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10シーズン越しのスクデット



インテルが優勝した。


文字だけ見ると本当にそっけない。毎年決まるセリエAの王者が、今年はインテルだったと言えばそれまでだ。


ただインテリスタ、そして私にとって、この文字は特別な10文字である。


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2010年、インテル・ミラノは名将ジョゼ・モウリーニョの下で、イタリア史上初の三冠を達成した。


当時まだ小学生だった私の記憶に残っているのは、意外にもビッグイヤーを掲げるサネッティの姿ではない。なぜならその時私はサッカーというスポーツに興味がなかったからだ。私がサッカーの海に溺れるのはインテルが優勝してからちょっと後、南アフリカW杯でとある選手のフリーキックに衝撃を受けてからだった。まあそんな個人的なことは置いといて、話はインテルとの出会いに戻る。


その年の12月、たまたまテレビで見たクラブワールドカップで、私は当時のインテルの凄さを目の当たりにする。


GKをやっていた私にとってその大会の注目選手は、独特のダンスで話題を集めていたマゼンべのGKキディアバだった。

味方がゴールを決めると尻でピッチを軽快に飛び跳ねたキディアバ。

だか彼のダンスは、インテルとの決勝では見られなかった。


欧州王者インテルはアフリカ王者マゼンべに圧勝した。その時すでに監督はベニテスだったが、まだサッカーに出会って数年の小さなサッカー少年に、当時世界最強のチームは大きな衝撃を与えてくれた。



それからほどなくして、気になる存在であったインテルに日本代表長友選手が加入。日本人がいる+イタリアの三冠チームということでスカパー中継も増え、少しずつインテルの試合を見始めるようになった。


私の当時のアイドルはスナイデル。いまでもファンタジスタが好きなのは彼の影響だと思う。自分が真逆のタイプのプレイヤーだったので、こんなプレーができればサッカーはもっと楽しくなるんだろうという憧れを抱いていた。


ほかにもサネッティ、エトー、ミリート、サムエル、ジュリオセザール、マイコン、カンビアッソ、スタンコビッチら名選手たちのプレーを見て、その10000分の1のクオリティでも盗んでやろうとに練習に励んでいた。結果的に盗めたのはジュリオセザールのセービング方法の超絶劣化版ぐらいだったが、それで何点ぶんか生涯失点が減ったので感謝している。




しかし、最高到達点から見始めるファンにとっての試練、クラブの低迷が始まってからは、インテルとの距離が少しずつ離れていった。


毎年のように繰り返された監督交代、三冠メンバーの退団など、少しづつ歯車の狂っていくインテルを見ながら、何とも言えない気持ちになり、「今年もダメなのか、、、」という思いが生まれてしまった。

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転機は17-18シーズンに訪れる。イタリア随一の戦術家、ルチアーノ・スパレッティの監督就任である。


そのころ私は高校受験&プレイヤーとして多忙というのもあって、なかなかインテルの試合を追いかけるのは難しかったが、今回はこれまでとは違うという”いつもの”感覚があったのを覚えている。


