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仕事としての映像

私は映像の仕事を始めて25年ぐらいになります。私は本当はポスターを作るアートディレクターになりたかったので、学生の頃の自分に「オマエは将来、アートディレクターにはなれずに、映像のディレクターをやってるぞ。」と言ったら絶望してしまうかも知れません。

私が学生だった頃の映像の仕事のイメージは、適当、雑、ノリだけ、みたいなイメージがありました。デザインの仕事は紙質へのこだわりから始まり、文字と文字の間隔、印刷された文字と紙の断ち落としの距離へのこだわり、などなど「完璧こそ正解」という印象がありましたし、実際に私が就職したライトパブリシティという会社は「完璧こそ正解」という会社の元祖みたいなところだったので、2年半という短い時間しかいませんでしたけど、「完璧こそ正解」という意識は刷り込まれた気がしています。

私がやりたかったのは「完璧こそ正解」という世界だったので、映像業界に足を踏み入れた当初はフラストレーションがありました。一番納得行かなかったのは、画面の中にレイアウトした文字とテレビのフレームの距離をコントロール出来なかった事です。デザインで言うところの、印刷された文字と紙の裁ち落としの距離です。

当時のテレビはブラウン管だったので、各家庭で見え方がバラバラだったんです。ブラウン管というのは100%全部を表示できないので、基本的に外側の10%は見えないつもりで作らなければなりません。だから大事な情報は必ず90%以内に入れるようにして、テロップは80%以内に入れなければなりませんでした。そうしないと、ある家庭のテレビではテロップが切れてしまうからです。

だから、いくら編集室でデザイン的なギリギリな詰めをやっても、視聴者にはその詰めが届かないんです。それは色もそうです。プロの現場ではマスターモニターという基準となるモニターで色を決めるんですが、家庭に届く時には各家庭の設定によって色が全く違ってしまうんです。デザインをやっていると、自分がOK出した色と、実際に世の中に出回る色が違うなどということは許されません。実際には新聞広告なんかは色がかなり変わってしまうこともありますが、映像ほどは変わらないんです。

今は、100%近く表示されるテレビがほとんどですし、ネット上にある動画は100%がきっちり表示されます。デジタルデータだから当たり前の話なんですけどね。でも、色はブラウン管時代よりももっとバラバラになってしまった気もします。プラズマテレビまでは色の再現度も高かったんですが、液晶テレビはもう絶望するぐらいにバラバラです。

そんなこともあり、映像の仕事は「完璧こそ正義」という人たちには向いていません。アートディレクターがCMに参入してくる時代がありましたけど、やっぱり「完璧こそ正義」を求める人にとって、映像はフラストレーションがたまるメディアなんだと思います。

そんな私も完璧な映像業界の人間になってしまいました。なってしまったと言うよりも、映像業界が向いていたんだと思います。私は3日も4日も人に会わずに部屋にこもってデザインと向き合うような仕事は出来ないんです。ロケハンに行ったり、撮影に行ったり、編集室に行ったり、そこでいろいろな人と話をしたり、そういう仕事が向いてたんだと思います。

最近は、CM業界に入ってきたのにすぐに辞めてしまう若者が多いと聞きます。私の推測ではありますが、「B to C」と思っていた仕事が実は「B to B」だったという失望もあるんじゃないかと思います。「B to C」というのは、映像を作りそれを視聴者にダイレクトに届ける事です。映像を作るんだからそれが当たり前に思うんですが、広告の仕事は基本的に「B to B」です。会社対会社の仕事なんです。視聴者が喜ぶことではなく、お金を出している会社が喜ぶ映像を作る仕事なんです。視聴者に人気のあるCMディレクターという基準はなく、ビジネス映像界で人気のあるCMディレクターに仕事が集まるんです。

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