死の研究②

「この実験には協力者の手助けが必要不可欠でして、先程の録画データを渡すのと、実験開始の合図を行わないと365番を殺すことはできないんです」
「電話の内容を聞いてもいいか?」
「もちろん」
 そう言うと、奴はまた先程の蒸し暑い部屋に行き、携帯電話をいじり、スピーカーモードーにした。コール音が鳴り響く。ほどなくして、向こうから声が聞こえた。
「……何だ」
「実験の依頼が入ったんだ。準備をお願いできるかな」
 受話器がしばらく沈黙した。
「依頼か。まぁいい。いくら俺達が株で財源を確保しているとはいえ、たったの五百億だ。こんな金額では、一つの企業もまともには動かせないぞ。俺達に必要なのは実質的に世界を動かせる権力だ。金よりも権力を持っている奴を取り込まないと意味がない。お前の今度の依頼主はちゃんとその条件を満たしているんだろうな」
「……靴の人が来たよ」
「…………ほぅ。分かった、さっそく準備に取り掛かる。今から、いつものメンツ達に声をかける。少し待っていろ。準備が出来次第連絡する」
「分かったよ」
 通話が切れた。それと同時に奴はまた実験室に戻った。奴ら、どこまで俺達のことを知っていやがる。そのことを探ろうと話しかけた。
「おい、お前。どこまで知っている?」
「何の事です?」
 あくまで白を切るつもりらしい。
「俺のことを靴の人と呼んでいただろ。それはつまり俺達のことを知っているということではないのか?」
 男はとぼけた顔をしたまま、困ったような表情を作った。
「いいえ、私は何も知りませんよ。細工された靴のことだって、ネットでその人たちは金持ちだって書いてあったのを見ただけですよ。ただそれだけです」
「じゃあ、何だって靴の人なんて呼んだんだ」
 男は、目線を上にあげて、あごを右手でブイの字にして触ると言った。
「私たちの間では、資金提供者のことを「あしながおじさん」という意味で靴の人と呼んでいるんですよ」
「………………」
 こいつら、絶対に情報を開示するつもりがないらしい。五百億円もあれば、大抵の企業は動く。なのに、動かないと奴らは言った。それに電話口の相手は靴の人と聞いたとたんに態度を変え、実験の実行を決意した。つまり、俺達があいつらの持っていない権力を所持しているのを確信している可能性が高い。その上でとぼけている訳だ。
「先ほども言いましたが、私たちは実験さえできればいいのです。あなたたちを探ることもしなければ、脅すつもりもない。ビジネスライクにいきましょう」
「…………そうだな。失礼したよ。お互いに友好的にいこう」
 俺は納得していなかったが、まぁいい。組織に戻り次第、奴らの情報を全部洗う。無理やりに笑みを浮かべ、握手を求めたが奴は応じなかった。ただ、じっと差し出された手を不思議そうに浮かべていた。そして、そろそろかなと言うと、また部屋を出た。
 部屋を出ると同時に携帯電話が鳴りだした。
「……実験の準備ができた。こっちはいいぞ」
「分かった。それじゃあ実験開始といこう。今回はどのくらいで個体が?」
「そうだな。八時間といったところだな。急な実験の依頼だったから万全の準備ができなかった。依頼主が近くにいるなら、ラットを持って帰ってもらえ」
「あぁ、聞いてみるよ」
 そこで、奴が俺を見てきた。俺は内心嫌だったが、頷くしかなかった。もし、本当に殺せるのであれば、監視できた方が何かと都合が良い。俺が頷くのを見ると奴は答えた。
「大丈夫みたいだ。後の交渉は僕からするからそっちは電話を終え次第、実験を開始してくれ」
「了解。俺達の理想も目前だな。幸運を祈る」
 そう言うと、電話口にいる奴は電話を切った。
「それでは、ゲージごとラットを持って帰ってください」
 そう言うと、奴は俺を手招きしてきた。実験室に戻ると、365番のゲージを机の上に置いた。
「一つお願いがあるのですがいいですか?」
「何だ?」
「その個体が死ぬまでのデータを撮るために、小型カメラを搭載させてもらっても大丈夫ですか?」
 俺は、悩んだ。
「いいが、こちらからも条件がある。そのカメラを調べさせてもらってもいいか? 君たちをまだ信用できない。なぁに、分解してGPSがないか調べさせてももらうだけだ」
 男は、少し困った顔をした後、頷いた。
「我々を信用ができないのは当然のことです。もちろん、調べて頂いて結構ですが、カメラの機能だけは残してもらえると助かります」
「問題ない。その机を使ってもいいか」
「ええ、構いません」
