見出し画像

奪われたもの、得られたもの

アテンション
これから書くことは非常に陰鬱で、気分の良い話ではない。これは、私の人生における絶望とわずかな希望のはなしである。つまり、壮大な自分語りだ。嫌な予感がした方は大正解なので、ブラウザバックを推奨する。

目次
・アテンション
・この記事を書くきっかけ
・この記事の目的
奪われた人生
・ep1.希死念慮の始まり
・ep2.母
・ep3.自傷行為
・ep4.いじめ
・ep5.爆発、分裂、アイデンティティ
得た結論
・死にたい≠生きたくない
・生死は強制されるものじゃない
最後に


この記事を書くきっかけ
先日、cotonohaメディアさんとお話させていただく機会があった。
きっかけは、私の自殺未遂だ。その日、私は常日頃抱えている希死念慮の高まりから「今死ななきゃいつ死ぬの?今でしょ!」と言わんばかりにカッターナイフを手首に当て、そしてそこから動けなくなって、あまりの惨めさにひとりで絶望していた。死ぬことが怖くてカッターを動かせないくせに、カッターを握る手を開くこともできないで、でもどうしても死にたくて、しかしそんなことを誰に相談できるだろうか。ありがたいことに、私には私の鬱を理解してくれている友人がいるが、彼らにSOSを発したところで迷惑にしかならない。なによりいらぬ心配をかけたくなかった。それでも、たった独りで抱えるには重すぎる情動を私は持て余していた。
その時、今朝見かけた、Twitterのメインアカウントでフォローしているharuさん(@hr_3200)のこの記事の事を思い出した。


ここでは、haruさんが開発した「cotonoha」というアプリがメディア化したことが触れられていた。cotonohaは、匿名で誰でも悩みを吐き出せる10~20代向けの無料アプリである。詳しくはこちらの記事を参照していただきたい。


cotonohaメディアでは、アプリと違ってメディアのライターさんに直接相談することができる。
http://cotonoha.raindrop.jp/

とにもかくにもどん詰まりの状況を誰かに聞いてほしかった私は、藁にも縋る思いでメッセージフォームに文字を綴った。
「死のうとして、手が止まってしまいました。首を吊っても、カッターを当てても、そこで止まってしまう。死ななきゃいけないのに、死ぬしかないのに、そうわかっているのに、どうしても先に進めません。もうどうしたらいいかわからなくて、誰にも話せなくて、そしてここのことを思い出しました。お手隙の時、見ていただけたら幸いです。」(原文ママ)
送るだけ送ってうつろにTwitterを流し見て、癖になっているメールチェックをしたときに返信が来ていることに気付いた。メッセージを送ってから約10分後には来ていたらしい。即座に反応していただいたことに驚き、そして何故か安堵に似た感情が沸き上がって手が震えたのを覚えている。その後メールでのやり取りを重ねて、ライターの一人である小野澤さん(@issinjou)とSkypeでお話しすることになった。
その時のことがcotonohaメディアさんで記事になっている。先にこの記事を読んでいただいた方が、これからの内容が理解しやすいかもしれない。


この記事の目的
一つは感情の整理のため。つまり自分のためである。日々考えていたこと、それらの忘備録として記していく。いつの日か、この記事を読み返して「こんなこともあったなあ」と笑えるようになるための一歩として。
次に、もし誰かがこの記事を読んでくれて、もしその人が同じように希死念慮や生きづらさを抱えていた時に、「こんな人もいるんだ」と思って少しでも勇気づけられてくれれば、という目的。これは、cotonohaメディアさんと共通する意識かもしれない。私の生きづらさを私が言葉にすることによって、似た誰かの救いになればと、エゴながらも、そう思っている。

奪われた人生

ep1.希死念慮の始まり
時系列順に私の生きづらさを語るとすれば、始まりは小学三年生の頃になる。この頃にはすでに希死念慮があり、マンションの廊下から飛び降りたら死ねるかな、でも旅行は楽しみだからそれが終わってからにしよう、とか考えていた。もう10年以上前の事なので、詳細を覚えているわけではないが、ただひたすらに家から逃げたかったことは覚えている。家に帰りたくなくて、家出をしたこともある。まあ当然ながらそんなに遠くまで行けるわけもないので普通に見つかって家に連れ戻された。その時、初めて母が泣いているのを見た。幼心に、ドン引きしていた。この母というのがまた癖の強い人物で、幼い私としては「いや泣かれてもな……」「でもしばらくは大人しくしよう」の順で思考するほど、ちょっとアレな人だった。

ep2.母
母の一面を象徴するエピソードとして、こんなものがある。
小学五年生ごろ。塾の夏期講習が始まったのだが、私は体調を崩してしまい、トイレにこもりっぱなしになった。トイレから出られて学校の宿題をしようにも体がだるすぎてそれどころではない。勿論塾に行くどころではない。しかし、母は仮病だと決めつけ、烈火のごとく怒っていた。私は発達障害(ADHD、自閉症スペクトラム障害)故か「提出物を出す」という行為が非常に苦手で、宿題を出さないことが常だった。そのことで常日頃叱られていたので、その時もどうせ宿題ができていないから行きたくないんだろう、と言われていた。だが、一応念のためにと体温計を渡され、結果を見ると発熱していた。母は、ブチギレた。
「薄々顔色悪いとは思ってたけど……。あんたの夏期講習になんぼかかってると思ってんねん!」
母は万事こんな感じで、私が何かするたびに怒り散らかしていた。それに反応して私も怒り散らしていた。ヒステリーVSヒステリーである。最悪以外の言葉がない。怪我をしても怒られ、保護者面談で怒られ、テストの結果で怒られ、門限(因みに周りより一時間程早かった)を無視しては怒られた。最後は自業自得だが、家に帰ると常に怒る人がいたので、私は家から逃げたかったのである。

ep3.自傷行為
このアカウントは少しだがリアルの知人も繋がっているので、このことを書くのは非常に勇気がいる。しかし、これが私の最大の秘密で、そして一番「変わった」行動だと思うので、ここで公開しようと思う。これを読んだ、同じ行為をしている誰かの心の支えになればと思う。

