見出し画像

”農の最高傑作を創る!” 第五話 ひたすら情報収集

2015年は、絵を描くように続けてきた空想農業に加えて、経営を学んだことでより現実的な考え方に変わっていくための、予備知識を貯め込んだ年でした。
営業マンとして働く中で、通勤時間や隙間時間や休日を利用して、農業に関係する知識や経験をただただむさぼっていました。

【はじめの一歩】

ほとんど「無」の状態の僕がまずやるべきことは、農業についての情報収集でした。
どんな農業があるんだろう?農業はどんな市場になっているんだろう?どんなお百姓さんがいるんだろう?本気になって考えてみたら、わかんないことだらけ。疑問が次々に湧き上がってきて、まるで水平線を眺めているような果てしなさを感じました。チキン野郎の僕は、前に踏み出すことさえためらってしまうようでした。
でも、踏み出してみるって決めましたし、こういう心持になった時の対処法は知っていましたので、ストレスを感じながらも前に進みました。
どんな対処法かというと、なんでもいいから体を動かしてやってみることです。一歩を踏み出すことで、今までとは景色は変わります。違う情報が入ってくると、次の情報が欲しくなったり新しい疑問が生まれたりします。やるべきこと、またはやりたいことが見えてきたりするわけです。

当時、買いあさった本のいくつか

とにかく、脳ミソと体を動かすしか方法はないなってマインドセットして、雑だったかもしれないけど動き出しました。
通勤の行き帰りの二時間は、スマートフォンでの情報収集に充てることに決め、農業についての過去も現在も未来についても、順番も何も関係なく片っ端から読んでいきました。本も買いあさりました。
「農」の文字が見えると皮膚がざわめくというくらいに、自らを洗脳していました。
隙間時間はすべて情報収集として活字のシャワーを浴びるという、いわば中毒状態にもしていました。

【さらにもう一歩】

もう一つは、実際にやってみることです。体を動かして、試してみることです。
活字を追っかけることよりもストレスは大きいのですが、間違いなくこっちの方が重要です。
ここでもチキン野郎の僕は、不安に駆られました。農業をやりたいとは言っても、一体どんなものかもわかんないし、僕にできるかもわからない。40歳を過ぎて挑戦できる分野なんだろうか。挑戦したところでベテランのお百姓さんたちに太刀打ちできるんだろうか。考えると不安で仕方がありませんでした。でも、笑っちゃいますよね。この時点では失うものなんか何もないから、不安になる方がおかしいんですがね。もう本物のチキン野郎ですよ。

こうして、一通り考えて、不安になって、そして結論が出ます。毎度同じ答えになります。「とにかくやってみよう」です。
今でこそこの思考クセがわかってきて、すぐに行動しようとなりますが、当時はとても一生懸命自分と闘って、大きなストレスがかかってようやく結論に達するというループを繰り返していました。

【先生としての父】

さて、どんなことから始めたらいいのだろうと考えた結果、趣味程度に畑作をやっていた父に教えてもらうことにしました。
普段あまり会話はないんですが、こういう時だけぎこちなく話しかけます。
バツ悪そうにしながら春に作業を始める野菜を薦めてもらい、まずは種を買うということからスタートしました。
種を蒔くための土も、買うようにアドバイスされました。え?土を買う?周りを見渡せば土なんていくらでもあるのに、買うの?
説明を受けても全然納得できませんでした。でも、まずは先生の言う通り聞き入れることにしまして、素直にホームセンターから買ってきました(今は自分の畑の土を採ってきて、少し手を加えて使っています)。
しかしながら、本当に何もわかりませんでした。
「へー、あの棚にたくさん差し込まれて並べられていた売り物の正体は種だったんだぁ~」と初めて気づきましたし、ホームセンターの園芸コーナーに積まれた袋の正体は、土や肥料だったんだぁ~と初めてわかったわけです。
土を買うというアクションについては、「育苗用」と書かれた商品を実際に見るまで、絶対騙されていると思ってました。「ホントかよ!ウッソー!土を買うのー?!」ってとっても不思議な感覚でした。
※いわゆる育苗培土として販売されている「土」は、生長に必要な肥料が配合されていると思います、たぶん。

購入した種

次にプランターを準備して、プラスチック製の網を敷いて、買ってきた土を入れます。種まきにそんなにノウハウがあるなんて思いもしなかった僕の前で、父は慣れた手つきで作業を進めていくもんですから、とても驚きました。まさか父がそんな知識を持ち合わせているとは思いもしなかったんです。不覚にも、(カッコいい・・・)と思ってしまいました。

