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祈り

義父が亡くなり、無事に四十九日を終えました。

義父は最初転倒して硬膜下血腫になり、
本人が病院に行かなかったこともあり、
頭蓋の中に血がゆっくりと溜まり、
意識不明となったのが7年前。

もう、回復することは無いかも…と言われた時には
義母と旦那と3人で絶句しました。

しかし、ゆっくりとですが回復していき、
電動自動車でお散歩できるほどに。

91歳という年齢と
元々の持病である心臓が弱くなっていき
最後は、水分を排出する力が弱くなって、
肺に水が溜まってしまって。

私は田舎に住んでいますから、
ここから四十九日までのおかんきが
始まりました。

義母は故人のためにお膳を作り、
お経をあげます。

毎週金曜日には、親戚が集まり、
みんなでお経をあげるのです。

昔は、親戚一同、ご近所さんも参加し、
大人数でおかんきをしたものです。

その度に、お茶とお茶菓子の用意も。
義母がいうには、
さらに昔はみんなにもお膳を出し、
お酒まで飲んだりしたそう。

他県から帰省してきた弟さんや
妹さんのところでは、
こういう風習?は無いそうなので
田舎に残る風習なのでしょうね。

私の祖父や祖母の時には、
両親は毎日通ったけど、
孫は行ける時だけでOKしてもらってた。

義母が週1でいいよと言ってくれたのもあり、
私は仕事や帰りが遅くなる時は行かず、
行ける時だけ、参加しました。

最初は四十九日長いなぁと
思っていたけど、通うにつれ、
義父が無事にあの世に
旅立ってくれますようにと、
自然と祈るように。

祈りとは自然に湧き上がってくるもの
なのだと、初めて感じたように思います。

何かへの純粋な想い。

お経をあげていると、
自分と周りの境目がわからなくなるような
周りに自分が溶け込むような感覚が
くる時がありました。

それは、瞑想の時に感じる感覚に
そっくり。

そう思いながら、お経をあげていると
自分の声がツボにハマると
この感覚がくることに氣づいて。

声がツボにハマるというのも、
感覚なので、説明できないけど、
自分が好きな声のトーンの
ような氣がします。
(余計説明できないけど…)

心が落ち着いている時にしか
出ない声。

急いでお経をあげようとしたり
するときは、ダメ。
次にあれこれしようとか、
時間が氣になったりしてる時はダメ。

心静かに、義父のことを想い、
しかし、その想いも静かになった時
訪れる感覚。

その感覚が私を癒してくれるのです。

大きな安らぎと平安をもたらしてくれる。

瞑想が苦手な人にはオススメだなと
思いました。

それともう一つ。
最初、お経をあげるのに、
言葉がわからないから、
文字を追うように唱えてました。

その時には、ペースが早くて
ついていけなかった。

お経に慣れていった頃から、
ペースが遅く感じるように。

義母のところでは、
お経のテープをかけて、
それに合わせてお経を唱えるのですが

だんだん、テープの声が
遅くなるように感じるのです。

時間って、その人の意識により
長くも短くもなる。

それをお経が改めて感じさせてくれました。

心静かに義父と義母と自分について
考えることの出来た、貴重な時間を
過ごすことができました。


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