私の自傷行為は、「抜毛」だ。

読んで字の如く、髪を抜く行為。何故この行為に至ったかはあまり覚えていない。ただ、これは非常にエスカレートした。具体的に言うと、日常生活で私はウィッグを被っている。地肌が丸見えなもので、しかもストレスで炎症まで起きていてあまりに見た目がみっともないものだから、親が買い与えてくれた。感謝をするべきなのだろうが……。察してほしい。
始めたのは小学四年生の頃。ウィッグが必要になったのは五年生の頃から。それから高校二年生の秋まで、ずっとウィッグと共に生活していた。後述するが、それが原因でいじめられたこともある。高校二年秋から大学二年の冬までは、地毛で生活できていたが、鬱の悪化によりまた抜毛癖がエスカレートし、今もウィッグを被っている。
手首を切る代わりに髪を抜く。やっていることは同じだ。でも、大抵は踏みとどまるのではないだろうか。私は踏みとどまれなかった。でも、それでも、こうして生きている。同じ、抜毛癖のある人は安心してほしい。あまり悲観的にならなくていい。案外、ウィッグを変えることで好きな髪形になれるのは利点かもしれないぞ。

ep4.いじめ
小学六年生。ウィッグは洗うと色落ちする。大分茶髪ぽくなっていたのを夏休みの間に黒染めした。両親には「染めたか聞かれても染めてないと言え」と指示されていたので、その通りにした。そしたら嘘つきとしていじめられた。これがきっかけで対人恐怖症になり、人間不信への第一歩になった。まあよくある話なので詳細は割愛する。

ep5.爆発、分裂、アイデンティティ
中三の夏。この頃、私は私を見失っていた。自己嫌悪と抑圧と思春期で、なにもかもがぐちゃぐちゃになっていた。そうして、私は「私」を定義しなおした。大嫌いな本名を捨てて、新しく名前を付けて、形を作った。「メンヘラで嘘つきな自分」としてアイデンティティを確立したのだ。
祖母の家に泊まりに行ったとき、私は泣きながら家に帰るのを拒否した。父が怖かったのだ。監視カメラを置くような人間を信用できるわけがなかった。結果、親族会議が開かれて、私は懇々と諭された。お父さんは氷魚ちゃんを心配してるんだよ、と。こうして私は信じられる身近な大人を失った。

得た結論

死にたい≠生きたくない
私が今に至るまで希死念慮を抱いている理由については上記の五つのエピソードで少し理解していただけたかと思う。怒れる母と暮らし、母が亡くなっても父から過干渉と抑圧を受け(この辺はcotonohaメディアの該当記事を参照していただきたい)、信じられる大人はいなくなった。幾度も死のうと思ったし、未遂も繰り返している。そんな私がなぜ今こうして生きてクソ長い自分語りをしているのか。死ぬのが怖かったのは勿論ある。だが、そもそも私は「死にたくない」のだ。
私は、「生きたくない」「生きてはいけない」と思っている。この先生きて行くのにあたって、好きなコンテンツの更新や楽しみは確かにあるだろう。でも、それとこの先に受ける苦痛を天秤にかけたとき、苦痛の方に秤が傾くのは火を見るより明らかだ。生きてるだけで大赤字、そんな人生誰が生きたいと思うだろう。
でもこれは、裏を返せば生きる楽しみが苦しみを上回れば生きていけるということだ。
例えば抑圧がなくなる。例えば鬱がましになる。そうやって生きる苦痛が和らぐならば、別に死ななくていいのだ。
これが、画面の前の死にたいあなたにとっても同じならば、私は苦痛を取り除くお手伝いをしたいと思っている。

生死は強制されるものじゃない
よく、「自殺はいけない」という言葉を耳にする。自殺ほう助の罪もある。それだけ、自ら命を絶つことは世間に否定的にみられている。
しかし、私は本当にそうなのか?と問いたい。
例えば、生きたがっている人に「死になさい」というのはとても残酷なことだろう。生きたいと望むのならば、それを勝手に否定するのはいけないことだ。では、「死にたい」と言っている人に「生きなさい」というのは? 多分、大抵の人は死にたがる人を止めるだろう。でもそれは、生きたい人を殺すのと同じぐらい残酷ではないだろうか。
生きるのも死ぬのも、自分の命は自分のものだ。生死は自分の権利だ。なのに、どうして自殺は否定されるのだろうか?
勿論、私に自殺を積極的に勧める意思はない。できれば生きてほしいとも思う。でも誰もそれを強制してはいけないし、されてはいけないのだ。あなたの人生は、あなたの命は、あなたのものだ。法に触れない範囲なら、自由にしていい。

最後に


ここまで、こんなに長い文章を読んでくださってありがとうございます。
大半が自分語りで占められていてつまらないものだったかと思います。それでも私の人生が、それを言葉にすることが、あなたの苦しみを明確にして、解決に繋がる何かであったならばと思います。
また、この記事を書くきっかけをくださったcotonohaメディアさんには感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?