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私にかけられた呪いについて

誰しも成長してきた中で親から言われ続けてきたことや、周りの環境による刷り込みがあると思う。
大抵は大人になるにつれ自分でその刷り込みが「おかしい」と気付いて乗り越えていくものだろうが、あまりに強烈に染みついたそれを自力で乗り越えるのは非常に難しい。
私はそれを呪いと呼んでいる。デバフと呼び変えてもいいかもしれない。
経験上、呪いを解呪するにはまず自分が呪いをかけられている自覚を持たなければならない。それが呪いであると自覚しなければ、解呪という選択肢を取ることすらできない。次に、呪いの名前を知ること。それがどういう呪いなのかわからなければ、解呪の呪文も分からないから。けれど、自分も気づかないうちにかけられた呪いの正体を知るのはそう簡単なことではない。
ここに、私にかけられた呪いの一端を記そうと思う。ちなみに全部解呪できていない。現在進行形で呪いによるダメージを受けながら生きている。
だが、これを読んだ、同じ呪いにかかっている誰かが、もしかしたら自分の呪いに気付いて解呪を試みてくれるかもしれない。私にはできなくても、この言葉が誰かの呪いを解く一助になればと願っている。

呪い一覧
1.信用低下30%
2.行動阻害50%
3.自信喪失80%
最後の望み

信用低下30%
私は私の事が信用できない。
発端は、多分小学生時代にある。もともと体が強い方ではなくて、授業中にしんどくなってしまって保健室に行くことが度々あった。
ただ、当時の私は自分の体に起きていることを説明するのが非常にへたくそで(今もその節は大分残っているが)、保健室の先生に「どこがどうしんどいのか」問われても答えられなかった。「しんどい」という言葉以外に自分の体調不良を表す語彙を持っていなかったのだ。
あまりに保健室に行く頻度が多いので、先生方もまたか、という感じだった。早退するかどうか聞かれて、私は心底答えたくないなと思いながら「はい」と答える。そうしたら電話で母が呼ばれて、私は母と一緒に帰る。
正直、学校に残るのと母と家に帰るのは同じくらいしんどかった。母は私の「しんどい」を嘘と決めつけ、体温計の示す数値さえ「思い込みで上がってるだけ」と吐き捨てて、帰る道中ずっと仮病で呼び出される身になれ先生と話すのが恥ずかしいどうせ授業が面倒くさいだけのくせにと小言を垂れるのである。人とすれ違う時だけ黙る。その時以外はずっとこの調子で、もはや体調不良の原因が母の小言になってもおかしくない程だった。
こうやって横で自分のしんどさを否定されていると、次第にどんどん「このしんどいという感覚は間違いなのではないか」「本当に仮病なのでは」「自分は本当にしんどいのか?」と不安になってくる。それによって自分の感覚に対する信用を失い、体調管理が余計に難しくなる。
別に体調に限った話ではない。私はこれを書いている今現在でさえ、自分の鬱が仮病ではないかと疑っている。鬱だという気になっているだけではないのかと、思っている。自分がしんどいのだと、胸を張って主張することができない。そう言うのは罪なこととさえ感じる。
本当は働けるのに、学校に行けるのに、自分の怠惰で逃げているだけではないかと、自分に常に責められ続けている。

行動阻害50%
呪いは、別に人からかけられるものだけではない。自分で自分にかけているものもある。これは殊更に質が悪くて、他人にかけられた呪いは比較的「結局自分の事を完全に理解している人間が言ったわけではない」という反則技で(一時的にだが)ねじ伏せることができるが、自分の言葉は自分の裡から出たものであるので逃げ場がないことが多い。自分がゲシュタルト崩壊しそう。
私は、自分が悪い子だというコンプレックスを抱えている。出来の悪い子、何もできない子、親の言うことを聞けない子、親の愛情を受け取れない子、自分勝手でわがままで怠惰な悪い子。全部、自分で自分に言っている。誰かに直接そう言われたことはないのに。
実際、直接言われたことがないだけで態度でそう示されてきた事実はあるにはある。「お母さん/お父さんはあなたのことを心配しているんだよ」というせりふは、「親の愛情を理解してあげて」という意味だろう。私はそれをことごとく拒絶してきた。そこには私なりの理屈があっての事だが、結局確かに注がれていた愛情を拒絶したことには変わりない。自分の行動が、自分の首を絞めている。
新しいことに挑戦しようとするたび、耳元で「どうせなんもできへん」「どうせ迷惑かけるだけ」「誰にも需要がない」「意味なんてない」「ほら、失敗した」「どうせお前は何もできない子」「クズ」「しんでしまえ」と自分の声で呪われ続けている。
ある意味予防線なのだろう。他者から言われる前に自分で釘を刺しておこうという。それで自滅していれば世話ァない。
唯一、この呪いだけは解呪の方法がわかっている。成功体験を積むことだ。成功体験を得て、自分を否定する。やればできる、できたんだ、と。
問題は、起こした行動が失敗してしまうと負の強化要因になってしまい、余計呪いが強まってしまうことだ。それを恐れて身動きが取れなくなる、これはそういう行動阻害の呪いだ。

自信喪失80%
信用低下と行動阻害が合体すると、「失敗を恐れて何もできず、行動を起こしても自分への不信感から常に不安が付きまとい、結果的に物事が失敗しやすくなる」という最悪の負のループが完成する。こうなると泥沼で、なかなか抜け出すことができない。
一度だけ、このループから奇跡的に抜け出せたことがあった。第一志望の大学に受かった時だ。当時はやけくそで、志望校を父親によく思われていなかったのもあり、「落ちたら一浪して親のいうとこにいってやろうじゃねえの」と開き直っていた。だが、予想に反して一次試験で合格。案外、自分も捨てたもんじゃないなと思った。一年の前期は自分の目指した大学で好きなことが学べている充足感から調子が良かった。
しかし、後期で体調を派手に崩して、勤め始めたばかりの塾講のバイトをやめてから、また負のループにはまってしまった。結局自分でやると決めたこともできない、と自分に失望し、わずかに回復した自信も完全に喪失した。
今は紆余曲折あってその大学さえやめている。完全なニートだ。自信もへったくれもない、どん詰まりのループの中にいる。

最後の望み
こうして文字を綴って、這い上がろうと足掻いてはいるが、実を結ぶかは怪しいところだと思っている。バイトの面接も落ち続けて、もはや笑うしかなくなって半ばやけくそでこの記事を書いた。
ある意味、これは自分に向けた手紙だ。カルテかもしれない。自分がなぜ苦しんでいるのか説明するための文章だ。呪いという概念を与えて、可視化した業だ。同時に、同じように苦しむ誰かへ宛てた希望でもある。少なくともここに、苦しむ人間が一人いるということが、自縄自縛から逃れられずに孤独に戦う誰かの希望になればと思う。
失敗は怖い。死にたくなるほど怖い。それでも踏み出さないと何も変えられない。この一歩が、何かを変えるかもしれないと信じてこの手紙を締めようと思う。

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