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「生きていてよかった」になりたい

フラワーカンパニーズのこの曲の、このフレーズだけが耳に飛び込んでくるシーズンがあった。
「いいなあ」と思った。「早くこれになりたい」とも。
「生きていてよかった」と言えるということは、「幸せだ」ということだ。いいなあ。あなたは幸せになれたんだ。私もそうなりたい。幸せになりたい、というのは、けっこう皆考えているんだろうことであって、一方で、なんだか失礼なようにも感じる。失礼というのは、今、自分を取り囲んでいる、取り囲んでくれている全てに対して。だってそれは、「今幸せじゃない、今あるものじゃダメだ」と言っているのと同じに思えるから。
今そばにあるものも、大事なものであると、分かっていなければならないと知っている。

思えばもう何年も、「幸せになりたい」「ああ、こりゃ失礼だなあ」をひとり繰り返して歩きつづけている。行先は、依然はっきりと見えない。時間だけがひたすら順調に、進んでいく。
今年は3つの結婚式に呼んでもらった。結婚式にはかつてみんなが集う。新郎新婦も参列者も、みんな素敵な大人になったものだと、知る機会はとめどない。間違いなく素晴らしいことで、その都度、自分の現在地が後ろめたくなる。

フラワーカンパニーズの「生きていてよかった」も、素敵な大人たちの喜びなのかと思っていた。だから眩しかった。眩しくて、だからこそ惹かれて、歌詞を調べた。
すると「生きていてよかった」に続くのは、「そんな夜を探してる」だった。「そんな夜はどこだ」もあった。この曲の中で走る誰かも苦悩しているのだと、はっとした。それもタイトルは、「深夜高速」。
昔、高速道路のサービスエリアで不思議に閉じ込められ、もとの人生に戻るため模索する人々を演劇脚本として書いたことがある。
深夜高速。当時も今も、田舎と都会を往復している私にとって、高速道路は避けられない通り道だった。安いし効率がいいから、夜行バスにもよく乗る。夜のサービスエリアが好きだった。静かで、でもまだ旅が終わらない。なんとはないこれからへの期待に満ちている。
田舎だけれど仕事があり、食べるのにも困っていない。たまには遊びにも行ける。だけど本当は今この時間に、していたい他のことがあった。その想いに引きずられたまま生きている。目の前のものたちに、感謝はしている。でも満足なんて、できるはずがない。
この曲のどれをとっても、私の心の奥深くにあるものだと思えた。

私がこれからどれだけ残酷な選択をして、誰もが目を背けるくらい我が侭に突き進んでも、きっとこの歌だけは私から離れることがない。そんな確信を、もらうことができた。
だから臆することなく私は唱えつづけよう。苦しくても、誰も続くものなんかいなくても。その後に、願ってやまなかった光景が確かにあると信じて。
生きていてよかったに、なりたい。どうしてもなりたい。
この歌とともに私は、私を叶えていこう。

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