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「まっする7」最後のお仕事――最終回インサイドリポート「まっするの3年間はマッスルの6年間と同じ密度」

今林久弥がいなければ
まっするを続けられない理由

鶴見亜門こと今林久弥がCyberFight退社の意向をマッスル坂井に明かしたのは、7月の中頃だった。会社に申し入れたあと、すぐに電話を入れたところスーパー・ササダンゴ・マシンとして地元・新潟のテレビ番組ロケ中。ジャイアント馬場さんの実家近くにあるパン屋の駐車場で聞いたという。

その時、坂井が思ったのは「自分も12年前にまったく同じ理由でDDTを離れているんだし、ここは気持ちよく送ってあげないと今林さんに悪いな」だった。「まっする」の前身である「マッスル」も、自身の実家・金型工場を継ぐためにプロレスラーを引退し、最終回を描いた。そういう年代だからと言ってしまえばそれまでだが、あまりに奇遇だ。

そして、どちらから言い出すまでもなくこれで“ひらがなまっする”も終わりとなることを確信していた。8月22日の会見で今林が年内いっぱいの退社を発表し、それにともない9月公演をもって一区切りをつけると聞き、多くの人々が「鶴見亜門という演者がいなくても坂井なら続けられるだろう」と思ったに違いない。

「マッスルの時は一演者でしたけど、今ではDDTの中で制作のプロデューサーとしてスーパー・ササダンゴ・マシンのDDTにおけるスケジュールとかすべてのマネジメントをやってくれていたんです。出演者としては今林さんがいなくても、モノ足りないものになりつつもひょっとしたらできるかもしれないけど、今林さんがいないと制作業務、裏方で細かい仕事のすべてをこなせる人はほかにいない。

それに僕が今林さんだったら、自分がいなくなってまっするが続くのは嫌だろうし。それはアメリカにいっている翔太もそうだろうし、竹下(幸之介)にもそう思ってほしいから竹下がいないまっするも無理だと思っていて。誰がいなくてもキツくなっちゃったんですよ。誰が替わりに入ってもうまく続けていけると思っていたんだけど全然そんなことなくて、まっするという暖簾は掲げ続けられないと思ったんです」

マッスルから継続して出ていたのであまり気づかれていなかったが、あの頃と今とでは今林自身の立場や業務内容はまったく違う。一出演者から社員となり、まっするに関しても選手を集めてゲストに連絡し、稽古場を確保してスタッフと打ち合わせ、出演者とのギャランティーの交渉…と運営面の大部分を担った。今回も3日間、主役を務めながらグループLINEを回し、翌日の入り時間を個別に伝えた。

それでもちゃんと引き継ぎをやれば他の人間でも…となるだろうが、まっするは2人の関係性で成り立っていたところが大きかった。坂井のケツを叩けるのは一人だけだし、相談できるのも今林しかいない。

かくしてまっする最終回のテーマ――というよりも“やるべきこと”は決まった。だからといって物事がスムーズに進んだわけでもなく、驚いたことに今回のあの内容は実質3日半で形となったものだった。

「今回の稽古日数は今までで一番少なかったですね。8月28日が1回目の稽古日だったんですけど坂井は何も持ってこなくて、プリントアウトするものさえないと。今から口頭で伝えるんで、それを打ち込んでプリントアウトしてくださいって言うんです。〔今林さんとの思い出〕〔マッスルでやりたかったこと/やり残したこと〕というアンケートを自分が打ち込んで、初日に集まった人たちへ渡して書いてもらって、それを坂井に提出して。そのあとの9月2日がほぼ稽古初日ですよね。でも、全体の流れみたいなのは書いてきたけど台詞が一行もない。3日に台詞があがってきた部分だけ合わせて、4日はDDT名古屋大会だから動けない。なので5日、6日…実質的には3日半であれができた。

演劇じゃないですよ、もはや。ガチガチの舞台俳優さんを客演で呼んできたら怒りますよ、無理です!って。でも彼らはそれができちゃうんですよね。役者ができないことをプロレスラーができてしまう。ダンスの振付もパパッと決まっちゃうし。初日前日の夕方に30分ぐらいやってちゃんとできる。演劇の手法でもなければ、マッスルの時とも違う。カタカナマッスルは坂井がありきで、坂井が台本を書かなければ何もできないし、坂井が精神的にイライラしていたらそれが作品に出てしまっていたけど、ひらがなまっするは坂井がイライラしなくなったのが一番で。こんな感じで…と振るとユウキロックさんも稲田徹さんも自分で作り上げてくれるし、選手は振付を全部自分たちで考えちゃうし。アクションシーンも選手が考えて形にするから坂井は安心していたんじゃないですか。熱量が独特ですよね。みんな、やりたくてやっている。嫌々やっていたらついていけないのがまっするだったんです」

