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わかりやすい作品への葛藤

作品を作っていると、「わかりやすさ」との戦いが常につきまといます。特に私はわかりにくい作品を作るのが好きなので、すごく葛藤があるんです。

どういう葛藤かと言いますと、「わかりにくい作品を作るのが好きなんだけれど、本気を出せばわかりやすい作品だって作れるんだぞ。」と、いつか知らしめたいと思っているのに、やっぱりわかりにくい作品が好きだから、結局わかりにくい作品が完成してしまうことなんです。なんか回りくどい言い方ですね。

もっとわかりやすく言うと、わかりにくい作品を作るのが好きだけど、わかりにくい作品だとウケない、売れない、ヒットしない、でも作りたい、という葛藤でしょうか。

わかりにくい作品が完成してしまう理由は、私の趣向が一番大きいと思います。ちょっと珍しいモノが好きなんですよね。哺乳類だったら、ライオンとかキリンにはあんまり興味はなくて、ツチブタとかカモノハシに興味があります。魚だったら、マグロとかサメとかではなく、タウナギとかミミズハゼとかに興味があります。焼き鳥だったら、モモとかササミよりも、ハツモトとか背肝とかが好きなんです。サイゼリヤのメニューで言うと、あ、もういいですね。

まあそんな事もあって、私はわかりにくい作品を作ってしまうんです。でもいつか、わかりやすい作品を作ってやろうとも思ってるんです。わかりやすい作品を作って、お金を儲けたいとかではありません。自分が作った作品と観客がガッチリ握手出来るような作品に憧れるんです。

私は、新海誠監督の『君の名は』を観た時に、こういう映画が作られて、ものすごい多くの観客が観て、いろいろ語っているのって、すごく良いなと思ったんです。作り手と観客の幸せな関係だなと思ったんです。映画ファンを超えて、普段映画を観ない人たちともガッチリ握手をしている感じも素敵だなと思いました。そして、「いつかこういう映画が作りたいな〜」とも思ったんです。

一方で、私が作りたいと思うのは勝手ですが、作る能力があるかどうかは別の話になって来ます。たぶん、身近なプロデューサーやスタッフですら、「平林じゃ無理じゃね?」と思っていると思います。今まで作ってきた作品にことごとくヒネリを加え、「今度こそエンタメに振ると思ったら、またラジカルやっちゃったよ…」と思っているに違いないのです。「そんな事だから、あんたは売れっ子になれないんだよ。いやそもそも、観客と握手したくないでしょ?」と確実に思われているに、3000点かけてもいいです。

いやしかし、私はもともと広告をやってたんです。今だってやってますよ。広告と言えば、「わかりにくい」はご法度です。CMが世の中に出るまでに沢山のフィルターがあって、わかりにくいモノは確実にどこかのフィルターに引っかかるので、世の中に出る事はありません。私はそんな世界でずっとやってきたので、むしろ「わかりやすい」は得意なんです。「どうやったら最大限伝わるかな?」ばっかり考えてきましたから。

ちょっと話はズレますけど、広告をやってきて良かったことと言えば、「その狙いが、狙い通りの形にアウトプットされているか?」の自問自答を、常にしてきた事ですかね。

例えば、クライアントに「このCMはもっとポップに明るくしたいんですけど。」と言われた時に「いや、私の中では明るくしたつもりなんです。」なんて言っても通用しません。狙いが、誰もが納得する形としてアウトプットされてないと、先に進めない世界なんです。少なくとも、クライアントは納得させなければなりません。「私の作家性で言うと、これは十分に明るいし、これが正解です。修正出来ません。」と言ったら、次から仕事が無くなります。CMディレクターは作家じゃなくて職人ですからね。

特に私は、より職人的なディレクターとして仕事を受けて来ましたから、職人的な結果を求められる事が多いんです。しっかり送りバントを決められるCMディレクターって感じでしょうか。私が職人であり続けるために、常に「その狙いが、狙い通りの形にアウトプットされているか?」を自問自答していたんだろうと思います。そこが私の能力の中の、お金になる部分ですからね。作家性ではないんです。

「その反動で映画は無茶苦茶なんですね。」と言われたことは数知れず。全然そんな事無いんですけど、説明するのが面倒くさいんで「仰る通りです!」と答えて来ました。無茶苦茶に見える映画も、実は当初の狙いが狙い通りにアウトプットされているんです。作ったら全然違っちゃった、という作品は一本もありません。逆に言うと、そこが私の作品の「硬さ」ということも自覚しています。

上記の通り、私にはわかりやすい作品を作るチカラがあるはずなんです。なんて言ってもしょうがないので、わかりやすい作品を作って見せないとダメなんですよね。

そして、わかりやすい作品を作ろうと思って企画を作り、シナリオを作り、撮影して完パケると、結局わかりにくい作品になっているという、この堂々巡り。どこかで断ち切らなければと思うんですけど。

どこでいつも狂っちゃうんだろう?と考えてみると、企画の段階で狂ってますね。狂いが早い、早狂い(はやぐるい)、早狂(そうきょう)。そんな言葉無いですけど。

まあいいや。今後も葛藤し続けよう。

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