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思ってもいなかった息子家族との同居!

去年の暮れのこと。
海外に住む息子から電話があった。
あのさ、日本に帰ろうと思うんだけど、おかぁの所に行っても良いかな?
ん???
この子はもう日本に帰ってくることはないだろうと思っていたので、意外な言葉に正直驚いた。
だが、ダメと言う気は全く無く、この家は、義父と主人が残してくれた家であって、子供が帰ってくるなら喜んで!という気持ちで、良いよと返事をした。
息子は特に我が家でなくても良かったけど、独り暮らしの私に、孫と一緒に住む幸せを味わわせてくれたい気持ちもあって、そう言ってくれたのかなと今は思う。

それから自分なりに片付けをして迎え入れたのだったが、
いざ、息子家族が来て、一緒に暮らし始めてみると、自分なりの片付けなんて意味がないと思い知らされた。

息子夫婦と孫3人の女の子の荷物を納めるためには、家中の押入れ、物入れを全て空けなければならなかった。

その為、息子夫婦が要らないだろうと思うものはみんなゴミとなり、私達が結婚祝いに頂いた思い出の物や、自分では捨てきれない思いのこもった物もドンドンと外に運び出され、何回も車に積んでお金を払って捨てに行った。
 
家の中の様子もすっかり変わった。
食堂と縁側の間の和室は、冬はこたつに入ってのんびりしたり、夏は緑のカーテンを通り越してくる風を感じて昼寝をしたり、物を置かない伸びやかな空間だった。
その和室も押し入れが改造され、子どもたちの為の便利な物入れに変わり、ソファが置かれ、テレビゲームをしたり、絵を描いたりする子どもたちのための空間に変わった。
縁側のお気に入りの椅子もいつも誰かが座っていて、自分の家であって自分の家でない感じになって、居場所がなくなってしまった。

自分の部屋があるから良いものの、自分の部屋以外は落ち着ける場所ではなくなってしまった。

空間だけではなく、私の生活もすっかり変わってしまった。

主人が亡くなった後、最期まで一人で暮らす事を覚悟して、その為にいろいろと勉強して、準備をしてきていた。
持ち物を自分の使い勝手の良いものにしたり、何よりも自分が暮らしやすいように整えてきた。

畑で野菜を育て、それを好きなように料理に使ってきた。
台所仕事は大好きで、気の向くままに何かを作るのが好きだった。
台所は、私の一番好きな場所だった。

一緒に暮らし始めて、私はその楽しみを、心の隅に追いやった。
私の作るものが子供たちの口に合わない事が分かったので。
子供にはお母さんの味が一番で、台所に二人の主婦は要らないと思ったので、潔く身を引いた。

というわけで、半年が過ぎた。

腹が立ったりギクシャクしたり大人の中ではいろいろあっても、子ども達には関係のないこと。
何よりも子どもたちが安心して暮らせることを、私なりに、一番大事にしてきたつもりだ。
子ども達は、子供達なりに、日本の学校、生活に慣れるように気を使い、頭を使ってきていたんだと思う。
私は、自分の家に迎え入れた側だけど、息子の連れ合いは、慣れない土地で義母との生活が始まったわけで、それは大変だったと思う。
私だけでなく、みんながそれぞれ頑張ってきて今がある事をしみじみ思う。

まとまりのない文になってしまったけど、
この半年に私に起こったことを大まかに話しておきたいと思いました。

多分、息子も、こんなはずではなかったと後悔することもあったと思うし、
俺が真ん中に入ってうまくさばいてやるとも思っていたようだけど、それも、経験のないことで、思うようにいかなくて、
めちゃ、めんどくせーと何回も思ったことと思う。
その時に話しあったことでも、お互いに納得しあえないまま過ぎてしまったことも、たくさんあったと思う。

半年経って、徐々に心がを落ち着いてきた今、感情的にならないように、気をつけながら、今まで思ってきたことを書き残しておこうと、またこの場に戻ってきました。
それは、ある意味、ささやかながら私の心の成長でもあったとも思うからです。

また、よろしくお願いいたします。


 











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