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「月と蛇と縄文人」から学ぶ「精神性」
「豊さとは何か?」、「精神性とは何か?」
そのとっかかりとなる素晴らしい本、「月と蛇と縄文人」(大島直行著)。
少し、内容を紹介して、僕の考えを話したいと思う。
現代人と縄文人
現在の私たちは、おおむね経済的・合理的思考によって世界を理解し、説明する。
一方、縄文人は、神話的思考を使う。
どういうことか?
例を挙げてみる。
赤色は血の色で、「生命」の象徴だから、お墓にはベンガラ(赤い染料)を撒いて、復活を祈ろう。
蛇は「再生」の象徴だから、土器のデザインに取り入れよう。
などなど。
意外と、私たちにも未だに息づいている思考方法ではないだろうか?
合理性、経済性よりも、神話的思考によって維持されていた文明だったからこそ、縄文時代は1万年もの間安定して続いた。
そして、今の私たちをギョッとさせるような凄味のある作品を大量に残した。
豊さとは何か?
さて、冒頭の問いに戻ると、「豊さとは何か?」について、答えは二つあることになる。
1つには、「経済的豊さ」、もう1つには、「精神的豊さ」。
そして、「精神的豊さ」の前提となる「精神性とは何か?」という問いに対しては、「神話的思考」という答えになる。
では、「神話的思考とは何か?」と問うと、普遍的な「呪術宗教的心性」(エリアーデ)という答えになる。
赤色に染められた古墳の石室を見た時、「ゾワッ」という感覚が体を駆け巡らないだろうか?
蛇のようにうねり絡み合う2本の縄を見て、官能が刺激されないだろうか?
これが、「呪術宗教的心性」であり、「聖なるもの」に触れて圧倒されるココロだ。
ここまでの話をこんな風にまとめることができる。
経済的な豊さは、「快」を求める私たちの普遍的合理的心性に根ざしているので、人類にとって普遍的価値である。
同じく、精神的な豊さは、「聖」を求める私たちの普遍的呪術宗教的心性に根ざしているので、同じく人類にとって普遍的価値である。
世界各国の憲法において、「経済的自由」と「精神的自由」が普遍的な人権として保証されている。
これは、今話した二つの人間の普遍的心性に根ざしたものであるから、正しい。
縄文人は、神話的思考を追求して聖を掴んだという点で偉大であり、現代人は経済的・合理的思考を追求して快を掴んだという点で、これまた偉大なのだ。
学べば学ぶほど、人類のスゴさに驚かされる。
しかし、僕が残念に思うのは、この両方の自由を享受している人が余りにも少ないということだ。
ほとんどの人は、経済のために精神を犠牲にしているし、一部の者は、精神のために経済を犠牲にして、変わり者と呼ばれている。
なんと勿体ないことだろう。
真の豊さへ向けて
この現状を打開するのが僕の使命だと考えている。
だから、「投資」「芸術」「宗教」を極める共同体を構想している。
経済的・合理的思考を突き詰めて、投資を行い、お金をバンバン稼いで、快を追求する。
呪術・宗教的思考を突き詰めて、感動的な美的、宗教的体験を味わって、聖を追求する。
ワクワクしないだろうか?
僕は、どれについてもそこそこイケるのだが(投資はかなり勝っている/芸術は絵がまずまず上手い/宗教は、大学時代に学んだサンスクリット語と哲学を生かした仏教理解には自信がある)、突き抜けてはいない。
僕は、あくまでジェネラリストであり、スペシャリストではない。
それぞれに特化して突き抜けた人間が、是非とも欲しい。
そして、他の人間をインスパイアして欲しい・・!
もう少し構想ができれば、本格的な募集に移る。
楽しみに待っていてほしい。
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