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書くことは祈りに似る

柴田元幸の朗読会に足を運んだのは、朗読された柴田元幸を聴いたからだった。

毎日、家を出るまでのタイムキーパーとして聴くラジオで高橋源一郎がパーソナリティの曜日がある。
一冊の本を紹介するコーナーがあって、こういうところが面白いんだよ!と話した後に、特によかったという部分について長めの引用を読み上げる。
最近「柴田元幸 ベスト・エッセイ」を取り上げていて、この間書店で見かけて手に取ったのに買わなかったな、やっぱり買おうかなと思い直していた。

よく行くイタリアンの周年記念に予約をしていた日の前日に、一乗寺で柴田元幸のイベントがあることを知った。食事後にすぐ京阪に乗れば間に合う。
もう空席がないだろうと思いながらメールをしたら、30分以内に空きがありますと返信があった。

京阪の座席で、最近読んでいる多和田葉子「雪の練習生」から生まれたイメージを思い返していた。
何かをどこかに書くひとには「はじめに、SNSありき」と「身体の中に書きたいことが溢れて、とにかく書くための道具をつかむ」というひとがおり、後者の物語のように思えて仕方ない。
更に、書かずにはいられないひとは本当に一人のものとして隠したい気持ちと、もしかしたら意図が通じる誰かに見せたい気持ちが半ばするものだとして、心象風景としてはラスコーの壁画がしっくり来た。
暗い洞窟のなかに彫りつけた絵は、誰かが入ってきて、かつ火をともさなければ見えない。
これ見よがしに見せたいものでもなく、でも、見えたひとには喜ばしいものなのかもしれない。そこまで考えていた。

朗読会会場は、私などよりもっとずっと柴田元幸を好きなひとたちが集まっているようだった。
最後、イラストレーターのきたむらさとしが紙芝居を二つ演って、二つめが「THE CAVE」という洞窟の壁画をテーマにしたものだった。
草原を駆けてきたひとが洞窟の中で絵に出会い、絵が動き出して…というのは、完全に道中で考えていたことの続きに見える。

これもきっかけなんだろうと会場で買ってあった「柴田元幸 ベスト・エッセイ」に、柴田元幸ときたむらさとしのサインを入れてもらい、「ラスコーの洞窟画、見たことありますか?レプリカが見られるんですよ」と教えてもらった。

「柴田元幸」「朗読」「洞窟画」のフーガだ

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短篇の朗読、合わせて即興で弾かれる音楽、即興で描かれる絵の会

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