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完璧じゃないことも良しとしよう

note.を書く前、私はいくつかブログを書いていたことがあります。
学生の頃から文章を書くことが好きだったことや、頭の中でぐるぐると考えることが多くてパンクしそうで、それを文字として書いて外側へと出していきたかったことも関係しているかもしれません。

ただ、そのことを人に話さずに運営(と言ってもそんな大したことは書いていませんが)していました。
ひっそりと、誰が書いた文章なのか分からないように、本当にひっそりと書いていました。前回まで運用していたブログは本腰を入れて書きたかった思いもあって人に話したりもしましたが、途中から「なんか違うぞ」と退会してしまったり。
少し前に運用していたブログの内容、本当にひっそりと書いていたので何を書いていたのかすら思い出せません。やばすぎる。

そして、私は散々目を逸らしてきた問題から長い間目を逸らしてきました。
何かというと、完璧主義&かなりの飽き性なのです。(まあ〜面倒臭い)

やり遂げる、と言うことが昔から苦手。そのくせ完璧主義というどうしようもない性格。そりゃ続かんわ、と思いながらも何とかならないかと試行錯誤してきました。そんな自分を受け入れたくなかったからです。

今少しずつこの性格と向き合えるようになったのは、アウトプットができるようになったからかもしれません。私は調べるのは得意ですが、調べた情報を自分のものにしてアウトプットするとなると、かなりの労力を要してしまいます。
「完璧にしなきゃ」が邪魔するからです。

「完璧じゃなくてもいい」と思える体験を増やす。「完璧じゃない自分を受け入れる」これを繰り返していく内に、少しずつ改善してきたような気がします。

どうやって受け入れてこれたかというと、「推し」のおかげです。(またか、とか言わないでくださいね(笑))
私の推したちは私よりも年齢が年下の子が多いのですが、みんな個性があってとても可愛いです。一生懸命だし、性格もそれぞれ。
そしてダンスはキレキレで格好いいのにステージを降りると残念な感じになってしまう推しもいます。(※褒めてます)でも、そこがとても可愛いし、より応援したくなる。完璧じゃないから、もっとファンになる。
完璧じゃなくてもいいんだよな、と思える。

ありのままの自分を受け入れることが大切と聞いたことがあるのですが、一番時間をかけて受け入れていくべきは欠点を自覚してそれごと受け入れることじゃないかなと思います。もちろん、人に危害を加えたり迷惑をかけることは別ですが、自分自身が受け入れられない欠点こそ長所に生かせるように工夫していけば、少しずつ受け入れられるポイントになるんじゃないかなと。

今、現在進行形で完璧主義な自分と飽き性な自分を受け入れています。
私のように飽き性な方は、本気で好きなことなら続くかもしれません。
好きなことは続くし、熱しにくい代わりに冷めにくいんです。私の場合は推し活がその一つです。

欠点を受け入れるってなかなか難しいですが、人に話してみたら意外と欠点じゃなかったりもします。むしろそれ長所じゃん、と言われたりもします。信頼できるめちゃポジティブな人に話してみるのもいいかもしれません。

完璧じゃない自分を受け入れていくと、人に対しても心なしか寛大になれるので、心のゆとりを持つためにも有効だなと思います。

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