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今日のブルース⑰ザ・ヤス・ヤス・ガール(マーライン・ジョンソン)「酔わせないで」(1937年)

足に触れないで わたしの足に触れないで
だって足に触れたら つぎはももに触れるでしょう 
ももに触れたら 次はもっと上でしょ
だから 足に触れないで

ウィスキーなんかいらない ウィスキーなんかいらないわ
だってウィスキーをおごって わたしを酔わせるつもりでしょ
わたしが酔ったら 嘘をつくのね だから酔わせないで

いっしょに行こう 優しくするからって
でも、何考えてるか ちゃーんとわかってるんだから
結局最後は、このステキな褐色のからだを求めてくるんでしょ

わたしの足に触れないで 足に触れないで 
だって足に触れたら ももにも触れたくなるでしょ
ももに触れたら 次はもっと上でしょ
だから 足に触れないで

わたしの足に触れないで 理由はわかっているでしょう
ももに触れさせないためよ 
そうね、もっと上なら許しちゃうかもしれない

わたしの足に触れないで 足に触れないで 
だって足に触れたら ももにも触れたくなるでしょ
ももに触れたら 次はもっと上でしょ
だから 足に触れないで

Don't Make Me High

Don't you feel my leg, Don't you feel my leg, '
Cos if you feel my leg, You're gonna feel my thigh
And if you feel my thigh, You're going to go up high, So don't you feel my leg

Don't you buy no rye, Don't you buy no rye
'Cos if you buy some rye, You're going to make me high
And if you make me high, You're going to tell a lie,
So don't you make me high

You said you'd take me out, And treat me fine
But I know there's something, You got on your mind
f you keep drinking, You're gonna get fresh
And you'll wind up asking for this fine brown flesh

Don't you feel my leg, Don't you feel my leg
'Cos if you feel my leg, You'll want to feel my thigh
And if you feel my thigh, You're going to go up high,
So don't you feel my leg

*Don't you feel my leg now, you know why
'Cos I ain't let you feel my thigh
Yes, you might go up high*

So don't you feel my leg, Don't you feel my leg,
'Cos if you feel my leg, You'll want to feel my thigh
And if you feel my thigh, You'll want to go up high,
So don't you feel my leg

さて、少々小難しい話が続きましたが、今回はコラムの原点に立ち返りまして、ど下ネタです。しかも、かなりがっつり行きます。下ネタが嫌いという人は多いと思うのですが、ブルースを味わうにあたって、下ネタを避けて通ることはできません。下ネタに対する風当たりは日に日に強くなっていますが、ブルースは喫煙者にとっての『喫茶ルノアール』のようなものです(ちなみにぼく自身は非喫煙者ですが、喫煙スペースを守ってくれれば何の不平もありません)。どうしても下ネタは受け付けないという人は、他の喫茶に行ってください。

しかし、それにしても今回のネタは徹底しています。まず、演者の名前からして気になります。Yasという表現は、感情をこめてYesというときに、かなり昔から使われてきたようです。『オックスフォード英語辞典』によれば、18世紀イギリスの劇作家ジョージ・コールマン(父)の戯曲『スプレーン』(1776年)のセリフのなかにすでに見られるとか。近年ではジャック・ケロアック『路上』(1951年)で、登場人物のディーン・モリアーティ(詩人ニール・キャサディがモデル)が使ったことで、知られるようになりました。さらに、最近では、ドラッグ・クイーンや性的マイノリティの人たちに使われるというイメージが強く、レディ・ガガとそのファンが好んで使うこともでも知られています。ちなみに、aやsの数を増やすことで、さらに感情を込めることができます。Yaaaaaassss!

