見出し画像

古長屋の秘密

その日の法律相談の相談者は不動産管理会社の人間だった。
ゴミ屋敷化している長屋を立ち退いてもらい、新しくマンションを建設したいのだそうだ。
「立ち退き料はある程度払えますか?」というと、「計算に入っています」という。
まずは、文書を送って、あいさつをした後、現地へ赴き、立ち退きの交渉を開始することになった。
建物は、築60年以上を経過したボロ長屋であり、まわりの住民は、すべて5年以上前に立ち退いていた。あたりはまるでお化け屋敷のようになっていた。
「すみません、Wさん、ご在宅ですか?」
チャイムを鳴らすが、壊れているようだ。仕方がないので、スライド式の玄関ドアを軽くノックした。 何度か繰り返すと、ようやく反応があった。 「帰れ!私はあんたらには要はない!絶対にここを出ていかんぞ!」
老婆の声だった。かなりの年齢のはずだが、声ははっきりと、大きかった。交渉をしに現地へ通ったものの、全くつれない様子だった。
「お話も聞いてくれないのであれば、裁判をせざるを得なくなりますよ」と大声で伝える。
すると、反応があった。 最初は、ガサガサ、という物音が聞こえ、徐々に物音が近づいてくる。 老婆が玄関をあけると、ガラガラと背の高さまであったゴミが、崩れ落ちてきた。
「帰れ、私はでていかんからな!」
こんなゴミ屋敷状態だから、転居も難しい、ということなのだろうか。実際にはいきなり訴訟を提起するわけにもいかない。とりあえず、民事調停を申し立てることにした。 その中で奇妙なことに気づく。 住民票上には、老婆ひとりではなく、夫や、従妹と思われる人物の名前も記載されていた。しかし、あたりでこれらの人物を見かけた人はいない。少なくとも10年以上前から姿を消しているようだった。 住民票を動かさないまま、ゴミ屋敷に嫌気がさして、出て行ったということだろうか。 しかし、果たして今の日本で、住民票がないまま、生活を続けることができるものなのだろうか、と疑問に思った。
 調停は長引いて、すでに半年を過ぎていた。ただ、家賃はきちんと払われている以上、時間をかけて調停を成立させるほかない。
そんななか奇妙な話を聞いた。 毎晩、毎晩、老婆は、自宅のゴミをかたずけては、捨てに行っている、というのだ。 私は調停委員を通じて、建物は取り壊し予定であるので、そのまま残してもらって構わない、 と伝えたが、老婆の奇行は収まらなかった。
第8回の民事調停。急に、調停が成立した。1カ月後には、建物を出ていくという。 こちらも、引越費用などもろもろで、100万円は支払うことになったが、これ以上、工事を先延ばしにするよりははるかにましだ。 しかし、なぜ急に、あの頑固だった老婆が、立ち退きに応じたのか不思議だった。建物の取り壊しが終わったあと、不動産管理会社から、奇妙な話を聞いた。
「聞いてくださいよ。あの婆さんの家、居間のところは、板がすべてはがされて、その下が深く掘り返されていたんですよ。夜な夜な、ゴミを捨てに行っていたのは、この作業をやるためだったんでしょうね。婆さん、宝箱でも隠していたんでしょうかね?」
管理会社の人間は笑いながら話すが、僕は笑えなかった。
住民票上に記載された人々はどこへ消えたのだろうか。それまでかたくなに出ていかない、といっていた老婆が、居間のしたから掘り起こしたモノは何だったのだろうか。 身の毛のよだつような想像を一瞬したものの忘れることにした。 事件があった場所だということになれば、土地の価格も下がるだろうし、そうなれば、地主も管理会社もうれしいはずもないからである。
ちなみに、日本における年間の失踪者数は8万人だそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?