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今日のブルース② チャーリー・パットン「泥んこ道を行くブルース」(1929年)


  知らない世界に逃げていく
  知らない世界に逃げていく 
  不安なのは最初だけ すぐに慣れるはず

  オレに乗ってる女、持ってるくせに見せてもくれねえ
  オレに乗ってる女、持ってるくせに見せてもくれねえ
  こっちはそいつを見つけるためのモノを持っているんだがな

  切り倒してやりたいぜ 木屑をあたりにまき散らし
  切り倒してやりたいぜ 木屑をあたりにまき散らし
  インディアン居留地にも行ったが 長くはいられなかった

  海のむこうじゃ、ブルースも悪くないっていうやつもいる
  (悪いに決まってるだろ!)
  海のむこうじゃ、ブルースも悪くないっていうやつもいる
  (どうかしてんじゃねえのか?)
  じゃあ、オレのは海のむこうのブルースじゃないんだな

  ここじゃ、毎日、死ぬほどやりきれないことばかり
  (神さま、もうここにはいられない)
  ここじゃ、毎日、死ぬほどやりきれないことばかり
  明日ここを出ていくよ いつまでも気にかけていると思うなよ

  泥んこ道をひとりで行くなんて無理
  泥んこ道をひとりで行くなんて無理
  (神さま、誰をよこしてくださるんで?)
  あのが手に入らないのなら 他の誰かを連れて行くさ

日本語は主語を省略することが多いというのはもはや常識になりつつある。
「でも、英語は主語略しちゃだめなんだよね」と先回りして言われることも多くなった。とくに女性は主語を略しがちであるという通説を、体験談を交えて力説する人もいる。実際には、"Can't Buy Me Love"のように、わかりきった主語は英語でも省略されることがある。とはいえ、日本語と英語全体を比較すると、日本語のほうが主語を省略しやすいし、実際、省略されるのは確かだと思う。性差についてははっきりした証拠はない。

・・・と、いきなり、語学の話かい!ブルースと下ネタとナンセンスを書き散らした前回のコラムを見て、次はどんな悪ふざけがはじまるのかなと期待して帰ってきてくださったみなさん、ありがとうございます。大丈夫。お楽しみはこれからだ!次はこの下ネタだーっ(イカ天風・・・いつの話だ!?)そのまえに、さっきの主語や目的語の話のかたをつけさせてくれ。これも関係ある話なんだ。ブルースの場合、基本的にワタシ目線で歌われているので、日記に主語を書かないのと同じように、主語が省略されることも多い。それよりも、指摘したいのは、目的語がぼやかされることも多いことだ。この歌も、ご多分に漏れず、ぼかしとモザイクの連続でわかりにくくなっているが、安心したまえ、紛れもなく下ネタである。

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だいたい、馬に乗るとか車に乗るとかいう話が出てきたら、これはもうセックスのことだと思っていい(チャーリー・パットンには他にポ二ーの歌もある。もちろん、下ネタだ!)上の図版は、この歌がパラマウントから発売されたときの広告だが、そこにはこう書かれている。

「彼は故郷で多くのトラブルを抱えて、埃まみれの泥んこ道を知らない地方に向けて旅に出た。すべてを忘れて、どこか違う場所に行きたいと思ったのだ。そこで彼はこの新奇なブルースを歌い、彼の怠け者の騾馬は古い泥道を彼をのせてとぼとぼと歩いていく」

しかし、こんなものに騙されてはなるまい。これは目くらましである。いや、ブルースの意味は常に重層的であるから、これもまた嘘ではないのだが、女がオレに乗るという歌詞を聞いて、かわいそうな騾馬の歌だと思い、動物愛護協会に駆け込むようなかたは、ブルースの世界から手を引いていただきたい。カルピス劇場にでも行きなさい(カルピス?でひっっからないように)。

ともかく、そういうエロスを追求していくと言えない言葉というものが出てくる。品行方正な方々からの規制ということもあるのだが、むしろ、言わないほうが、エロかったり、面白かったりするという部分もある。昔の民謡の猥歌みたいなのは、むしろ健康的で、やらしかったり、おかしかったりする爛れたエンタテイメントの世界からはちょっとずれる。(と書いた後で、添田知道『日本春歌考』を拾い読みしたら、昔の民謡もなかなか、ちら見せが多くて、一筋縄ではいかない。この話もいずれ書いてみたいが、ここはブルースのコラムなので・・・)