いよいよ種を袋から取り出して土に落としていくんですが、当然作物によって種の大きさは大小バラバラ。トマトはこうやって蒔くんだ、カボチャはこう、ナスはこう、そして水はたっぷりかけておく、と父は淀みなく進めていきます。
(クソ―ッ、カッコよすぎる・・・)。歯噛みする僕。

父が先生

さあ、出来上がったと思いきや、そこら辺に置いていては、寒いから発芽しないと。お家の陽当りの良い出窓に持って行って、ビニールを被せて置いておくんだということで、素直に従う僕。
ん?これは父がよくやっていた光景だ。あの時はなぜお家の中に土を持ってくるんだよってウザかったけど、当事者になった瞬間肯定派に鞍替えするイヤな野郎になっていました。

悔しいけど、光り輝く父。片や、簡単に寝返った無知で情けない僕。
こんなことも知らないで、よくもまあ経営を学ぶ道場に身を置いたもんです。自分のバカさ加減に改めてゲンナリして、恥ずかしさで顔が赤くなるのを通り越して、青ざめてクラクラするようでした。

【植物を観察する自分】

さて、縮み上がるような状況の僕とは裏腹に、蒔いた種はやがて芽を出し、グングン伸び始めます。
ホント、感動でした。とても神秘的でもありました。なぜ多くの人たちが畑をやるのか、わかるような気がしました。反対に、なぜこれほどまでに惹かれてしまうのか、今でもわかりません。
小学校の低学年の時には、アサガオの観察実験はやりましたので、発芽は見ていたはずです。僕は、理科、中でも実験はとても嫌で、とても退屈な授業として記憶にあります。当時としては、アサガオが発芽したからといって、全然心が動かなかったと思います。それが、40才を過ぎた頃の僕はどうでしょう。土の盛り上がりに驚き、芽を出すと思わず声が漏れました。そして、双葉を広げると感嘆の声はさらに大きくなり、本葉を出す頃には涙を流しそうになっていました。
毎日毎日となりのトトロのメイちゃんみたいに、食い入るように見つめていました。

小さい頃の僕と、大きくなった僕とで、一体何が変わったんでしょうかね。何を足したり引いたりすると、植物に興味が湧くんでしょうね。不思議です。

やがてある程度大きくなった苗(「芽」から改名して「苗」。元服でもしたのかな)はいよいよ畑に植え付けられます。
父に手取り足取り教えられて、植え付け作業は進められていきます。
話はずいぶんハショリますが、畑に出てからの苗はグングン大きくなります。ヒョエ~!って感じ。そして、夏の日差しが強くなってきたころ、あの幼かった芽たちは十分な大人になって花を咲かせ、枯れ、花を落としながら実をつけていきます。小さく膨らんだ果実は大きくなり、赤く色づき始めると、待望の収穫となるのです。
月並みの形容ですが、ホント自分の子のようです。

トマト

【収穫!】

さて、いよいよ熟れた果実を頬張る瞬間となるんですが、この場面は自分の子のようではありません。僕は自分の子を食べませんので。
冗談はさておき、いざ果実を頬張ると、「ワオー!」、甘くてさわやかな味が口の中いっぱいに広がります!超感動です!最高を通り越して、向こうの世界へ持っていかれそうになります!
自分が種から手をかけた作物が、これほどまでに美味しい果実になるんだっていう感動、いや、美味しさも然ることながら、僕にもできたんだっていう達成感と、まだ小さかったけど生まれた自信。もう色んなものがグシャグシャになったような感動でした。

これら野菜たちが最も勢いのある8月中旬、大きな台風に襲われてボコボコに殴られ倒されます。
ボー然とはなりましたが、一続きの過程を経験して、僕の経験値は一気に伸びました。

【自然農をチラ見】

その他にも、知人を辿りながら野菜販売をしている方にお願いして販売を手伝わせてもらったり、農家さんに畑を見せてもらったりお話を聴かせてもらったりもしていました。
そんな中、僕の住む近所で農業に挑戦していた、某帝国大学農学部の博士課程を出た秀才の畑に取材に行きました。営業中のスーツ姿の革靴履きです。つまり、仕事をサボってです。
陰ながら「ドクタースランプ」と呼んでいる彼が展開する農業は、”自然農”と呼ばれるものでした。農薬も肥料も使わない農法だと言うんです。
農薬も肥料も使わないということが何を意味するのかは、まだまだ情報不足のその時の僕にはまったくわかりませんでした。
「へー、そんな農法もあるんだぁー」ってその時は情報の一つにしか過ぎませんでしたが、これがやがて、僕が選択する農法となるんですね。

あれもこれもと何も整理しないまま、雑食動物のように知識や情報を貯め込んでいる時期でした。2015年も暮れ始めた頃には、良いものも悪いものも、使える情報も使えない情報も、ずいぶんたくさん貯まっていたと思います。

第六話へ続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?