見出し画像

『小鳥ことり、サクラヤマのぼれ』21

 【最後の助け】
 
 さすがに今度ばかりはUNOをやる気力もなかった。
 団地の家に着いてすぐ、サエちゃんのうちに電話しようとした。だが、彼女がとうとつにこう言った。
「サエちゃん、おうちの電話番号しらない」
 持っていたゲーム機で家族と通信ができるかもしれない、とスガオが言ったが、さすがにあのすれ違い通信を見てしまった後では、誰もゲーム機を開く気にもなれない。
 結局、ヤベじいが山から戻るのを待つことになった。
 ヒワが急に気づく。
「ミチエちゃんたち、それにスガオくんもおうちに連絡した方がいいんじゃない?」
「だいじょうぶ」代わりにルリコが答えた。
「みっちゃんたちは電話で、夏休み最後の打ち上げで、うちに泊まるって連絡してあるし」
 スガオもルリコの顔をみてから
「オレもルリコに言われて、うちに電話した、夏休みの課題が終わらないからヤベさんちのケンちゃんにみてもらう、って」
 でも課題一式家に置いたままなんだよね……帰ったら何言われるか……スガオの顔は雲っている。
 家に帰っても、たぶん課題なぞ手につかないだろうが。
 それでも、あのとっさの状況でルリコはやはり、ソツがない、たいしたものだ。
 ヒワは改めて、ルリコの横顔に目をやった。
 いつものように無表情に澄まして見えるのだが、今日はそれが急に、頼りがいのある顔に思えた。
 シャワーを順番に浴びることになって、ヒワはありったけのタオル類をかき集める。
 まずはツヨシと姉のミチエとが入り、次にサエちゃんの身体はルリコが洗ってやった。
 ルリコが済むと次はスガオ、スガオはずいぶん時間がかかった。しかも湯の音も止んでいる。ツヨシに見に行ってもらうと、なんと、ため湯にして、風呂桶の中で爆睡していたそうだ。
 ケンイチはあっという間に済んだようだ。髪からぼたぼたと水を垂らしながら脱衣所から出てきて、ルリコに叱られていた。
「おにい、相変わらず頭拭かないんだから! 床が腐っちゃう!」
「はいはいすんません」
 ヒワはくすりと笑う。
 日常の欠片がふと、戻ってきたようだった。
 急に、空腹に気づいた。
「何か食べる?」
 その質問に、ミチエの「たべない」という答えとケンイチの腹がぐう、と鳴るのが同時に響く。
 ミチエが思わず笑いだした。
「やっぱり食べた方がいいかな、何がある?」
「カップめんしかないけど、あと、カップやきそば」
「ぼく、カップめん」
「じゃあ、ツヨシと私とで、半分こ」
「朝からラーメンかぁ、もたれないかな」スガオはぶつくさ言いながらも
「オレはヤキソバ」と顔を上げた。
「ラーメンもヤキソバも、もたれ具合いっしょじゃないの?」ルリコに突っ込まれて、スガオは口を尖らせて反論する。
「スープがない分、もたれないの!」
「はいはい。あ、ヒワちゃん、手伝うよ」
「ああ、いいって」立ち上がりかけたルリコを軽く押しとどめる。
「休んでて」
 ルリコはすなおにすとん、と尻をおとした。夜通し気を張っていたのだろう、すでに目がとろん、としている。 
 結局、オーダーは四個となって、ヒワは早速キッチンで湯を沸かし始めた。

