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noteは自分だけの基地

私はnoteで言いたいことを言ってますが、ほっとひと息つける場所でもあります。世の中には義憤を感じる事件や問題もありますし、自分の身の回りにだって解決出来ないいろいろな問題があります。

そんな実社会のあれこれを感じながらnoteという基地に戻ってきた時、ここは私だけがいる場所なんです。誰からもプレッシャーをかけられてませんし、誰かに忖度する事もありません。完全に私が100%コントロール出来る場所です。書きたい時に書いて発表したい時に発表するんです。まさに表現の自由そのものです。

noteを書いてる時はコックピットにいるような感覚です。完全に1人だけの世界です。そしてすごく心地のいい時間でもあります。あまりにも心地がいいので、私はnoteの更新頻度が高いんだと思います。コンテを書いたり映画の脚本を書いたりするよりも、noteを書いている方が心地がいいんです。それは完全に自由だからです。

もう少し具体的に言うならば、勝手にやっている自由さです。無知の自由とも言えます。意識としては素人感覚です。言葉遣いとか文章の構成とかを意識してしまったらツラくなって書かなくなると思います。コピーライターの人がSNSであまり発信しないのは、仕事と同じ脳が働いてしまって疲れるからなんだと思います。

私も気軽に映像を作ってアップするのは無理です。もはや素人として映像を作ることが出来なくなっているからです。映像文法や編集のルールや完成度を知りすぎてしまっているから、気楽な動画を作るだけでも疲れちゃうんです。

あるいは、旅行に行ってきた写真をインスタあたりに10枚アップするとして、その10枚の順番とか色味の調整とかを考え始めると疲れちゃうんです。撮れている内容はいいのにハイが飛んでいたらもうイヤだったりするんです。映像とか画像は私にとっては素人感覚で扱えないものになってしまってるんです。だから私のインスタは単なるスナップ写真ばかりです。あえて適当にすることで疲れないようにしています。

それに比べて文章は気楽なんです。noteを始めて良かったなあと心の底から思ってます。人によって気が楽なアウトプットの種類はいろいろあると思いますが、私の場合は文章なんです。文章とはずっとこのままの距離を保って行きたいと思ってます。

映像はまさに私の仕事なので、趣味として気軽に取り扱えないのはしょうがないと思ってますが、仕事ではないのに距離感が難しいのが英語です。私が英語を使ってお金を稼ぐことは無いですし、英語力によって今後の人生を切り開いてく事も無いと思いますが、もはや文章を書くように気軽に自由に扱えるものではありません。文法とか発音の呪縛でしょうね。ルールにがんじがらめになって前に進めない最高峰は英語です。

私がこうやって文章の素人として気軽にnoteを書けるのと同じ様に英会話を捉えることが出来ればどんなに楽かと思いますが、もはやその催眠術を解くのは難しい気がしています。文法と発音の呪縛が、脳の深いところに刷り込まれてしまっている気がしています。

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