#哲学
人生の全てを運に還元する思考は、全てを実力に還元する思考と同程度に不毛だろう。そこから何が生まれるというのか。
抽象的な言説に何らかの具体例を与えることで、観念的に浮ついた議論ではなく、一定の強度を帯びるようになる。
こういった意味合いにおいては、床屋の政治談議を馬鹿にできない。
思想の歴史的根拠とは、そういった具象と抽象の葛藤から立ち現れてくる。
ロマン的イロニーとホイジンガの「遊び」。主体が虚構である点においては同じなんだよな。
エリオットの伝統論にしても、受容する対象と主体の間には断絶が見られる。
再解釈の結果生まれる虚構が、現実との格闘を乗り越えられるか。結局はそこなんだろうな。