小路

ゲームやアニメ、漫画や映画の中の「目的」とは簡単なものである。
攫われた誰かを救うために、失った何かを取り戻すために、記録を打ち立てるために……
その世界の中のキャラクター達、言い換えればその世界に投影された私達は、大きな、そして明確な目的を持って生きている。

実際の世界とはどうだろうか。自分が何故生きているのか、何のために生きるのか。この問いに対する明確な答えを持っている人はいるだろうか。少なからず私はそのタイプの人間ではない。

「死ぬために生きる」よく聞く言葉である。だが生きるという行為を放棄し、死ぬ、という選択肢を選んでしまえばその場で達成してしまう。果たしてこれは人が生きる理由とよべるのだろうか。

私は昼寝から目覚めたばかりである。夢の中の世界には私が生きる目的、明確な理由があった。そこには私が歩むべき道が、大きな道が、ただ一本だけ堂々と横たわっていた。

しかし、こちらの世界の私が歩む大通りなどなく、裏路地のような細くて狭い道が無数に張り巡らされている。小さな選択の違いの積み重ねによって、これから辿り着く場所は全く違うものになる。

私が生きる目的は、何故生きているのかという答えにたどり着くことなのかも知れない。
今の私の前に広がる小さな小さな路地たちのその向こう側に、私が歩まなければならない道が。私が成し遂げなければならない目的が存在するのかも知れない。