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「うらなり」と「ちはやふる奥の細道」のパラレルワールド〜小林信彦さんのパロディ小説が日常に連れてくるもの

来月に舞台劇を観に行くための予習で
戯曲を数本読みました。

舞台劇は、古典のオマージュやスピンオフも多いのですが、
今回も「坊っちゃん」のスピンオフである
マキノノゾミさんの「赤シャツ」を読んでいて、
「赤シャツ」同様「坊っちゃん」のスピンオフのひとつである
小林信彦さんの「うらなり」に
たどり着きました。

■「坊っちゃん」の脇役「うらなり」の視点の物語


久しぶりに手に取った、小林信彦さんの小説!
小林信彦さんは、ものすごく凝ったパロディ小説を書く作家さんです。


「うらなり」は今回初めて読みました。
「坊っちゃん」の赴任先の学校の同僚教師
うらなり先生を
主人公にした作品です。

坊っちゃんが一人称の原作を
脇役たちの視点から語り直しています。
そもそも「坊っちゃん」はあまりにも坊っちゃんが無鉄砲すぎて
「いや、周りはそうは思わんて」という突っ込みどころが多いのですが、
そこをより文学的に突っ込んでくださっています。

やはりスピンオフは原作を読んでこその楽しみです。
「そこで『坊っちゃん』のそのシーンを持ってくるのか!」とか
わ、原作の伏線回収をここでしちゃってる!とか
ワクワク楽しめました。

本編も面白かったのですが、
巻末の「創作ノート」がまた興味深いです。
本編を書くことになったきっかけや
書く過程での下調べ、執筆の経緯
発表した時の周りの反応などが記録されている、
制作のドキュメントになっています。

本編が洒落てて読みやすい文章なので
ついエンタメ性に目を取られがちなのですが、
小林信彦さんのパロディ小説は
綿密な下調べや構成の思案・
世の中でのその小説の立ち位置などを
とても綿密に考え抜いたうえで執筆された、
真剣な哲学的小説でもあります。

楽しいことが大切だけど、
ただ楽しむよりさらに真剣に楽しむ。
小林信彦さんの小説を読むと
「真面目に不真面目」がなにより誠実だ、と
感じさせられます。


■「奥のほそ道」を外国人研究家が見れば⁈


「うらなり」を読み終わって、
もう十数年読んでいなかった、昔からの愛読書を
久しぶりに読みたくなって取り寄せました。

小林信彦さんの「ちはやふる奥の細道」。
見るからに、松尾芭蕉の「奥のほそ道」のアレンジです。

表紙を見ると、
「W.C.フラナガン作、小林信彦翻訳」となっています。

もうここからパロディが始まっていて、
実際は小林信彦さんの著書なのですが
ストーリー全体が
「ニューヨーク在住の20代の日本文化研究家ウィリアム.C.フラナガンによる
『奥のほそ道研究』を、
小林信彦さんが翻訳した本」という
設定になっているのです。

冒頭の「訳者による本書の説明」に

誤りがあってもそのまま訳し、
あまりにもわけのわからぬ個所などには訳注を付した。

とあるとおり、
「NYの若い日本文化研究者がやりそうな思い違い」が
訂正されないまま、
真面目にすまし顔でギュウギュウと並んでいます。


松尾芭蕉の俳諧紀行文「奥のほそ道」は
日本人なら学校で習うので、
「わび」や「さび」とはどういう意味か?とか
俳句の解釈は?とかは
実感として分かってはいなくとも、
とりあえず「こう解釈するのが正解」だと
教えられています。

でも、そういう「解釈の正解」を教えられていない状態で
俳句や「奥のほそ道」を読んだ場合、
人はそれぞれ自分流の解釈をするはずだったのではないか?ということを
「ちはやふる奥の細道」文中のW.C.フラナガンの大誤解大会から
思い知らされるのです。

私たちが学校で学んだ「奥のほそ道」も
「芭蕉たち江戸の人々の子孫である我々現代日本人だから、
『わび』も『さび』も理解できるのだ」ではなく、
しょせん「奥の細道を読む時の『正解』」を
暗記しただけなのでは、と思わされます。


