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緊急事態宣言が解除された

緊急事態宣言が解除されました。いままで人々の中に恐怖を注入することで、感染の広がりを防いできた気がしますが、ここからは恐怖を抜いていく段階なんだと思います。漬けすぎてしまった漬物の塩を抜く感じと言いますか。だいぶ漬かってると思いますからね。恐怖漬け。

恐怖漬けの状態だと、解除されても動かないんだと思います。もはやそこにはフェンスや檻も無いのに、怖くて動けないんです。恐怖で動けなくすることで感染の拡大を防ぐ作戦を遂行した訳ですから、その恐怖を少しずつ解いていかないと、社会が回らなくなってしまいますし、自分の行動も無駄に制限してしまいます。催眠術にかかった人の催眠を解いてあげる事にも似てるかも知れません。

私はどちらかと言うと慎重派なので、勝手に恐怖漬けになりました。(マスクをするようになったのは、まあまあ遅かったですけど。)それは、自分と家族を守るという動物的本能なんだと思います。

一方で、医療体制が逼迫している時に感染したら面倒くさいぞ、とも思いました。これは感情ではなく理屈ですね。たぶん、どこに電話しても繋がらないだろうし、高齢者じゃない自分が感染したところで大切に扱われないだろうし、ホテルに隔離されるとなったら、その支度も面倒くさいし、などなど。

「面倒くさい」は「恐怖」と同等の抑制力がありますね。

私は映像業界で働いていて、ディレクターという立場なので、現場に行く仕事です。特に撮影はリモートでは出来ません。6月に入ってから、止まっていた撮影が一気に動くみたいですが、みんな恐る恐る始めるんでしょうね。

でも、私たちはここ3ヶ月ぐらいで、かなり科学的な知恵を付けたはずだから、以前とは違います。接触感染しないように手洗いをして、飛沫感染させないようにマスクをして、距離を取る。結果的には結構シンプルだなと思います。インフルエンザの時無かったのは、距離という考え方ですね。

そういえば、私はマスクに関してちょっと思うことがあるんです。世の中の大多数の人が使っているマスクって、網の目の大きさがガバガバだから、ウイルスは簡単に通り抜けてしまうそうなんです。だから、付けてる本人への感染防止には役に立ちません。一方で、付けている人が喋った時に出る飛沫は大きいからマスクで防げるそうなんです。

という事は、マスクをしている人は、出力は止まってるけど、入力は生きている状態なんですよね。だから、その場にいる全員がマスクをしていれば、その中に感染者がいたとしても、出力は止まっているから感染は広がらない事になると思います。でも、マスクをしていない感染者が一人いた場合、他の人はマスクをしていても入力は生きている状態だから、みんな感染してしまいます。だから、マスクをするなら全員一斉にしないと意味が無い気がしてるんです。って、言いたかっただけなんですけど。

撮影現場の話に戻します。そういう科学に基づいた感染防止対策は、だいぶ身につけたと思うんですけど、私達が以前と何も変わってないのは、忖度と言いますか、空気を読むチカラと言いますか、悪く言うと村社会の論理と言いますか、そこはまるで変わってないところが心配でもあります。

今後、撮影が再開された時に、いろんなところからガイドラインが出てくると思います。たぶん、インフルエンザ以上に厳しい条件を課せられると思います。その中に、「当日でも体調が悪いと思ったら無理して現場に行かない。」みたいな事が書かれると思いますが、ここが難しいんですよね。

例えば、20代で会社に入りたての社員が、ちょっとした体調不良を理由に当日に休む事を、上司に言えるかどうか。現場に行けない程の体調不良って、自分で判断するのは難しいですからね。熱も無いし咳も出てないけど、異常な下痢をしていたらどうなんだろう、とか。まったくもって元気なんだけど、臭覚異常だけで休むって言えるだろうか、とか。いや、今の20代の人たちは案外ハッキリしてるから、普通に言えるかも知れません。

問題は責任の度合いの高い人たちですね。そして、フリーランスという立場だったらなおさら。メインの出演者、監督、カメラマン、あたりが最もプレッシャーのかかる立場だと思います。出演者、監督、カメラマン、このうちの一人が当日の朝キャンセルしたら大騒ぎですから。

スタジオを押さえて、レンタルした撮影機材、照明機材を持ち込んで、助手も全員揃い、前日から美術を建て込んでいて、そこにかなりの金額がかかっている事を、責任の度合いの高い立場にいれば知っています。

それを知っていながら、臭いがしないだけで「今日は行けません」と言えるかどうか。熱も無いし、具体的な症状も無いんだけど、いつもと違う全身のダルさがある、みたいな状況で「今日は行けません」と言えるかどうか。まず言えないと思います。そして、当人が「行けません」と決めなくても、その症状を聞いたプロデューサーだって「来ないでください」という判断は、すごく難しいと思いますし、強烈なプレッシャーがかかる気がします。

日本人は特に、人に迷惑をかける事が本当に苦手ですからね。人に迷惑がかかるぐらいなら死んだ方がマシと、思っちゃうメンタリティの人は多いと思います。特に40歳より上の責任感が強い人達ですかね。そういう意味では、若い人たちには希望があります。キレ味がいい。人に迷惑がかかろうが知ったこっちゃない。そして、感染防止から言うと、その方が科学的に正しいですからね。

これらの問題点はハッキリしています。感染を個人の責任にしているからなんです。新型コロナの差別やイジメも、感染を個人の責任にしているから起きるんだと思います。台風が来たらロケが中止になるように、誰が感染しようと、それは個人の責任ではなく、自然災害という捉え方にした方がいいと思います。事実、これだけ世界中に広がっているのは、自然災害みたいなものですから。

と言え、じゃあ当日かかった1億円、誰が払うの?という話になって来ますよね。もう、映像業界全体で「新型コロナ保険」みたいなのを積み立てておいて、そこから払うとかにすれば良いのかも知れません。「誰が」という特定の責任が発生する場合、必ず隠蔽もしたくなりますから。

いろいろ考えると、もう本当に面倒くさいですね。あ〜面倒くさい。

「新しい生活様式」などと言われてますけど、新しい価値観や、新しい責任論、新しい思考方法みたいに、人間の中身が変わらないと、それを定着させるのは無理だと思います。

でも、希望が持てるのは、緊急事態宣言期間中にステイホームして、強制的にリモートでの仕事をして、それが普通に成立することをみんなが体験したことだと思います。

満員電車、無くなれ!

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