いやしかし日記
いやしかし、「私はこうやって30年間プロをやっている」という話よりも、「私はこうやって1年前にプロになった」という話の方が読まれる傾向がある気がします。それにはいくつか理由があると思います。
まずは、リアリティがあるからでしょうね。1年前に漫画家になった人の話や、1年前に小説家になった人の話や、1年前にカメラマンになった人の話は、それを目指している人にとってはお金を出してでも知りたい情報でしょうから。1年前と言われると、自分にもチャンスがあるかも知れないと思わせますしね。
一方で、30年間プロをやっている人の話は成功者の話になってしまいます。自分とは生きている場所の違う成功者の話は面白いですが、読んでいる人にとってのリアリティはありません。だから余り興味を惹かれないのかもしれません。
もう一つ理由があると思いまして、1年前にプロになった人の話はフレッシュなんですよね。クルマの免許取り立ての様な緊張感があるので、物事を見るセンサーの感度がマックスまで上げられています。ある意味ではその職業の本質を取らえている可能性がある気がするんです。
一方で30年間もプロをやっている人は、成功も失敗もたくさん経験して、客観視が行くところまで行ってしまっています。「それが本質かも知れないけど、本質ではないかも知れない。」という心境に至っています。そういう人の話は抽象的になりがちです。「寿司なんか誰でも握れる」みたいなことを平気で言ってしまうんです。
寿司なんか誰でも握れると思ってたけど、知れば知るほど簡単には握れなくて、やっと握れるようになったけど、理想の寿司は握れなくて、30年続けてたら「これが寿司かな?」と思えるものが握れるようになった。だから、寿司なんか誰でも握れるんですよ。という前段がすべて語られないから訳が分からなくなるんです。
そういう意味でも、1年前にプロになったばかりの人の話は具体的な事ばかりなので面白いんだと思います。30年間カメラマンをやっている人の「シャッターは自分で押すんじゃなくて被写体に押されるんだよね」という話よりも、「SDカードを初期化しちゃってデータが全部飛んだんです」という話の方がリアリティがあって面白いんだと思います。
一流が一流の指導者になれないのは、抽象的に物事を語るからなのかも知れません。恐らく部下が育たない優秀な上司も同じ理由だと思われます。
いやしかし、都知事選が終わりましたね。久しぶりに良い意味でも悪い意味でも面白い選挙でした。すごく安っぽい印象の選挙でしたが、何かが大きく変わる予兆な様なものも感じました。良くも悪くもですよ。
何となくフッとよぎったのは、あと数年後には、いまの段階で名前も存在も知らない人たちが政治の中心にいるかも知れないという事です。旧態依然とした今の政治家は極少数しか残ってないかも知れません。
恐らく新しい考えの保守や、新しい考えのリベラルが出てくるはずです。保守でもリベラルでもない人たちも出てくるはずです。だって、今って多くの人の受け皿が無いんですから。蕎麦屋に行ったら蕎麦が売り切れで、いなり寿司とおにぎりしか無い様な感じです。仕方がないから、蕎麦のメニューを見ながらいなり寿司を頼んでるんです。
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