そして「ちはやふる奥の細道」は
ただ古典の「奥のほそ道」を
カルチャーギャップの勘違いたっぷりで訳すだけでなく、
芭蕉が生きた江戸の時代の
同時代の文化人・政治家たちを交えた
一大スペクタクル活劇として
読み直されているのです(W.C.フラナガンによって!)。

松尾芭蕉が伊賀上野の出身であるという実話から
「芭蕉は実は伊賀忍者だった⁈」と
妄想がふくらみ(W.C.フラナガンは研究によって推測したそうですが)、
そこからニンジャ芭蕉と
副将軍徳川光圀公による、
佐渡の金山の陰謀をめぐる戦いが始まる…。

んなもん、始まってた覚えはないんですが
始まってたらしいです、NYの日本文化研究家によると。

俳人として名を上げたものの
忍者としては落第者の芭蕉が、
名句を読みながら全国を旅するふりをしながら
佐渡金山の謎に迫るために
下手な忍法を使って
時の幕府の陰謀を破ろうとします。

副将軍光圀も忍者を使い、
芭蕉の動きを阻止しようとします。
何も知らずに芭蕉の旅に同行している弟子の曾良との珍道中、
芭蕉の俳諧紀行の裏でうごめく江戸政府の策略とは⁈
…これが「奥のほそ道」なのか?(笑)


そのストーリー中にも容赦なく詰め込まれる、
W.C.フラナガン的「わび」「さび」「わさび」。
(「わさび」は「わび」と「さび」の複合らしいです)
トーフのブルーチーズソースやアボカドとパイナップルと納豆の手巻き寿司といったような
斬新な日本料理も満載。

ココナッツの木が立ち並ぶワインディング・ロードを
馬に乗って歌いながら(俳句ではなく本当に歌)
旅する芭蕉たちの姿に、
江戸の俳人たちのシブミとハイミー(俳味のW.C.フラナガン訳)を
伺い知ることができます…
…そんな江戸時代あったっけ?



「ちはやふる奥の細道」の巻末にも
制作過程を記した「作者ノート」が
掲載されています。

イギリスで実際に上演された「奥のほそ道」題材の芝居での
奇想天外な解釈を知ったことから
小林信彦さんがこの「ちはやふる奥の細道」を着想したこと、

また
パロディ小説として雑誌掲載を始めたにも関わらず
当初は学識者からの「間違いの指摘」が殺到したこと、などの
「真面目に不真面目なパロディ小説」をめぐるサイドストーリーが綴られています。

■パロディが連れてくるパラレルワールド


「うらなり」は視点を脇役に移して
「坊っちゃん」を「そっちがわ」から見るのと同時に、
時間を「坊っちゃん」の数十年後に飛ばしています。
「坊っちゃん」原作の隣に寄り添う「うらなりの物語」が
その数十年先まで伸びている世界線を
読むことができます。

一方、「ちはやふる奥の細道」は
「奥のほそ道」紀行の裏に
実は別のサスペンスな展開があった、という
奥行きのある世界線を見せています。

しかもその「奥行き」は
未来の異文化によって「ハイミー」解釈の誤解が生じたことから
生まれたドラマだという設定です。

江戸から現代日本、そこから現代NY、
さらに江戸の芭蕉のもとにぐるりと回って
カルチャーギャップが螺旋を描いて
「わび」「さび」に「わさび」の辛みを加えています。
いや、ここでの「わさび」は「侘び」と「寂び」の融合でした…。


「脇役がわの視点」や
「文化の違いによる解釈違い」。
どちらも日常に常にあるものなのに、
「自分がわ」に立ったまま視点を移さなければ
気が付かないもの。

笑って読みながら、
「パラレル・ワールド」はすでにそこらへんにあるんだ、と
ふと腑に落ちるのが、
小林信彦さんの「真面目なパロディ小説」の魅力ではないでしょうか。


「ちはやふる奥の細道」は現在は廃刊のようです。
だから本屋で探してもなかったのか…。

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