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ノクチルと「都会」


「シャニマスのコミュで一番好きなのは何か?」と考えたとき、いろんな候補がある。ただその中でも【HAPPY-!NG】市川雛菜の「P-each」はかなり自分にとって格別なものであると思う。

平日の昼過ぎに、電車を待つ間に雛菜とプロデューサーがジュースを飲む。そして、将来のこともちょっと考える。本当に大雑把に説明すればこのような内容だ。(間違ってたら死刑)そして、僕が私はあのコミュの「静かさ」が本当に好きだ。

あの静かさ、空気感は私が見た「東京」の景色を思いさせてくれた。


約数年前、まだ僕が片田舎の無邪気な少年だったころに抱いていた東京の印象は「騒がしさ」そのものだった。

朝のニュースで映るスクランブル交差点、スーツがスーツに押される満員電車、帰省ラッシュの東京駅。とにかく都会というのは人が多くで騒がしい。そんなイメージを持ったまま自分は育ち、やがて東京という存在はただの都市の名前から、田舎の屈託さを打破してくれるユートピアのような存在と思うようになった。


そして高校3年生の秋、僕は久しぶりにそのユートピアを訪れた。中学ぶりに訪れた東京は、この数年間の世界の変化を直に受けていた。

それでも「騒がしさ」は残っていた。
そう感じさせてれたのは、僕が待ちわびていた都会の秋晴れの風景と、ノクチルの「いつだって僕らは」のメロディが重なった時だった。新幹線が加速度を下ろす。するとぎゅうぎゅうと立ち並んだたアパート、向こう側には平行に寝転んだ何本もの線路が目に入る。それと同時に、透明感のあるイントロが始まる。窓から見えた日の当たる線路越しの坂を、ノクチルの4人が歩いている光景がたやすく思い浮かんだ。

これはあまりにも感動してApple musicをスクショしたやつ

この時、ノクチルは、「都会」で育った女の子達なのだな思った。実際4人の出身地のうち3人が東京出身であり、残りの市川雛菜も神奈川県出身といういわば都会的なユニットだ。「いつだって僕らは」という曲は、きっと都会の狭さ、忙しさ、騒がしいさの中で過ごす青春の中でより輝いているのではないか。そんな風に思った。

実際、これは個人の経験だが、「いつだって僕らは」を聞いていたとき、何となくの違和感があった。この曲はシャニマスのなかでもトップクラスに好きな曲だったので、何度も聞いていた。しかし、何となく理解しがたい曲でもあった。
きっとそれは「都市」の違いなのかなと思った。遠くまで田畑の広がる場所で人生のほとんどを過ごしていた自分にとっては、都会の女子高生など想像することができなかった。これは本当に個人の感覚であるので、あまり誰かの共感を得られるかどうか分からない。だが東京の景色が目に入った時、それにイヤホンから流れる4人が駆け出すようなメロディが重なった時の鳥肌の感覚を私は忘れることができなかった。

その次の年の2月。私はその鳥肌の感覚を覚えたまま、志望の大学を受験するため東京を訪れた。どこか一校、どこか一学部に受かることさえできればあの日僕が憧れた「ユートピア」を手にすることができる。そんなワクワクと、どこも受からなかった時の不安を合わせ持ちながら数日間の都会でのホテル暮らしは始まった。大都市にあるホテルの周りはとても騒がしかった。深夜であろうと街の明かりは消えない。深夜であろうとどこからかパトカーの音が聞こえる。その音で目が覚める度に「いやGTA5か」と突っ込みたくなった。だが、それは同時にあの日感じた忙しさと鳥肌の感覚は、確かに間違っていないということを示してくれたようだった。

そんな受験の日々の中、一日だけ休息日があった。せっかく東京にいるので、聖蹟桜ヶ丘までいって聖地巡礼でもしようと思った。だがそういうのはゆっくり回るのが花だと思い、その代わりに自分が通うことになるかもしれない大学のキャンパスを見学することにした。

そこで僕は人生で初めて「京王線」というものを使い、初めて山手線圏内から脱出することになった。その経験はいかに自分の思い描いていた「東京」は偏見に満ちていたかを痛感させた。

すべての目的地の見学が終わり、最後に見学した大学の最寄り駅に着いた。その時、私はあまりにも驚いた。

平日の昼間、プラットホームにいるのは自分しかいない。次の電車が来るには10以上もかかる。車の音も、電車の音も聞こえない。聞こえるのは、自分のスマホのタップ音と名前の知らない鳥のさえずりだけだった。

静かだった。東京のすべての自然的な静かさは、都市が持つ忙しさないし騒がしさによって駆逐されつくしたという考えは、全くのイメージだけのものであり、全くのニセモノであった。

そして、今思えばこのような光景と雰囲気こそが、あのコミュの中で二人を包んでいたのではと思う。実際、コミュを拝むことができたのは受験がすべて終わった後であったが、そのコミュを読んで真っ先に思い浮かんだのはあの駅の光景だった。平日の昼間、普段いるはずの学校という場から離れ、次の電車を待つ雛菜とプロデューサーを包むあの空気感は、もはやフィクションではない。そうまでも感じさせた。

今もノクチルは確かに「都会的」であると思う。ただ、それは忙しさだけの都会ではない。静かさの都会でもある。そう思ったとき、ノクチルというユニットが持つ、言葉には表しにくい潜在的な魅力を知った気がした。



つまり、何が言いたいと言えばノクチルないしシャニマスのコミュは最高だと言うことです。というわけで、4月20日から「運命の再会ガチャ」が始まります。「なんか引き尽くしたし特に欲しいキャラないなぁ」と思う方がいらっしゃったらぜひ【HAPPY-!NG】市川雛菜はおススメです

また、この記事を読んで「ちょっとシャニマス気になるな...」という方がいたらもう今すぐに始めてください。すぐにです。Right now!!


...と最後にお茶を濁す形になりました。
こんなつたない文章をここまで読んでいただきありがとうございました。自分自身、何か自分の好きなコンテンツについてインターネット上に文を載せるという経験が今回が初めてでしたので、至らない点しかない文章であったと思います。また、思いっきり個人の経験と感覚を結びつける自分語り的文になってしまったのは大きな反省です。
以後、また何かこのようなnoteを書くときには、より自分が納得して読んでくれた人に新たな観点をちょっとだけでもプレゼントできるような文を書けるように頑張ります

最後まで読んでいただきありがとうございました。







東京という街は私たちのイメージほどに白か黒、光と影の街ではない。「中間」というものは間違いなく存在していて、むしろそこにある光と影のグラデーションは他に類を見ないほどに広い。 
そんなことを教えてくれるようだった。