マッスルの時に坂井がさんざん味わった生みの苦しみから、まっするでは解放されたように映っていた。それほど完成度の高い作品を出し続けたからだ。ところが、思い入れが強いほど難産になるというのはどんなクリエイティブの世界も同じのようだ。

普段から坂井は、まっするで使えるのではと思ったネタをメモにとっており、頭の中はアイデアがたくさん詰まっている状態にある。ただ、いざそれを脚本へ落とし込もうとするとなかなか書けない。理由はハッキリしている。

「みんなと一緒じゃないと、一人じゃ作れない。新潟では書けなくて、みんなに会って顔を見て話さないとできないんですよね」
 
ネタ元はあくまでも種であって、それを膨らませる水の役割はまっするを通じ坂井自身が思い入れを持つ仲間たちとのダイアローグなのだ。とはいえ、最近のササダンゴはテレビからラジオから引っ張りダコであり、まっする千穐楽の5日後におこなわれる純烈LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)公演の脚本も請け負っていた。
 
どういうわけか、一昨年も純烈の渋公ライブとまっするの日程は近かった。そちらの構想をいったん止めて集中しなければ、台本は書けない。こうした状況が、坂井の日常にもバグを発生させていた。
 
「実は今林さんが実家に帰るのを言い訳にしている部分があって。それほどまっするを続けるのって、相当シンドい。何ヵ月も前から準備すればいいんだろうけど、なかなかすごい集中力がいるんです。ここ最近、ちゃんと日々のスケジュールを確認しているつもりでも収録が東京なのに新潟にいたり、今日は休みかと思ったら電話がかかってきてロケですということが多発していて月に2、3回あるんです。DDTのオファーがあってもその日はほかの仕事で埋まっていたりするのが自分でものすごいストレスになっていて、プロレスのオファーがあるのにほかの仕事の都合でいけないというのが、どっちの仕事を優先してとかじゃなく逆もしかりで、仕事を断るということ自体がストレス。
 
テレビは予定を変えてくれる場合がありますけど、プロレスの興行は日にちが決まっているわけだから、ここでササダンゴを呼ぼうかとなってもそれに応えられない。ワーカーホリックじゃないけど、コロナから戻りつつある日常に体が対応できていないって思います。経験値は積んでいても、この3年で体力は衰えている。40の壁がコロナで3年遅れてきた感じ。マッスルの時の方がノンストレスだったんですよね。その仕事だけに24時間向き合えていたから。今は辛うじていろんな仕事がインプットにもなっているから救われているんですけど。そういうことでこの先、たとえまっするのようなものを作るにしても自分が一回休まないと危なかったんです」

MAOとのいとおしいラスト
クリエイター・竹下の存在

そうした中でもあれほどのモノになるのは、一にも二にも演者たちの実力に尽きると坂井と今林は口を揃える。3年前、ひらがなまっするがスタートした時に掲げたのが「次世代のマッスル戦士の育成」であり、選手一人ひとりがよりプロレスラーとしてステップアップすることも、もう一つの目的だった。
 
オープニング映像では、この3年間でそれぞれのステータスを上げてきたことがまとめられていた。竹下や上野勇希、樋口和貞といったその時点で近い将来を嘱望されていた選手だけでなく、平田一喜や翔太のようなバイプレイヤーも、当時はくすぶっていた渡瀬瑞基も今成夢人、納谷幸男も今では自分のやり方で輝いている。
 
「まっするが始まった頃と比べて全員がランクアップして、みんな本当に忙しい。みなみかわさんも売れちゃって、稲田さんも本当に忙しい中、無理やり来てくれている。本当に奇跡的なんですよね。このメンバーが3日半も時間を空けられて一緒に練習できたということは」(今林)

「カタカナマッスルの最後とは全然違いましたよね。毎回終わったあと、マッスルの時は(男色)ディーノがアクション監督みたいにやってくれて、リング上のプロレスのところはおんぶにだっこで、毎回終わるたびに会場を出た瞬間、2人で今回も逃げ切ったねって言っていたんだけど、ひらがなまっするは一個成し遂げられたと思えました。ディーノさんもそう思ったって、今(千穐楽終演後)LINEが来ました。