だが本当に違ったのだ。びっくり。インテルはこの年、7シーズンぶりのCL出場権を獲得した。

強豪復活とはいかなかったが、何とかいるべき位置に戻ってきた。


いや違う。錯覚してはいけない。我らがインテルがいるべきは順位表の一番上である。



翌シーズンはアサモア、デフライ、ナインゴラン、ラウタロら積極的な補強を敢行。私の期待も徐々に膨らんでいった。


個人的な見立てではまだ優勝確実とは思っていなかったが(ゴメンナサイ)、スクデット争いを盛り上げるだけの人材は揃っていたと思う。


しかしこの年も順風満帆とはいかなかった。当時主将を務めていたイカルディがなんやかんやあってキャプテンをはく奪され、チームに揺らぎが起こってしまった。


ただそこはスパレッティ、チームを二年連続のCL出場に導き、それを置き土産にチームを去っていった。

彼の仕事ぶりは流石だった。彼がいなかったらいまだにインテルは闇の中だったかもしれない。そういう意味では、スパレッティもインテルの救世主である。


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別れを惜しむ間もなく、彼がやってきた。


ユベントス一強時代の礎を築いた、名将アントニオ・コンテである。



インテルは彼のリクエストに応えてさらなる大型補強を敢行。

ルカク、バレッラ、センシ、バストーニ、サンチェス、ゴディンらを獲得し、コンテのチーム作りを進めていく。


チームは序盤から好調を維持、新戦力と現有戦力はコンテの求めるサッカーへの理解を深めていき、順調に勝ち点を重ねていった。


冬の移籍市場では、ヤング、そしてエリクセン、モーゼスを獲得。

チームの層はますます厚くなり、スクデット獲得も現実味を帯びてくる。

CLグループステージ敗退となったが、ELでは順調に勝ち進み、ヨーロッパタイトル獲得も視野に入る中、前代未聞のアクシデントが起こった。


今も猛威を振るう新型コロナウイルスの流行である。

サッカーをやっている場合ではなくなり、リーグ戦も一時中断。

サッカーファンにとってはつらい時期が続いた。


その後リーグ戦が再開。

インテルはセリエA2位、EL準優勝と、タイトルには手が届かなかった。



数字の上では寸前に迫りながら、確かな距離を感じたタイトル獲得が目標となった今シーズン。新たにハキミ、ビダル、ダルミアン、コラロフといった実績十分の選手たちを獲得し、陣容を整える。


しかし去年感じたタイトルとの距離を、シーズン序盤から実感することになる。


リーグ戦ではなかなか調子が上がらず宿敵ミランの後塵を拝し、CLでは屈辱のGL4位フィニッシュ。CLはおろかELへの道も絶たれてしまった。


しかしインテルは折れなかった。序盤は安定しなかった守備も落ち着きを取り戻し、昨年から強烈な破壊力を見せていたラウカクコンビが躍動。徐々に調子を上げていき、冬の王者ミランにプレッシャーをかける。


個人的にチームの転機になったのはコッパ・イタリアのミラノダービーだと思う。


一時放出寸前だったエリクセンが劇的なフリーキックをぶち込んだこの一戦は、エリクセンにとっても、インテルにとっても大きな試合になったと今になっては思う。



この試合を機に徐々にエリクセンがスタメンに定着。これまで司令塔役を担っていたブロゾビッチのそばにエリクセンが加わることで、相手はボールの出所を押さえられず、インテルはゲームを掌握できるようになった。


コンテ・インテルが求め続けたプランBが遂に形となった。


そして首位に立って迎えた終盤戦。嫌でもスクデットを頭の片隅に置くようになった選手たちの動きが少し重くなってきたものの、インテルは順調に勝ち点を積み上げる。


そして迎えたクロトーネ戦。冬に放出寸前となりながらも自らスタメンを勝ち取ったエリクセン、今シーズン加入し右サイドを爆走、あのマイコンを彷彿とさせるような攻撃能力の高さを見せたハキミのゴールで勝利を掴んだ。



そして翌日のアタランタVSサッスオーロ。アタランタが引き分け以下でインテルの優勝が決まるという状況だったこのゲームは、両チーム退場者を出すなど非常に熱い試合になった。


終盤にアタランタが得た勝ち越しのPKチャンスをサッスオーロGKコンシーリが止め、そのまま試合は終了。


その瞬間、インテルのスクデットが決定した。


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インテルは遂に復活した。一人のサッカー少年がサッカー観戦が趣味の大学生になるまでの期間苦しみつづけたチームは、とうとう長いトンネルを抜け出したのだ。



ここまで導いてくれたコンテ、それからつらい時期もチームのゴールを守り続けたキャプテン、ハンダノビッチを中心とした選手たち、インテルのクラブ関係者、それからインテルを愛するすべての人たちが一丸となって手に入れた19回目のスクデットは、新時代のインテルの象徴になるだろう。


おめでとう、インテル!












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