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つぶやき

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つぶやきです。
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#批評

脱輪さんの仰るように、コスパ主義はニヒリズムそのものだ。
"まったく新しい戦争"の最前線に立つ我々は、まず己のうちに潜むニヒリズムをこそ撃たなくてはならない。

小説ではいくらでも自分を偽れるが、批評ではそうはいかない。
そこで発せられる言葉は登場人物のものではなく自分のものであり、他でもないその言葉によって自身が傷を負うことは珍しいことでも何でもない。
芸術と学術、描写と言及の違いはそこにあるのだろう。

小説の台詞はあくまで描写であり、そのまま作家の主義主張と捉えることはできない。
そのように描写される各々の意思が物語の展開を経て、どのような境地へ至るのか。これを追うことでようやく読解がはじまるのだ。

マルクスのいう「プロレタリア独裁」概念は知識人の持つ肥大化した自意識の象徴と言える。福田恒存はこの事に気づいていたのでは。

ロマン的イロニーとホイジンガの「遊び」。主体が虚構である点においては同じなんだよな。
エリオットの伝統論にしても、受容する対象と主体の間には断絶が見られる。
再解釈の結果生まれる虚構が、現実との格闘を乗り越えられるか。結局はそこなんだろうな。