「ヒワさぁ」
 カップめんにお湯を注いでいる時、ふいに脇から声がした。
 気づくと、ケンイチが立っている。
 今までにない、近い位置に。
 ヒワの鼓動がひとつ飛んだ。
「なに」
 あえてさりげなく訊いてみる。
「あの……」
 マイペースなくせに、いつもせっかちなケンイチが、珍しくことばを選んでいる。
「ルリコに聞いたんだけど、昨夜、かなりヤバかったって」
「うん」
「オレさ……」
「うん?」
「……なんかよく覚えてないんだけどさぁ」
「まあ、自力で歩いてたよ、みんなを引き連れて」
「そっか?」
「着いたら寝てたけどね」
 声も無くケンイチが笑う。
 居間が静かだったので、ヒワはケンイチの向うをのぞいてみた。
「みんなは?」
「ラーメンも待てなくて、うとうとしてる。スガオは爆睡」
 それから急に真顔になった。
「ありがとな」
「えっ」注ごうとしていた手元がくるい、熱い湯がカップめんのふたに当たって跳ねた。
「っつ!」
「だいじょうぶか?」
「もう……急にありがとなんて、何?」
「だってさ、オレやルリコだけじゃなく、あいつらも助けてくれて、しかもあの女の子も」
「……」サエちゃんの兄に、突き飛ばされた感触が急に蘇る。
「でも、」
 あんなに強い力だったのに。あんなに、みんなを守ろうとがんばっていたのに。
 ぐっと喉元に熱い塊がのぼり、声がつまる。
「……間に合わなかった子たちもいたんだよ」
「聞いたよ」
「……こわかった」
「ごめん」ケンイチが手を伸ばす。「ちゃんと守ってやれなくてごめん」
 ヒワは、伸ばされた腕の中にそっと入る。
「ヤカン、置けよ」
「わかってるよ」
 ヤカンを置いてケンイチにもたれかかる。ケンイチはヒワの身体をそっと、抱きしめた。
「えへん」
 咳払いに、急にケンイチが身を離す。
 えへん、えへん、と文字に書けるような咳払いの音を立てて、ルリコがキッチンの入口に立っていた。
「ラーメンと取り分け皿を運びにきたけど……おじゃまでしたか」
「うんホントじゃま」
 言いながらも赤くなったケンイチはぼさぼさの髪をかき上げてカップと箸の乗ったお盆をひとつ、もち上げる。
「おにい、スガオ起こして、湯は自分で捨てるよう言って」
 居間に去っていくケンイチを目で追ってから、ルリコがヒワの方を向き直った。
 ヒワは咳払いをする、「うん、あとひとつ、お湯がちゃんとね、入ってなくて」
「あんなアニキだけどさ」ルリコがまじめな顔で言う。
「なぜかモテてるみたいでさ……ヒワちゃん、横取りされないように、それと浮気に気をつけてよ!」
「そうなんだ、わかった」
 棒読みで答える。
 頼りがいのある顔だとは思ったが、本当に間が悪い。応援しているのか逆に邪魔しているのか、そこがまた不思議だったが、不思議な部分も含めてルリコらしさなのだろう、と結論づけてからヒワは残りの作業に集中した。
 
 ある程度お腹が満ち、気づいたらヒワも眠ってしまっていたようだ。
 コツコツ、何かが窓に当たる音で目がさめた。
 たいへん、ヤベじいが戻って来たんだ、そう思って何とか起き上がろうとするが、手足が重く、まぶたもなかなか開かない。うっすらと、周りの床に他の子たちが寝ているのが見える。誰も彼も眠ってしまったらしい。
 ようやくひじをついて起き上がり、カーテンの隙間から窓の外を覗いてみる。
 窓枠に、カラスが一羽止まっていた。
「……」
 ことばもなく、ヒワはカラスを見守る。怖いのは相変わらずだったが、夜中にあった出来事がふと目の前によぎった。
 カラスは確かに、助けてくれたんだ。
 思わず
「ありがと」
 黒い小さな姿に、そう声をかけていた。
 カラスはちらりと横目でヒワを見てから、大きく羽ばたいて山の方に飛んで行った。
 
 結局、ヤベじいは日が高くなってもやって来なかった。
「うちに帰って、連絡を待つよ」
「ケンちゃん」
 帰らないで、と言いたかったが、ヤベじいのことも心配だ。
「鍵、しっかりしとけよ」
「……わかった」
 ケンイチとルリコは、見た目では距離もあるのだが、どこか寄り添うようにヒワの家から団地の道を降りていった。スガオもふり返りふり返り、ミチエは文字通り、まだ眠たそうなツヨシを抱くようにして去って行った。
 
