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意識の矛先が変わってしまった話

もうすぐ節分だね。大人になると、鬼退治をする機会なんてそうそう訪れないから、ひのは鬼退治がしたいよ。

鬼は外〜福は内〜

なんというか、都合のいいセリフだよな、と今打ってて思った。でも、やっぱりお願いしたいよね。鬼は外に行ってほしいし、福は内に来てほしい。


でも思うんだけど、もしも自分が鬼だったら、豆まきしてくれる人の方には逆に寄るかもしれない。だって、豆をくれるから。

吸い込んで食べちゃうぞ〜。

そういえば高校生のころ、仲の良かった担任の先生に自作の川柳カレンダーをプレゼントしたの。
あげようと思ってつくったんだか、つくったものを欲しいと言われたんだか、経緯は忘れたけれど、とにかくあげる前にバシバシと写真を撮ったのが残っていたので、それをちょっとみて欲しい。


食べてるんだよねえ。鬼、豆を吸い込んでる。
こんなダイソンみたいな鬼がいたら、たまったもんじゃないよね。無敵だよ。

やっぱり月日が経っても、にんげん、考えることは変わらないんだね。


それにしても、こんな小学生みたいなくだらないカレンダーを高校生の生徒から押し付けられた先生はどんな気分だったろうか。今更恥ずかしくなってきた。

「ちょうだいよ」と言ってくれたからあげたような記憶もあるんだけど、それがほんとの記憶なら、ちょっと生徒が喜ぶことを言ってみたかっただけなんだと思う。


担任は生物の先生だった。職員室にはあまり戻らずにずっと生物準備室にこもっているような人だったから、お昼を食べ終わったら友達とよく押しかけたんだけど、カレンダーをあげたその日から、ずっとデスクのところに飾ってくれていた。


カレンダ、月が変わるごとに、きちんとめくられていくの。
3年生の年だったから、めくられるたびに少しさみしい気持ちになったのをよく覚えている。


うーん懐かしいな。
そういえば、誰かにつくったものをあげるワクワク感、サプライズをするワクワク感、もてなすワクワク感。いつからなくしちゃったんだろう。


昔から、親には手紙なり絵なりを突然かいてはどこかへ忍ばせたりして喜ばせるのが好きだったし、小学6年生のころは、大好きなゾウさんについていろいろと調べて、自作の雑誌を作ってはそれを定期的にばら撒いていた。

たまにゾウさんについて謎の講習を開いたりもした。当時は人を楽しませる企画を打っているつもりだったけど、絶対につまらなかったと思う。それなのに友達も先生も参加してくれて、うれしかった。


今と比べると、かなり意識が外側に向いていたのに、なんでかな、もう、最近は意識が内側に閉じこもったまま出てこないんだよね。


これが大人になるってことなのか。いや、違うよな。大人になる途中段階、なのかな。乗り越えなきゃ大人になれないんだろうな。がんばる。外側向くよ。心、動かしていく。

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