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わたしのはなし


岩手に帰りたいのに
もし自分が保菌していたらと思うと怖くて
家族や友達にもしものことがあったらと思うと悲しすぎて
帰れない現実があって

久しぶりに、岩手に帰りたいようとひとしきり
一人で泣く夜です。

こんな時間になってしまいました。

先日散ってしまった私の桜の話を
母にもしたら
予想以上に心配をかけてしまって
いつも早寝の母がさっきまで私にひとしきりLINEで励ましてくれたので
それも相まって苦しい寂しい夜です。

本当に自分がしたいことはなんなのだ??

今日ずっと考えて
きっと芯にあるのは東北への想いに違いないと確信しました。

大好きな地元、大好きな岩手、大好きな亘理に311で奪われた全てのもの、命。

みんなが知らないだけで
この街はもっとよくなる。

氷見に行った時、Uターンでビアバーを作った方にそう言われて
大学に行く人もいない地域で私が大学に来た意味はなんだったんだ、ごめんよ今まで気づかなくてごめんよと。

氷見のあの小さな町屋で泣いた日に気づいたのでした。

お兄ちゃんだって
大好きな幼馴染だって
岩手であんなに頑張っているのになんで気がつけなかったんだろう。

私は、東北の未来の可能性を広げるために
一つの手段として、広告か出版のお仕事がしたいのだ。

小さなことを大きく広めたくて、そんなお仕事をしたいと思ったのだ。

最終で落ちたのは
もしかしたらこの気持ちを少し忘れたまま行っていたからかもしれないな。

目の前の内定より
岩手の美味しいご飯、岩手の丁寧な暮らし、岩手の職人技、が将来大きく広がることを望んだはずだったのに。

急がば回れとはまさにこのこと。
井の中の蛙、また別の井の中しか見えていなかった。

東京に来て、
もう東京の人っぽく、あるいは東京の波に乗っている人っぽく、
自分を偽るのはやめようと、心の中では
2年生で気づいていたはずだったのに、
就活ではなぜかそれをやってしまったなあ。

そんなことしたら
私には何もいいところがないじゃないか。

話がつまらんでも
田舎もんでも
金がなくても
それが私なのだった。。


こんな日は
お母さんのお手紙を読み直す。

母は私を大学に行かせることができたことを
ほんとうに嬉しそうに語る。

驚かれることが多いけど、
ほんとうに私の地元は大学に行く人が少ない。

お母さんありがとう。

昔、お母さんはおとうちゃんの暴力を受けていたので
鬱だった。

お母さんに一緒に死のうと言われ
抱きしめられたことは今も忘れてないよ。

母は強い。そんな人の娘だからわたしも強く生きるよ。


おやすみなさい。

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