今林さんの退社、竹下の渡米といろんなタイミングもあって、コロナが収束しかけてメンバーもリハを含め1週間も一つのことをやるのが現実的に難しくなってきているし、みんなレスラーとしてポジションを築いて、3年の間にガラッと環境というより彼ら自身が変わった。僕らが始める時に掲げたものより彼らの成長の方が早い。3年前に僕らが感じた爆発前夜感、ブレイク目前感…シェフのもうひとかき回しがあればいいんだろうなって思っていたんだけど、それをやらせてもらっていた感じです」(坂井)

まっするが回を重ねるごとに表現者としての地力が増していった…いや、坂井に言わせるとポテンシャルはもともと持っていたから「みんなが流している面白いラジオ番組を、ハッキリと聴こえるようにチューニングを合わせていただけ」となる。

そうした磁場だったまっするのラストだからこそ、今林の卒業とともに後輩たちを掘り下げ、プロレスラーとしてのリアルな部分も最後まで描きたいと思った。そのやり残していたことの一つが、MAOの存在だった。

MAOをメインにやってみたいという坂井の考えは、2020年の後楽園初進出あたりで聞かされていた。温めに温めたものを最後の最後で形にするタイミングとなった。

「今回は一試合45分、後半丸々試合を通じてドラマを作っていこうって思っていて。試合の中でストーリーを描いて、伏線を回収し、さらに加速させたり、新しいドラマを生んだり、さらにはそこで新しい曲を発表してダンスをしたり。それらを全部プロレスの試合の中でやってみたかったんです」

マッスル時代から演劇的方法論でプロレスを体現してきたのに対し、ラストまっするで坂井は演劇、映像、音楽、ダンスといったさまざまな表現要素をプロレスなる器の中に落とし込もうとした。これは本職のプロレスラーでなければ不可能な試みであり、また本職のプロレスラーであってもやれる人間は限られるだろう。

ツイッターでも『HiGH&LOW~THE STORY OF S.W.O.R.D.~』を元ネタにした点が語られたが、それはプロレスという器に描かれた模様にすぎず、味わうべきはその中身のはず。厳選された素材なくして、あの45分間は成り立っていない。そして、そのクライマックスシーンを今林とともに任されたのが、MAOだった。

「MAOは…みんながすでに完成されたレスラーだと思っているんだろうけど、もっとすごい何かしらの原石で、とんでもない埋蔵量だというのが自分にはあって。僕は彼と飲みいったりするような関係じゃないけど、MAOはMAOというプロレスラーを、すでに自分でプロデュースし演じている部分がある気がする。井上麻生はMAOとしてのキャラクターを男色ディーノぐらいのレベルで持っている。ちょっとぶっ飛んでいて、つかみどころのない性格…それがよくて今も支持されているんだけど、もっともっとプロレス興行の最高の主役になれる人間だと思っていました。

そこは生の声を出させるより、キャラクターと物語を用意してそれを演じた方がいい。ハーマンミラーマオというキャラクターを作って、HIGH&LOWの鬼邪高校の番長・村山良樹のイメージもさらに乗せて、乗せて…ってやって、初めてあいつはああいう顔を見せてくれるんですよ。フィクションにフィクションを重ねて、重ねてやっと生々しい表情をちらっと覗かせてくれる。劇中劇が反転して現実を侵食しちゃうっていうんでしょうか。ゾッとするぐらいの色気で、僕は死んじゃいますよ。ホント、全プロレスファンに支持されていいと思う」

DDTのリングで見るMAOとはどこか異をなす、それでいて「ああ、これがMAOだよなあ」と思わせる鶴見亜門とのやりとり――今林も、坂井同様個人的な濃い関係性があったわけではない。

それでも最後がMAOでよかったと、その思いを噛み締めていた。練習生の頃から見ている人間と一緒に作品を生み出すなど、同じプロレスラー以外ではなかなかできない体験だ。

「あんなにいとおしいスローモーションはなかったですね。双数姉妹(今林が在籍していた劇団)は同世代じゃないですか。18、19の頃に大学で知り合って、40ぐらいになるまで一緒に成長してきた。まっするは、おじさんたちがいて若い子たちがいる。双数の活動休止公演、マッスル、まっすると3回最終回を経験していますけど、今日が一番悲しくない。涙は出ましたけど、質が違うというか」

