平澤、ネギを拾う

ゴミ袋に洗濯物をいれて、コインランドリーに向かう。そしたらコインランドリーまでの途中で、自転車に乗ったお母さんと子供が通りすぎていきました。
「幸せそうな親子が通り過ぎたな」と思ったら、ガサって何かが落ちる音がして、振り返るとそこには長ネギが落ちてました。
ビニールで包装されてて、長野県産って書かれてるから、ちょっとだけ良いやつっぽい。「うわ落としちゃってる」と思って、道のど真ん中に落としてたから、邪魔だから拾いました。でも拾った後に気づきました。

「このネギはどうすれば良いんだ?」

ネギを落としたであろうお母さんはすぐには戻ってこないので、たぶんまだ落としたことに気づいてない。けどもう拾っちゃったから、俺が床に置き直すわけにはいかない。ここで俺が床に置いたら、俺が道路に急にネギを置いたやつになってしまう。

「ムズイ、難すぎる。」

もしこの後お母さんが気づいて、ネギ取りに来たら、「あれ、ネギがない!」ってなって誰かにネギを盗まれたと思うかもしれない。
それどころか、どこにネギを落としたか分からないから、通った道にネギがなかっので、そのままスーパーにまで戻って、レシートを見せつけて、「購入したのに、ネギが袋に入ってなかったです。ネギください!」と店員に押しかけ、「いやそれはちょっとこっちの責任とは言い切れないんで」「でもそっちの責任の可能性もありますよね!」って揉め事がお頃かもしれない。それは店員さんに申し訳がない。
本当ミスったと思った。「なぜ俺はネギを拾ってしまったんだろう」

こういうことが学生時代から多い。
みんながやりたがらないのら、グループの班長とかを「じゃあ俺やるよ」って自分から立候補して、自分から立候補したのにも関わらず後から「めんどくさい、なんで立候補したんだろうと」後悔する。

ネギを拾ったのは完全に善意でしかない。
このまま道路の上にあったら、車にタイヤで轢かれて、潰れたネギが道中に飛び散って、みんなが嫌な思いをする。
だから俺はネギを拾ったのに、このままネギを持って動いたら、俺が悪い人みたいになる。

ネギめ、、、

片手にゴミ袋に入った洗濯物、片手に長ネギ、見たことない組み合わせを両手に持って道に立っている僕は、道ゆく人の視線を集めていました。
一旦ネギを持ってコインランドリーに行き、洗濯物を洗濯機に入れた後、仕方がないからネギを水戸黄門の印籠のように、向かってくる人に見せつけるように持ち、もしネギを落としたことに気づいてお母さんが戻って来たら、「あ、この人がネギを拾ってくれたんだ」と気付けるようにし、そして、決して盗んだわけではないと言い訳をしようとイメージトレーニングもしながら歩いた。
いきなり「いや違うんです。盗ろうとしたわけじゃなくて」って言い訳を始めると、逆に盗もうとした人みたいになるから、ここは「ああ良かった、落としたことに気づかず戻ってこなかったらどうしよう?って思ってたんですよ」と誠実な青年感をだそう。ネギを渡すときは、人にハサミを渡すときみたいに、二手に分かれてる方を自分に向けて、渡すのが正しそうな気がするから、逆の根っこの部分をお母さんに向けて渡そう。
そう思ってたら家に着きました。

まずい

どうしよう、どするのが正解かと思ったけど、もうここまできたら仕方ない。覚悟を決めて、僕はネギを持って家の中に入り、冷蔵庫にしまいました。

その日の夕飯、炒飯の中には刻んだネギを多めに入れました。
ネギを落としたお母さん聞こえていますか?
「すいません、ネギが落ちてたので持って帰ってしまいました。」
「決して盗もうとした訳ではなく、誰かの迷惑にならないように善意で拾ったのです。」
「でも結果的に持ち帰ることになってしまったことは申し訳なく思ってます。」

そう思いながら食べる炒飯は、いつもより少し味が薄かったです。

暖々日和
平澤

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