を整えていきました。

ここで当時ビール作りにおいて有名だった修道院を紹介します。

○ザンクト・ガレン修道院
スイスの修道院ですが、9世紀にはヨーロッパ最大規模を誇っていました。
麦の発芽、麦芽の乾燥、仕込、発酵、冷却などの工程ごとに部屋を分けるといった現在に近い工場の設計図が残されています。

○ヴァイエンシュテファン醸造所
これはドイツのミュンヘン郊外にある修道院に創立されたビール醸造所です。
現存する世界最古のビール醸造所とされており、現在もバイエルン州が保有してビールを醸造しています。
修道院の建物自体は現在ミュンヘン工科大学ビール醸造学部となっています。

ちなみにトラピスト会の作るビールはトラピストビールとされており、当時修道院の外で飲むことが出来ませんでした。

詳しくはこちら。


中世の時代も後半になってくると自給自足型から市場や商人を核にした都市が誕生してきます。
荘園制度の時代、ビール醸造は領主や修道院の特権でしたが12世紀には都市にも与えられ、そこから新たなビール醸造業者が生まれていきました。
業者同士では競争回避の為に同業者組合をつくり、生産量や価格ラインを調整しながらうまくやっていましたが、修道院もビールの販売に乗り出した為業者との間でしばしば紛争が起こっていたようです。

ビールを語る上で修道院が欠かせないとは思ってもみなかったですね。
中世の歴史はもうちょっと続きますので、今しばらくお付き合い願います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?