千穐楽、スローモーションのバックブローでMAOをダウンさせたあと、覆いかぶさろうとするも鶴見亜門はなかなかフォールの体勢にいかない。いや、いけなかった。そこでスリーカウントが入った瞬間、こんなにも楽しく、こんなにもいとおしいまっするが終わってしまう――。

千穐楽、なかなかフォールへいけずにいる鶴見亜門をリングサイドから見つめるササダンゴは、感極まっているように見えた

2006年9月29日、それまで一出役だった鶴見亜門は演劇畑でも親交があったAKIRAを相手にプロレスラーとしてデビュー。同じように、スローモーションの中でバックブローを放ち、涙の勝利をあげた。

勝った嬉しさで泣いたのではない。マッスルを理解し、その役どころと自分を受け入れてくれたAKIRAに対し、感極まったのだ。

今回も、3日間4公演かけて完成させたMAOとの“合作”だった。千穐楽のクライマックス…あれはピンフォールではなく、いとおしく、そして神々しいプロレスラー・MAOを抱き締めていたように思えた。さらには2週間前に逝去された鶴見五郎さんから授かったバックブローで始まり、バックブローで鶴見亜門としての歴史がピリオドを打つことに運命的なものを感じた。

そんな濃密な45分間をクリエイトするにあたり、欠かせなかった人間が竹下だった。今回の「まっする7」において、坂井は彼にアクション監督を依頼した。

「DDTの大田区ビッグマッチが終わったあと、竹下が1泊2日で新潟へ遊びにきたんです。その時、アメリカで見てきたことを楽しそうに語って聞かせてくれて『坂井先輩にも見てほしいな。絶対にまっするで役立つと思うんですよ』と言うんです。じゃあ、それをやってよ!ってなって。
 
アメリカで最新のスポーツエンターテインメントを勉強してきた竹下がリーダーシップをとって、僕が箇条書きで作ったストーリーを45分のプロレスの試合としてまとめるという作業です。シングルばかり40試合やってきた男が、10対10の試合をこんなにうまく構成できるのかってビックリしました。日本とアメリカのプロレスのいいところが絶妙にハイブリッドされていて。そして、それがちゃんと新しくて魅力的だから、みんなもちゃんと言うことを聞く。こういうのって、まとめればまとめるほど全員のポテンシャルの最大公約数にしかならなくて、倍々にはなかなかならない。だけど、大人数でもレッスルマニアのメインぐらいのカタルシスが作れるに違いないって僕は思っていたんです」
 
リハーサルや、昼の部と夜の部の間を利用し、竹下は試合における細かい部分のアイデアをどんどん出した。そのたびに、みんなが「そっちの方が面白い!」とヒザを打つ。このノリがまっするであり、本番前の時点でグルーヴ感が発生していた。
 
坂井が口にした「同じ公演を重ねるごとに、よりいいモノになっていく」の理想を、まっするはちゃんと果たしていた。初日の後楽園と千穐楽の声出しOKだった昼の部、そしてラストステージはまったく味わいが違い、その上でどんどんブラッシュアップされていった。
 
どんなに従来のプロレスからかけ離れても、そこに在るのはプロレスだから感じられるサムシング…それがマッスルであり、まっするだった。それはやはり、プロレスラーたちのとてつもない熱量によるものだったと思えてならない。

いいゴールが迎えられれば絶対に
いいスタートが切れる

「声出しOKの回…あれが経験できて本当によかったです。1回目だけできて、2回目でコロナの怖さが広がってきて、メンバーが揃わなくなる状況はいくらでも考えられたけど、運がよかったんでしょうね。竹下も、世界中で代わりがいない存在になったんですよ。だからまっするは活動休止というより、終えるというのが大事なんだって。みんな別人ですよ、ホント別人。我々おじさんは年々、今までと同じパフォーマンスができれば御の字という中で、若者たちはこんなに変わるのかって。
 
もともとすごいものを持っていたんですよ。だからこそもっと世の中に伝えたかったのもありますし、そのためにまっするを続けることが大事だったのかもしれないけど、でもこれからもっと活躍のチャンスがみんなあると思うので、まっするという荷物を一回置くことで新しいものにチャレンジできるでしょう。これをずっと続けていったらどうなるんだろうという思いも自分の中にありますけど、マッスルが6年だとしたらまっするは3年でゴールを迎えながら密度が変わらない。それぐらいすごかった」
 
