日本人は言った。「にほん? なんかよく言ってるよね。分からない、知らない、興味無い」

ああこのタイトル意味わからん。でもこの意味わからん文が現実だと思う。今の。

今回の選挙も投票率が低かったらしい。詳しくは知らないけど。
ネットでは、もうめちゃくちゃ、毎日みない日はないくらい「選挙行こう」の文字が踊っていた。今回はいけんじゃないか、さすがに投票率上がってるんじゃないのって思っていた。
上がらなかったね。行かなかったんだね皆。

もちろん、「選挙行こう」が効かなかったはずはないだろう。こっそり、忙しいからいっかな〜と思っていた人も、行こうと決めるきっかけになったと信じている。それだけの力は確かにあった。
ただそれは、選挙に行こうか“迷っている“人に対してのもの、だったかも知れないな、と、思う。

政治に関心がない人、がいる。
政治って何だっけ。その国、ここでいう日本のことを考えて、その国の色々を決めることだ。そのはずだ。
日本に関心がない人、がいる。

日本に関心がない人は、消費税の話題に関心を持たない。他の国とのやり取りに関心を持たない。日本の未来に関心を、持たない。全部、自分の人生とは遠い場所で行われるマイナーアーティストのライブのように思える。

本当はそうではない。もちろんそうではない。政治で決まることは全て、その国で暮らす全員の人生に“必ず“関わってくることだ。

ではなぜそう思わないのか。私は1つ仮説を立てる。

「分からないから。」

日本に関心を持たない人を馬鹿にしているのではない。私は、分からないということに関して、その人に落ち度があるとは思わない。それはその人の育った環境や、物事の受け取り方や感じ方など、極めて個人的な要素と密接に関わっていて、一概に評価出来ることでは決してない。

分からなければどうなるのか。知ることができない。新しい考え方や言葉を前にして、それを自分のものにすることができない。だって根本を理解できないのだから、理解できないものを自分の中には、入れたくたって入らない。

知らなければどうなるのか。

興味を、持たない。

「分かろうと、知ろうとしないのが悪いのだ」そういう意見もある。もちろん、知らないものを知ろうとする人もいる。でもそれは、その人が「理解することができる」方法をたくさん持っているからだ。だから色んなものを理解できる。知ろうとすれば自分は理解できる、その自信をもって初めて、人は知らないものに近づこうとすることができる。

理解することが難しい、理解するための方法が限られている人達にとっては、今の政治の発信方法は極めて受け取りにくいものだと思う。

まず、発信場所が限られている。演説はその場にいあわせなければ聴けないし(メディアでも聴けるけれど、大抵バイアスのかかった切り貼りが行われている)、宣伝の公報も候補者の紹介ばかりでマニフェストが書かれていなかったりする。

そして、発信方法がちょっと不親切だ。それまでしっかり政治の流れを追いかけてきた人にしか分からないような専門用語の羅列、もしくは「で、具体的にはどうするの?」がわかりづらいふんわりした理想の社会像の語り。

特に専門用語。これ、結局その分野の人のための言葉でしかなくて(毎日それに関わってるのにいちいち説明していたら時間かかっちゃうしね)、専門じゃない人からすると理解するためには壁でしかない。

私も理解の方法をたくさん持っている方ではないから、政治のことを知るのにたくさんの障壁を感じてしまう。かなり手前の方で、行き止まりにぶち当たる。

でも、本当はそうあるべきではないよね。

民主政治というのだから。国民一人一人に選挙権が与えられているのだから。政治に関わるために、まず理解する権利がある。

要は、理解してもらおう、と努力することが大切なんだと思う、選挙に関しては本当に。

「選挙に行け」と言われる。でも、そこで誰にどこに入れたらいいのか分からない。誰がどこが何をしているのか分からない、知らない。誰でもいいんだよなんてみんな言わないでしょ。だってそれじゃ意味が無いもの。でも選べない。分からないし知らないから選べない。選んじゃいけない。だから行かない。

そう思ってる人、意外に多いんじゃないかと思う。そもそも、よく分からないから行かない、面倒だし、という人も多いだろうし。

行って書くだけ、といったってわりとハードル高いよ。時間も確保しないといけないし、なんか人に見張られてて怖そうだし、行くの面倒だよ。

この、面倒だよ、を超えるほどの関心を、まず皆で育てていかなければならないんだと思う。

とにかく行けばいいんだよまずは形から、もちろん分かる。大事。

でもね、関心がちっともないのに、なんでそれが大事なのか理解できないのに、形から入るなんてこと、できるかしら。なんでそんなめんどくさいことしなきゃいけないんだよ「選挙に行こう」ってどうせ頭のいい人が上から目線でいつも通り無責任に命令してるんだ行くかよバーカ、って私ちょっと思ってしまうかも。何も分からない状態だったら。

どうせ私が行ったって変わらないよ、とも思うかも。まあね、確かに1票じゃ変わらないかもね、でもあなたのように思っている人が100人いたらどうだろう。100票になるよね、そこをなんとか、99票にしてくんないかしら。
って話なわけで。それも伝えつつ、まず「にほん、のこと考えるの、自分の人生のこと考えるのと一緒だよね」と日本人が納得することが必要なわけで。

まず分かろう、知ろう、関心もとう、私も分からないよ、誰も全部は分からないの、だから一緒に考えよう、分かろうとするための1歩を踏み出そう、同じ国で暮らす、この国の人だから。って姿勢を私たち一人一人が発信しあってくことから、まず始めないといけないのかな、その先でやっと活きる「選挙行こう」なのかなって思ったりする。

「日本? ああよく言ってるよね、分からないけど、知らないけど、興味持ちにくいけど、自分にとってきっと大事だから、分かりたいんだよね」って日本人みんなが言えるように。

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