声のルッキズム

あなたの声、落ち着いていて聞きやすいね。

優しい声で癒される感じがしたよ。

初対面の人にあうと時折、声をほめてもらえる。最初言われたときはお世辞も甚だしいなと思ったけれど、たびたび言われるようになってからは素直にお褒めの言葉として受け止めるようにしている。

私の声はとても特徴的だと思う。たいていの女の人よりは低く、たいていの男の人よりは高いような声をしている。自分の声を録音したものを聞くと、鼻炎でもないのにいつも鼻にかかった声をしている。

長い間、自分の声を受け入れられないでいた。鈴の鳴るような声がほしかった。声を出さずに生きていく方法はないものかと思ったこともあったし、声を高くする練習メソッド「メラニー法」に挑戦してみたり、さらには声帯を切って声を高くする手術すら考えたこともあった。(数年前、KABA.ちゃんがやったことで話題になった) 以前、この手術を受けた人に話を聞いたことがあるけれど、手術後しばらくして肉の塊のようなものが喉から出てきた、と笑って言ってくれた。(※10年以上前の話ですし、個人差があると思います) その人の声はどこかバイオリンを感じさせる、弦楽器のような素敵な声だった。でも、私は「肉の塊」が怖かったし、手術につきものの「必ず成功するとは限らない。場合によっては失声する」という言葉に恐れを感じたこともあって、実行に移すことはなかった。

お姉さん、渋い声してんだねえ。初対面の人に声のことを言われるのがすごく嫌だった。顔と声にギャップがあるよね、と言われたりもした。声のことを言われるたびに「お前のことはわかってるんだぞ。お前は本当の女じゃない」そう言われているような気持ちになった。             

ある時、仕事で50人ほどの、ほとんど知らない人の前でプレゼンテーションをしなければならない機会があった。逃げることもできないし、どうすれば自分なりに良くなるだろうかと録音をして研究することにした。すると、胸を開いて背筋を伸ばしたほうが声が通り聞き取りやすく、反対に自信がないからとぼそぼそ話すとかえって低く聞こえることが分かった。そして、丁寧な話し方をすることで声色も優しくなることが分かった。心掛けたのは、姿勢と話し方だけである。

プレゼンテーションが終わった後、参加者から「落ち着いた声で聞き取りやすかった」「癒される声ですね」と言われて、これは皮肉かな…と少し戸惑ったことを覚えている。その後もその話し方を心掛け、いつしか身についていたようで、それからも声が褒められることが続いた。

私は自分の声が今では好きになった、とまでは言わないけれど「まあ、こんなもんかな」と受け入れられるようになった。         

しかし私が言いたいのは、単純に声が褒められるようになってうれしい、ということではない。

いくらほめているつもりでも、外見のことをいきなり相手に伝えるのは礼を欠く態度であるという認識は徐々にではあるが広まりつつあるように感じる。この現象、声にも当てはまるのではないかな、と私は考える。見た目と同じように声も人それぞれの個性があるのだ。私の声はとてもユニークだけど、いきなり出会ったばかりの人に、たとえ褒め言葉であっても評価されるのはあまり気持ちの良いものではないのだ。それでもあなたが、私の声を気に入ってくれて、それを伝えたいと思ってくれたとしたら、少し会話をしてから「あなたの声、素敵だよ」と伝えてほしい。そうしてくれるのは、とってもうれしい。そして反対に素敵と思わないのも自由だ。でも悪声と思ってもそれは私にフィードバックしなくて良い。そっと胸にしまっておいてください。

声のルッキズムとでもいうのかな。対応する言葉はすでに存在するのかな。そんなことを思う今日この頃。皆さんはどう思われますか。

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