 俺は、席を外してもらうかと考えがよぎったが、ここはあいつのホームだ。監視カメラがあったら意味はない。かといって、組織内部に持ち帰って、万が一にも俺達の居場所が知られては意味がない。俺はふところから、眼鏡ケースにみせかけた多機能の道具を取り出した。これ一つで、工具にもなれば、特殊な防弾ガラスを割ることもできる万能器具だ。もちろん、汚れ仕事に適した機能もある。それで、小型カメラを分解した。手際よくバラバラにしていくと男が俺の手元を見てくる。
「鮮やかな手際ですね」
「そりゃ、どうも」
「まるで、軍人が銃を分解して、組み立てる訓練を見ているようです。いやはや、まるで芸術ですね」
「…………」
 こいつは、無自覚にこのセリフをかけているのか。それとも分かったうえでこの発言をしているのか、判断しかねる。俺は、奴のことを無視した上で、余分な材料がないか見た。この型番は何度も中身を見たことがある。大丈夫だ。材料が多い物もない。念のため、GPSがこの機械についているのか、万能器具を使って調べたが反応はなかった。俺は、それが終わると、一気に組み立て終え挨拶をした。
「問題なさそうだ。疑ってすまない。こちらも仕事だ。気分を害したのなら、すまない。このラットは預からせてもらう。ラットが死んだ場合は中身を調べさせてもらってもいいいか?」
「えぇ、どうぞ。個体が死んだ場合は連絡を……」
「それでは、持ち帰らせてもらおう」
 俺は、研究室を出ると同時に万能機具に手をかけた。小型カメラのGPSは確認したが、ラットにチップが埋め込まれている可能性がある。万能器具の一つの機能、電子機器遮断機能を使った。車の充電器を使い、機能を持続させた。俺達は、万が一にも居場所がばれるわけにはいかない。安全を確認した上で、俺は、組織の研究機関に車を走らせた。
 網膜スキャン、指紋認証、顔認証、血液認証を終え、俺は研究機関に入った。血液認証は人差し指に、細い針が刺され、それが登録された遺伝子情報に該当するかを調べるものだ。もちろん、針は使い捨てだ。ここまで、厳重だとコストもかかるが、これのお陰か、ここに無断で侵入して無事だった奴はいないし、侵入できたものはいない。それこそ、現代にルパンがいようとも、ここは難攻不落だ。
 俺は研究室に入った。相変わらず嫌な匂いがする。ホルマリンの匂いやら、訳の分からない薬品の匂いが鼻腔を突く。部屋の内部も無機質な人工物しか許さないような無駄のない洗練された作りだ。俺はここも、ここにいる連中のこともどうにも好きになれない。連中には人の心があるように思えない時がある。俺や、俺以外の組織の連中を馬鹿にしているならまだしもいい……。だがあいつらは、俺達すらも実験動物と思っているふしがある。奴らの目の奥にはそれを感じる。
 だから、誰も研究機関所属以外の連中は来たがらない。
「西條、西條はいるか?」
 しんと静まりかえった研究室に声をかけるが、誰も反応することはなく黙々と研究を続けている。俺は、だからここの連中は嫌なのだと毒づきながら研究室をあてもなく歩き回った。西條の席を見るがいなかった。タバコでも吸おうと思ったが、全面禁煙だ。くそが……。タバコの箱を握りつぶして、トイレに行った。
「ぶつぶつ、そうだ、理論通りにいけば、人は殺せるはずだ。しかし、この現代社会でどうやって誰にもばれずに……」
 ぎょっとした。手洗い場所で顔をびっしょりと濡らしたまま立ち尽くす眼鏡の男がいた。西條だ。
「…………おぉ、西條、元気していたか」
 西條は気付いていない。俺が半年前に、ここに来たときはこんなに壊れていなかったのだがな。今ではげっそりと頬はこけ、くまがひどい。
西條は組織で人殺しの研究を任されていた。殺しの手段は問われていなかった。求められるものは、証拠を残さないこと。
現代では監視カメラがあまりにも多い。今では、どこで何をしようともすぐにばれてしまう。昔ほど、暗殺なんて手法が通用しなくなっている。国籍不明の外国人や存在しないはずの日本人を使っての犯行も効果が薄い。そいつが存在する限り、どこかに住まないといけない。そこから犯行がばれてしまう。俺達はプロの集団だ。使い捨ての人間はどこにもいない。だからこそ、そいつらが捕まることは、純粋なる損失だ。まぁ、正確に言うと、捕まることが問題なのではない。問題は別の所にある。
 この時代、個人が力を持ちつつある。特殊技能を持った平民。そいつらを炙り出すことが何よりも大切だ。俺達のやることを知る人間がいてはいけない。
「西條、こいつを見ていてくれないか。別口の研究者が証拠もなくこいつを殺せるといって預かった。お前に……」