しかし、yas-yasと二回重ねると、また別の意味が生まれます。yasとass(ケツの穴)との連想から、「おケツ」という意味になるのです(おいおい、どこ行くねん)。日本語でもそうですが、「おケツ」は臀部そのものだけではなく、臀部を持つ人物をも表します。「その汚いケツをどけろ!」みたいにね。ブラインド・ボーイ・フラーの「ゲット・ユア・ヤス・ヤスズ・アウト」なんかは、こっちの意味で使っている。ちなみに、ローリング・ストーンズ『ゲット・ヤ・ヤ・ヤズ・アウト』がフラーのパロディであることは明らかですが、「お前のケツを・・・」というのをメジャーなロックバンドのライブ盤のタイトルにすることはさすがに憚られたのか、ちょっと変えてある。見え見えだけど。

で、ザ・ヤス・ヤス・ガールの場合はというと、これはもう、そんな寄り道もなく、「おケツ女」というにつきます。残された写真を見ると、たしかに立派なお尻です。アフリカ系の方々はこうしたしっかりした腰つきの女性を好む傾向にあるようです。しかし、何も「おケツ女」などという芸名にすることはないだろうと思うのですが。しかも、定冠詞theがついていますから、皆さんご存知の、という感じです。そこに、yas本来の意味合いも重なって「そう!ご存じ元祖おケツ女」というのが近いのではないかと。思い切ったな。いや、笑顔もかわいいし、マーライン・ジョンソンでいいと思うよ。

ザ・ヤス・ヤス・ガール

歌詞の内容はご覧の通り、いやよいやよも好きのうち、触らないで触らないでと言いながら、「もっと上なら・・・」いう言葉をするっと忍び込ませるという高等テクニック。男は「えっ」となります。「今なんて言った?」「ウフフ」みたいな。この娘、なかなか曲者です。しかし、この曲、聞いてみるとかなり印象が変わります。なにしろ、おケツちゃんの歌い方がぶっきらぼう。セクシーというより、吉本新喜劇の山田花子(「蒸すわ~」)。歌詞だけ読むと、「わたし」という感じなのですが、歌を聞いた印象では「おら」です。上京したばかりの田舎娘が、おわっ、さすが、東京、ええーおとこばっかだのー、だども東京は怖いとこだとおかあちゃんがいってたかんなーようじんようじん・・・だめだって、だめだって、そんなとこさわられると、おら、おら・・・あふん(えー、多方面からのご批判、待ちしております)

どうしてこうなのでしょう?このころのブルースの猥雑な歌は、猥雑なようでいて、その世界に浸らせてくれないようなところがある。不思議なことに、パーソナルな歌であるブルースの世界にあって、究極にパーソナルであるはずの、性的な歌がむしろ、集団の視線に晒されている。若いころ、ブルースを歌いたくて試行錯誤をしていたぼくに、ストリップ劇場に通いつめていた先輩が「お前もストリップに行って、本番ショーを見られて来い」などとアドバイスしてくれたことがあります。ずいぶん乱暴な話ですが、性的なものをパブリックにするという意味では、ブルースの本質をついていたかもしれません。(「本番ショー」って何?という人はググってください。説明しない代わりに、なんだかすごいビデオがあったので、転載しておきます)

パブリックになると、当然他者の視線を意識しますし、そこには一種のルールなり、規制なりというものが働きます。ブルースの猥雑な歌というのは、寝室の扉をあけたようでいて閉じている。セックスをダンスにしたリ、笑いにしたりすることで、本当の乳繰り合いは見せない。そういうものではないかと思います。だから、セックスの動きを図式化したようなダンスは許される一方、白人のやるようなべったりと身体を寄せ合ったチークのようなものは、恥ずかしくて見てられないというような逆転現象がおきるのではないでしょうか。

このコラムで、一貫して「下ネタ」という言い方をしてきたのも、そのあたりに理由があります。アフリカ系アメリカ人は寝室というもっともプライぺートな部分をギリギリまで共有しながら、それを「ネタ」にすることで、他人の心に土足で踏み込んだり、だらしなく自分をさらけ出すことは恥ずべきこととして退けたのではないか、そんな気がします。

というわけで、下ネタばんざい!!

追記
この歌をアイリッシュ・ソウルのヴァン・モリソンがカバーしていると聞いてびっくり。ヴァイオリンなどの入ったカントリー調のアレンジで、なかなかご機嫌だが、「足に触れないで」「ももに触れないで」という歌詞は、おっさんが歌うもんじゃないだろう。英語ネイティヴにはどう聞こえるんだろう?


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