坂井によると、千穐楽のステージを終えバックステージへ戻る選手たちが、口々に「プロレスって面白いな。プロレスの可能性ってすげえじゃん!」と言い合っていたという。それは前回、上野の欠場を透明人間の代役で乗り切った時も強く実感したのだろう。
 
控室へ戻っても、誰一人としてこれが最後でいいという顔はしていなかった。ある選手が大泣きし、さっそくその動画がグループLINEで回された。そして一人、また一人が坂井と今林に同じ言葉を残して帰っていった。
 
「じゃあまた、よろしくお願いします」
 
選手たちも、ユウキロックも、稲田徹も、そして音楽監督のRAM RIDERも…誰もこれが最後とは思っていない。
 
「まっする1から954日間って、RAMさんが数えてくれていて歌詞の中に出てきてなんだろうと思ったら、TBSラジオの周波数と同じっていうのが自分の中ではすごく…ね。これもユウキさんがいて、RAMさんがいて、みなみかわさん、(映像監督の)佐古(俊介)君、福田(亮平)君、舞台監督の福原(聴)さんがいて、さらに稲田さんが入ってくれてっていうのも、実は最高な形で今林さんとまっするの最終回をやるために集まったメンバーなんだということがすごくわかっちゃって、最終回と銘打ったことを後悔はしてないけど、ここまでのものをちゃんとゴールを作って、やりきることがみんなでできたというのが本当によかったと思っています。
 
いいゴールが迎えられれば、絶対にまたいいスタートが切れるんで…今林さんもね。DDTの興行でGMとして出ることはあっても、それ以外の生活は変わる。お客さんから見たら変わらない世界かもしれないけど、今林さんにとってはまったく新しい生活が始まるわけで、そのためのいい区切りになりました」(坂井)
 
「社員じゃなくなるけど、どうなるか決まっていないし逆に自由になる時間も増えるのでいろんなことをやりたいと思っています。それこそ演劇もまたやれたらと思うし、選手たちがランクアップするのに負けないぐらい自分もいろんなことをできるようになって、またみんなと集まってできたらいいなと思っています。親御さんの介護大変ですねとか、これから会えなくなるんですねとかみんなに言われるんですけど、両親は元気なんですよ。元気なうちに一緒にいる時間をとりたいというだけで。家族はこっちに残るんでいつでも会えるのに、こんな終わり方をしたらやめるやめる詐欺ですよ、ハハハハ。

まあ、高木(三四郎)さんが坂井に何かやれと言い出す気がします、中村(圭吾)たちの世代でやってくれって。まっする世代はなんでもできるんで、その下の世代にこういうのを経験させてやりたい。だから最後にちょっとだけ3人(中村、小嶋斗偉、石田有輝)を出してあげられたのがよかったですね。2030年のマッスルハウスはメインに竹下が出ることは決まっているから、その相手として誰が出るか。坂井の息子かウチの息子か趙雲(子龍)の息子か、もしくは彼ら若い世代なのかまっするの誰かなのか、楽しみでしかないですね」(今林)

最後の最後で中村たちの世代を登場させたのは、マッスル最終回のエンディングで20年後を担う子どもたちの映像を流したのと通じるものがあった。思えば、2030年の再会を約束しながらずっと早い2019年2月16日に、両国国技館という場が訪れた(マッスルマニア2019)。

それがカタカナマッスル最終回から数えて約8年後。ひらがなまっする最終回の8年後が2030年という巡り合わせも、坂井が考える台本を超えている。

「最後にまっするの20年後のチケットを配るというアイデアもあったんだけど、2030年があるわけだし、まっするの20年後の中にそれが含まれるわけだから、まっするのメンバーも集まれるじゃないですか。8年後なんてあっという間ですよ。ゾッとしちゃいますよね。もっとハードな未来が待っていると常に思っていますけど、意外と今なのかなという気もしますし。こんな楽しい人生もないですけどね。ちゃんとツラいし、ちゃんと地獄を味わっていますから、ウハハハハ」
 
地獄を味わいつつも楽しい人生を送るマッスル坂井はこの3年間、他のプロデューサーや演出家が望んでも得られない表現者たちに恵まれた。各選手たちがアップグレードし続けるように、自身もクリエイターとしてさらなる大きな舞台と巡り合うだろう。それがどんなステージであろうとも、我々の頭の中では『LONELY DAYS』とRAM RIDERによる劇中歌(https://ramrider.com/news/hiragana-muscle-original-best-220909/)が流れている――。                                                                  (文責/鈴木健.txt)


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