 結局、ヒワのもとにはサエちゃんひとりだけが残されていた。
 夏休み最後の日だが、とても出かけるどころではない。
 職員は出ているだろうから、サエちゃんの畠山小学校に連絡を取ろうかと思ったが、昨夜のメンバーに元白鳥小の教頭も混じっていたのをふと思い出した。こちらの小学校の教頭が絡んでいるのならば、すぐ隣の小学校、しかも同じ中学校区だ、アイツらの仲間がいないとも限らないではないか。
 では警察に? 
 ぷるぷると首を振る。山にはバトカーも来ていた。それに、学区から離れた所でも油断できない。菅田吉乃の件で警察がどんな判断をしたのかを思い返す。
 どうしても大人に連絡する気にはなれない。
 サエちゃんは始めのうちはテレビを見ていたが、そのうち、充電が済んだのに気づいて、ゲーム機を持ってきた。ヒワは、
「ちょっと待って」
 あわてて彼女のゲーム機を取り上げ、すれ違い通信を確認する。
 黒い人影はすっかりと消えて、今までサエが集めたアバターが無邪気な目をして画面の中に並んでいた。 
 玄関の鍵がしっかりとかかっているのを確かめてから、カーテンも引き直し、もうひと眠りしようか、と思った矢先に、サエちゃんが
「電話がなってるよ」
 と教えてくれた。風呂に入った時に脱衣所に置きっ放しになっていたようだ。
 脱衣所で画面を確認する。ルリコからだった。
 タップする前に、ふと前の小窓に、赤い点滅灯が横切った気がしてはっと手を止める。
 確かに、自宅前に車が来たようだ。そして、少し離れたあたりで、ドアの開け閉めする音が二度ほど聞こえた。
 電話が留守電モードになっていたのを急いでタップする。
 悲鳴にも近いルリコの声が耳を刺した。
「警察が! おじいちゃん逮捕されたの!」
「えっ」ヒワが口早に訊き直す。
「逮捕? どうして?」
「子どもたちを誘拐したって、お兄も警官に殴りかかって、捕まっちゃったよ、どうしよう」
 同時に玄関ドアがどんどんと乱暴にノックされた。
 サエちゃんが、ぱっと顔をあげる。「ママだ」
 玄関に駆け寄ろうとするのを、あわてて止めた。
「待って、開けちゃだめ」
 サエちゃんは『だるまさんが転んだ』状態で手を前に出したまま立ち止まった。
 ヒワはそっと、玄関に近づいて行く。足の下で、合板の床がぴしりと音を立て、つい、動きを止める。
 嫌な予感しかしない。
「サエちゃん」
 出来るだけささやきに近い声で、ヒワは横目でサエを確認する。
 彼女はすでに、玄関に来たのが母親だと信じて疑わないようだった。
 しかし、ヒワの声音にただならぬものを嗅ぎつけたのか、ぴたりと動きを止めたままだった。
「お姉ちゃんの言う通りにして」
 うん、とサエちゃんも目だけで返事をする。
 ノックの音は止まらない。ドアノブを動かそうとしている音まで重なっている。
 チャイムを鳴らすという発想はなぜかないようだ。
「テレビの方の、大きな窓のところから、そおっと外を覗いてみて。誰かいるか」
 サエちゃんは、ぬきあしさしあし、の要領で掃き出し窓まで近づくと、カーテンを指で少しだけ押しのけ、顔を押し付けるようにして外を覗いていた。
 すぐに「けいさつのひとがひとりいる」とささやき返す。
 ヒワは手で彼女をその場に留めてから、上半身を大きく伸ばして靴を二足分、小さな土間から拾い上げようとした。
「とりあえず、すぐ出られるようにくつをはこう」ささやくように言って、サエちゃんの小さな運動靴を小脇にかかえ、自分のを取ろうとしたが、少し止まって考える。
 窓の外に警察官がいるのなら、反対のドア側にいるのも警察官だろう。
 昨夜、サクラヤマから見えたパトランプを思い出す。彼らも、仲間にいたのだ。逃げ口はふさがれている。
