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ひのの質問箱 ver.1

自分なりの主従について、少しずつ答えは出始めています。
俺の主従とは、従者をSさんの自分の世界へ引き込んで、飼い育てることです。
従者は、その世界の雰囲気やルールに共感したらそのままその世界の住人になり、合わなければその世界からは離れるだけのことです。
その世界はSさんによっては、厳しいルールが敷かれてるところもあれば、自由奔放に走り回れるルールなこともあります。
それは、Sさんごとに世界のルールが違うのでそれに従って生活します。
ただ、色んなSさんがいるように、色んな従者さんもいます。
ご主人様の支配する世界の中で生きていて、80%は満足してても、100%満足することはないので、残りの20%を埋めるための話し合いは必ず必要だと思います。
従者さんは、「私はこの世界で生きていていいのかな」
「自分はご主人様に尽くせて満足させていられているのかな」と不安を抱えてることが多いです。
そんな不安を払拭して、100%に近づけていってあげることが、話し合いが必要な部分ではないかと思っています。
主従に対する導き出し方は、試行錯誤してやってみて、答えを探っていく形です。
一人で考えてても分からなくて、従者の子たちがいることで、俺も自分の世界のルールを作っていくことが出来ています。

従者とは自分に足りないものを埋めて、癒やしてくれる存在です。

自分は元々愛情が強く、相手に与える量も、もらう量も多分人よりも多い方で、だからこそ通常の日常生活では与える量も人から与えられる量も物足りなく、自分の中で大事な大きなピースが欠けている不安定な状態でした。

従者はそれを埋めてくれ、癒やしてくれる自分の中の大事なパズルのピースのような存在だと感じてます。
加虐などのSMを楽しむ行為はその愛情を伝えるための手段で、叩いたり、苦しんだり、痛がったりする様子で心が満たされることで、より深く思う存分自分の愛情を伝えられるなと思ってます。

SMは「自分が自分らしく居られる、なくてはならない場」です。

日常ではSMや、趣味嗜好、欲求、感情などを多少なりとも抑えて、自分らしさを隠して我慢をして生活をしている分、日常生活で抑えつけている自分自身を開放し、自由に解き放つことが出来る、素直に自分自身を曝け出すことが出来る。
しかも、それが否定されず、受け入れてもらえる。
そんな素晴らしい場所が、自分にとってもSMです。

もちろん、性的な欲求や加虐欲などを発散させたい気持ちも沢山持っていますが、それ以上に、自由になれる場所という意味合いがとても大きな割合を占めています。


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