で、その言えない言葉を伝えようとすると、前述したように、目的語があいまいになる。書かれてはいるんだけど、何だかはっきりしない。まずは、馬とか騾馬とか海老とか蓄音機とか車とかお前についてるラジオとか、とにかく手元にあるあらゆるものをメタファーにして、間接的に表現される。そうでなければ、日本語でもよく物忘れの酷くなった老夫婦がやるように、代名詞でやりとりする。ばあさん、アレとっとくれ、アレって何ですか?わかるじゃろ、アレじゃよ。アレ。ああ、アレですね、はいはい・・・で、ここでは、"something"をつかった表現がどうしょうもなくかゆいところに手が届かない表現になっていて、そこがエロい。かゆいと分かっているところをあえてかかないという変態プレイ。昇天。

つまり、オレの上にのっている女("rider")が持っているサムシンは、もちろん女性の持っているアレですヨ(わかりますね、アレですよ、アレ、アレ)、それを女は持ってるくせに見せようとしない。そりゃあ、まあ、めったやたらにご開陳するものではございません。何しろ、アレですから。しかし、そこは男も男、天の岩戸から女のサムシンをおびき出して手に入れるためのサムシンを持っているわけです(わかりますね、これは男のアレですよ、アレ)。あるいは、女のサムシンが近づくともれなくびびーんと反応するセンサーか。

「だけどそいつがアレを持ってたら♪」

「オレは差別しない
おー、つ・き・あ・い・た・い。」

さて、このまま下ネタ解説だだけで終わらせてしまおうかとも思ったが、やはりそうもいかない。インディアン居留地"Nation"のことにも触れておかないと、当のパットンに怒られる。ヨーロッパ人の到来以来、アメリカ先住民は、住んでいる土地を追われ、その勢力範囲を徐々に狭められてきたが、やがて「居留地」(reservation、すなわち、先住民のためにとっておく"reserve" 土地)に移住隔離させれるようになる。先住民にとっては牢獄にすぎなかった居留地だが、白人の人種差別や暴力から比較的解放されていたこともあって、少なからぬ黒人を惹きつけた。そのことは多くのブルースにも歌われている(この記事に詳しい)。しかし、フロンティアが西に広がり、「居留地」のなかに白人が必要とするものが見出されたりすると、いとも簡単に約束は覆される。先住民は新たな移住を余儀なくされ、鞭打たれた騾馬のようにつぎの居留地へと移動していく。女の腹のように優しく逃亡者を守ってくれた先住民コミュニティも解体されてしまう。「長くはいられなかった」というのはそういうことである。パットンは、先住民の迫害に対する怒りを表現するために、ゾラ・ニール・ハーストンが短編「スパンク」(1925年)の背景に描きこんだ、当時南部で黒人労働者を雇って行われる一大産業であった製材業のイメージを使っている。そして、居留地への逃亡とセックス、そこから得られる安堵を奪われることに対する怒りをないまぜにして、ボブ・マーリーの「小さな斧」のように大木を切り倒す。こうなってくると、サムシンも単なる下ネタなのかどうかわからなくなってくる。

「あんたが大木なら、オレは小さな斧。いつだって切り倒してやるぜ」

広告の解説文もあながち目くらましではなかったかもしれない。しかし、この歌詞、さすが、「デルタ・ブルースの父」と呼ばれただけの男、ただものではない。

I'm goin' away, to a world unknown
I'm goin' away, to  a world unknown
I'm worried now, but I won't be worried long

My rider got somethin', she's tryin'a keep it hid
My rider got somethin', she's tryin'a keep it hid
Lord, I got somethin' to find that somethin' with

I feel like choppin', chips flyin' everywhere
I feel like choppin', chips flyin' everywhere
I been to the Nation, Lord, but I couldn't stay there

Some people say them oversea blues ain't bad
(Why, of course they are)
Some people say them oversea blues ain't bad
(What was a-matter with 'em)
It must not a-been them oversea blues I had

Every day seem like murder here
(My God, I'm no sheriff)
Every day seem like murder here
I'm gonna leave tomorrow, I know you don't bid my care

Can't go down any dirt road by myself
Can't go down any dirt road by myself
(My Lord, who ya gonna carry?)
I don't carry mine, gonna carry me someone else

追記

今は亡きどんとが歌っていたボ・ガンボスのこの曲は、おそらく、「泥んこ道を行くブルース」を意識している。ひとりぼっちのパットンに対し、どんとは誰かと二人、ヤラシイ道を行く。


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