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#8月31日の夜に 何を思っていたか、思い出せない

8月が終わる。
今や世間一般的に"大人"と言われるようになってしまった私だが、少し心に隙間が空いたような気持ちになる。

いつかの、どこかの8月31日の夜に不安でいっぱいの誰かへ

つらかったときの話をする。
つらさは飛び火することが多いからこの手の話はよく避けているけど、共感することで心が軽くなることもあると思う。
それは1人じゃないと、顔も知らない誰かとも心を通わせることはできるとわかるから。
暗くなりすぎるのは望ましくないけれど、ときには影に入っても、薄暗くなってもいいのだ。誰にも見つかることなく、ひっそりとたたずんでいよう。そうしたら、気持ちがすーっと解けたりしないだろうか。ひんやりとした空気を吸って、体の中が綺麗になるようなイメージ。
そんな風に少しでも誰かの心が穏やかになるように。

8月31日の夜に、あの頃の私は何を思っていたのだろう

一番つらかったのは、きっと中学生のとき。2年生の頃かな。
あまりよく思い出せない。思い出すきっかけもないから。写真も殆ど残っていないし、違う地域へ引っ越したからそのときいた人や場所を見ることもない。今も関わりある同じ中学出身の友達とも、そういった話をすることはない。
でもあのとき学校が嫌で、というか学校での人との関わりが怖くて、つらくてたまらなかったことは覚えている。
クラスで友達ができなかったからだ。

"クラスに友達がいないことはクラスで居場所がないこと"

もちろんこれは真っ赤な嘘だ。
友達がいなくても、人はただそこに居ていいもの。でも中学生の頃の私は、まだわかっていなかった。
授業中は授業に集中すればよかったので、むしろ好きなくらいだった。
問題は休み時間中や学校行事のとき。一緒にいる相手がいなくて、輪の中に入ろうとしても全然馴染めなくて付いて行けなくて、「私の居場所はない」と思った。
心が落ち着かなくて、胸のあたりが詰まって、息がうまくできなくて、とにかく悪い気分。
いっそ本当に体調を崩してしまいたかった。でもそれで休んでいるときに悪口を言われたらと思うと怖くもあった。
さらに運悪く「面倒な人」と同じクラスになって、色々言われたりした。
一番ショックを受けたのは、それまで普通に接してくれていた人の態度が変わったことだった。
「面倒な人」の私への対応と、それを受けた私の反応を見て影響されてしまったのだろう。

今ではこんな風に振り返ったりnoteに書いたりしているけど、当時はそんなこと考えていられなかった。
学校から帰って、夜。ベッドに入って眠りに就くとき、不安でたまらなかった。
…ああ明日は体育の授業がある。二人一組の相手は見つけられるだろうか。また面倒な人に何か言われたらどうしよう……
考えたくないから、イヤホンをして好きな音楽を聴きながら目を瞑り、眠るという意識をなくして寝ていた。

夏休みは、そうした胸の詰まる感覚を忘れていられるからよかった。
特にビックイベントなどはなかったと思うけど、明日の不安に心が重くなることがないだけで楽しかった。
しかしどんなに楽しくても永遠に続くものはなく、日が進めば夏休みは終わってしまう。
夏休みが終わるそのとき、中学2年生の私はつらかったんだろうな。
8月31日の夜を、具体的に覚えているわけではないけれど。

8月31日の夜と、今これから

やっぱりつらかった頃を思い出すと胸がぐっと痛むので、「振り返るとあの頃も良い思い出」なんてまとめることはできない。
それでも、過去私の身の回りには事実として以上のようなことが起きていて、そのとき私はこんな気持ちでいたと認識しておきたい。
はっきり思い出そうとするのは、折に触れてたまにでいいから。

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