 それまでぶつぶつと鏡に向かって呟いていた西條がぐるんと首を回し、隣の俺の顔を凝視してきた。
「坂口、それは本当か。どうやってだ」
 坂口は俺の肩を割らんばかりに力を込めてきた。鬼気迫る勢いだ。そりゃ、そうだろうな。こいつのしたい研究の費用は、俺達組織の人間が出している。他にすぐにでも実行できる代用品があれば、こいつの存在価値はなくなる。
「方法は聞いていない。口を割りそうになかった。俺も半信半疑だ。今からだとそうだな。六時間後には死ぬことになっている。このラットには、チップが内蔵されている可能性がある。ゲージにGPS発信妨害器を一緒に入れておけ。俺も経過を見たい。今日はここに泊る」
 西條は俺からひったくるようにゲージを奪うと、トイレから出ていった。俺もすぐに後をおった。
 そして、西條は自身の研究室にこもった。そして、俺は研究室でのことを一通り話した。西條は、頭を捻りながら実験器具を準備していく。
「なぁ、西條。お前だったら、このラットをどうやって殺す?」
 西條は俺の話よりもラットの様子をずっと睨みつけながら、脈拍を測る機器やら何やらをラットに取り付けていった。
「そうだな。現実的ではないが、特定の遺伝情報を持つ個体にだけ効く、ウィルスをばらまくとかだな。うちの血液認証と同じだ。例えば、ここまでたどり着くには、うちの施設に登録されている遺伝情報に該当するものだけしか通れない仕組みになっているだろ。これを逆手にとって、遺伝情報が同一の個体だけを攻撃をするウィルスを散布する。電話したのは、部屋の中にその365番だけに効くウィルスを散布するためだったとかだ」
「何故、現実的ではない。効果はありそうじゃないか」
「大雑把に日本人だけに効く民族破壊ウィルスをばらまくのとは訳が違う。これを実用化するには、既に殺す対象の血液情報を手に入れておく必要がある。それに、完璧同一個体だけを攻撃するウィルスを作るのには当然時間もかかる」
「なるほど、スピードが足りないという訳だ」
「まぁ、もしこの個体がそんなもので死ねば、遺伝情報に刻まれた細胞はずたずたになるはずだ。もし、そうならこの研究者と手を組むのは辞めた方が良い。証拠もなく殺せるかもしれないが、一人を殺すのに研究費も時間も無駄だ。それに血液情報を手に入れるのにもリスクがある」
「そうか」
 西條も必死だな。自分の有用さを俺に示さないと研究費がおりなくなる。まぁ、気持ちは分かるがな。
 俺は、あくびをしながら研究室のソファーに座ったまま目を閉じた。
「後、可能性があるとすれば?」
「そうだな。個体が死んだ後の話になるが、坂口、お前が言うようにチップが埋め込まれているのであれば、それによって、心拍をコントロールされている可能性もある。もしくは、ナノマシーンの生体電気によって、同様に命をコントロールしているかだ。どちらにせよ、調べればわかる」
 それから、坂口は無言になり、俺は意識が遠くなるのを感じた。
 俺が次に目を覚ました時にゲージの中のラットは、息を引き取っていた。

とある研究者の日記
 創薬研究をしていて、日々思う事がある。何故、病気というものはなくならないのか。研究をしてある病気に対する即効薬が見つかる。すると、また新たに新種の病原菌が出てくる。何故だ、医療は進歩し、確実に人類の寿命も延びている。なのに、なぜ……。それに僕には分からないことがある。それは、患者の中で病院に来なくなった人間がいる。そして、投薬処方が打ち切られる。だけど、その中には投薬をやめたにも関わらず、病気が改善に向かったり、これはごく少数の症例だが完治する者がいたりする。僕としては、僕が作った製薬が後から患者に効果をもたらしていると信じたい。でなければ、僕は一体何のために研究をしているのか分からなくなる。今度、病気が完治した患者に会いに行くことになっている。少し不安でもある。僕が研究をしているのは、病気をなくし皆を救うためだ。この思いに嘘はない。僕は人を殺すぐらいなら自殺を選ぶ人間だ。
これは日記だ。後で未来の自分が読み直すだろう。未来の僕、君は真っすぐに胸を張れる生き方をしているだろうか? 僕は闇の中を手探りで進んでいる最中だ。君がその先で光を掴んでいることを切に祈る。

いつも読んでくださってありがとうにゃ。 ゆうきみたいに本を読みたいけど、実際は読めていない人の為に記事を書いているにゃ。今後も皆が楽しめるようにシナリオ形式で書いていきたいにゃ。 みにゃさんが支援してくれたら、最新の書籍に関してもシナリオにできるにゃ。是非頼むにゃ。