「どうしよう」
 思わずまた、口から洩れていた。目をさ迷わせる。と、スマホがまた点滅しているのに気づいた。反射的に拾い上げて発信者をみる。
 とっさに電話に出た。
「あ……」相手はまさか、こちらが電話に出るとは思っていなかったようだ。
「か、柏田さん?」
「はい」声が震えないようにお腹に力を入れた。
「いまおうちに?」
「……え、と」とっさにことばを濁す。「なんでしょうか」
「あのね……」隣家の富田林だった。彼の声は少し上ずっている。
「外なら、いいんですがね、あのね、お宅の前に」
「警察のことですか」相手がごくりと唾を呑んだのが聴こえた。
 いちかばちか、賭けてみるしかない。
「あの、おじさん」すでに声は涙ぐんでいた。
「助けてもらえませんか? 本当は今、家にいるんです。なにも悪いことしてないのに警察が来て」
「うんうん」富田林が相槌をうって声をひそめる。真剣に受け応えてくれる声に、几帳面な性格が滲んでいた。
「何か変な感じだったから。無線も使っていないし」
「そうなんですか」
「昔、私、警察にいたから。退職したけど」
「えっ」
「柏田さん、うちの中にいるんですね」
 意外な告白だった……しかし、奴らの仲間ではなさそうだ。昨日夕方、他の連中が山に集まろうとしていた時に、彼はテレビをみて笑っていたのだ。心底楽しげに。
 あの笑い声に賭けよう。
 ドアに何か大きなものがどすん、と当たりいっしゅんドアが内側に膨らんだ。ヒワは驚いた弾みにスマホを落としそうになる。
 ドアの向こうから怒声がひびく。「開けなさい! いるのは分かってるんだ」
「おじさん、お願いします、外に出て警察に話しかけてもらえませんか? あの、ちょっとだけでいいんです気をそらしてもらって」
 早口でそこまで言った時、電話が切れた。
 ほぼ同時に、隣家の方からねばりつくような大声が響いた。
「何ですか? うちの組で何かあったんですか? お隣になにか?」
「あのですね」
 警官らしき声が続く。「ちょっとこのお宅の方に用事がありまして」
「えっ」
 富田林はとぼけるのも巧そうだった。しかし声はやや上ずっていた。
「お隣の子なら、少し前に出てったけど、今あっちのお宅の方に行ってるけど」
 多分、とんでもない方を指し示してくれたのだろう。
「サエちゃん」ヒワがささやいて窓の方を指さすと、すぐにサエはカーテンの隙間から覗き「いなくなった、けいさつのひと」そうささやき返した。
 なりふり構わずヒワは靴をさらうように拾い上げ、サエちゃんの元まで大股で駆け寄る。
「すぐここではいて、窓から逃げるから」
「でもおうちの中だよ」
「いいから早く」
 ヒワは、サエちゃんに早口で言い聞かせる。
「いい? 窓から出たら道をまっすぐ走って、全速力だよ? お姉ちゃんが手をつないであげるからとにかく、走って」
「ゲーム持ってっていい?」
「なんにも、持たないで。後からまた帰ってこられるから」
「どこまで走るの」
「助けてくれるおうちまで。二分かそこら、おうた二番まで歌うくらいだから、がんばろ」
「なんのおうた?」
 それには答えず、ヒワはカーテンから今一度、外をのぞく。富田林の作り話にひっかかったらしく、確かにこちら側には誰も見えない。
 サッシの鍵を開け、サエの手をしっかりとつかむ。「いくよ」
 ふたりが飛び出したのと同時に、「今だれか」そんな叫びが聞こえたような気がしたが、ふたりはふり返らずにただ走り続けた。 


← 20 朝を迎えて  22 目玉ババア語る →

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?