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その安全管理は、真に子どものためか?

 みなさんは「外で遊ぶ」ことは好きでしたか?森で遊ぶことは?川で遊ぶことは??外遊び、特に自然の中で行う活動にはおとな、こどもそれぞれにたくさんの効果をもたらしてくれることがこれまでの様々な調査で明らかにされています。
 例えば子どもでいえば、興味関心の増進、自身や他人への気づき、自尊心やの問題解決能力向上などなど。おとなでも日ごろの心身のストレスからの解放、ストレスの軽減、リラックス効果、環境への気づきや興味のキッカケなどが挙げられています。まさにイイコトづくめですね。
 しかし、一方でこんなワードも聞いたことないですか?「近年は子どもの体験機会が減っている」。なぜだろう、と思っていたところに興味深い出来事があったので、今日はその話題を共有したいと思います。


 私が住み、仕事をしている東京日野市で先日「ひの未来ストーリーフェス」というものがありました。小学生からおとなまでが集まり、2030年にどんな日野市でどんな暮らしを楽しみたいか、そのためにどんな課題感やロードマップがあるのか、などを話し合うタウンミーティングです。僕は小学生や高校生、社会人の方と「日野で身近な自然をもっと楽しむには?」というテーマについてディスカッションしました。ここでのストーリーがとても面白いのです。

ワークショップで話された、日野の自然資源をもっと活かすアイディアたち。

”川でもっと遊びたい!森でもっと遊びたい!でも、行かない。”

 グループで一緒になった小学生は川近くの学校に通う人たち。坂を上った先には広い丘陵公園も広がっており、自転車圏内に「遊べる自然資源」が沢山ある場所です。子どもたちに「こんなに資源はあるけど川で遊ばないの?森で遊ばないの?」と問いかけた時の問いが上の回答でした。
 なぜ?と理由を聞いてみたところ、多くは2つに集約されました。

✔漠然とした「危険」がある。(そう、大人から教わっている)
✔子どもたちだけで行ったら怒られる。

 ということです。川を例にとり少し掘り下げて「何が危ないのか?」と質問してみました。すると…
・溺れる ・流される が心配という意見。
次いで、「なぜ怒られるのか」という質問に対しては、「学校や親から近づいてはいけないと言われているから。」だそうです。中には「大人が責任が取り切れないから、大人側の心配により」なんていう意見も…。う~ん、鋭い。

 そこで、次はこんな問いを投げかけてみました。
「例えば川の地形的な危険個所や安全な遊び方を教えてくれる講習会があったり、或いは溺れる・流された時に助けてくれる人がいたら遊びに行きたいの?」と聞いたところ即答で「行きたい!!」と。
 確かに近年ゲーム機器の発達などによって子どもの遊びの選択肢は多様化している側面はありつつも、子どもの自然体験に対するポテンシャルはさほど昔から変わってないようにも見受けられました。当然川自体もそう簡単には大きく変わらない。変わったのは、そして子どもの体験活動機会に影響を大人の認識や社会の不寛容さの方なのかもしれません。

やってみたい、やってみるから子どもはいろんなことを学びます。
大人がそれを「どう保証してあげられるか」が安全管理の本質であり、目的ではないでしょうか。

「安全管理」は文化を創る。

 自然で遊ぶうえで、安全はとても大切なものです。あまりにも雄大すぎる自然に対して、人間は危機意識を常に働かせていないと簡単にケガや死亡リスクを負う前提があるからです。しかし自然の中に身を置いている以上、その可能性は0にはなり得ません。実際論、地に足の着いた安全管理=リスクマネジメントとは「損害の起きる可能性を下げること、起きた時の損害を小さくすること、そして社会にとって許容可能な範囲に収めること」を意味します。つまり、「実施すること」を前提に考えられるものなのです。
 例えば前述の川遊びで考え始めると、合理的に解決できるものもありつつ最終的には「心配」という黄金ワードが出てきます。これは水戸黄門の印籠のようなもので、これを出されるともうどうしようもありません。心配の種を分解できればいいですが、心配を間に受けると「縮小・辞める」しかなくなります。
 それでも最初の1年目は何か止めるだけの理由が存在するかもしれません。しかしこういう決定は通常なかなか再検討はされないものです。多くの場合2年目は「去年そうだったから今年もそうしよう」となり、3年目以降は「元々そういうもんでしょ」となり、以降は慣習として引き継がれていきます。こうして機会を奪われた子どもたちが育った先、彼らがおとなになって判断する側になると「川で遊ぶなんてそんな行為自体がけしからん!」となるわけです。ミクロな安全管理はやがてマクロな文化を創造することにもつながっているように思うのです。みなさんの周りにもそんなエピソードはありませんか?

いい安全管理ができると、いい文化も長持ちする傾向にあるように思います。

安全はボトムにあるものではなく、両立させるもの

では、いい安全管理とは何か。
 体験をする理由はそこに何か価値があるから。そこへ必ず付いて回る危険を上手にコントロールして価値を手に入れようとするプロセスが安全管理です。つまり「いいとこどりをしたい」が真の目的。
 安全管理を思考のボトムに置くと、どうしてもやらない方が良い、という議論に拍車がかかりがちです。この分野は「得られる価値」と「安全である」ことが2本柱のように並行して存在する、と理解することが物事をやりやすくするのではないでしょうか。

そのためには…
・危険はできるだけ具体的に、かつ客観的に捉える
・具体的かつ箇条書きに出された危険をひとつづつ手当する
・計画は常に変更する柔軟さを備える
・事故が起きた際の迅速な対応とトレーニングで安心感を生み出す
・安全管理にはバックアッププランやシステムを用意する
・得られる「価値」に対してしょい込むリスクのバランスのつり合いが取れるかを検討する
・自分たちの手に余るようであれば専門家の知見を借りる
こんなアイディアや解決方法も見えてきそうです。要するにオトナ次第ってことですね。

 今回は具体的なリスクマネジメントスキルというよりは安全管理におけるマインドセットのようなお話でしたが、子どもたちが持っている「体験欲」のポテンシャルを引き延ばせるように、そして内面にもつ種火を大人の「心配という消火器」によって消し去らないように、いま大人たちが安全の在り方について問い直してみるタイミングにあるのではないでしょうか。
 あとは、もう一つ。社会にはもう少し「あらゆることへの寛容さ」があるといいですよね。最後のはボヤキです。
みなさんはこの課題について、どう考えますか?

Kommt,lasst uns unsern Kindern leben!
さぁ、我々の子どもたちに生きようではないか!
― フリードリッヒ・フレーベル

ひの自然学校リスクマネジャー
寺田まめた

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