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タージマハルとベランダ時間

夫の会社にインドから来た人が入社したらしい。

夫はいろいろ世話を焼いてるようで、そのお礼にとインドの方からお土産をいただいた。
タージマハルのクリスタルの置物である。
10cmにも満たないサイズの、綺麗で高価そうな代物で、置物という以外に用途はない。

しかし、あいにく小さいマンションの我が家には、そんなオシャレな小物を飾るスペースはない。どうしたものか。

9歳の息子が「ボク欲しい」と手を挙げ言うので、とりあえずあげた。
翌日には、そこらへんにほったらかしになっていた。
「もう捨てる?」と聞くと、「いやダメ!いる!」と答える。
口だけのやつだ。

タージマハルの置物は重たいし、角張っていて、上の柱もツンツンしている形状である。そこらへんに置いとくのはなんだか危なっかしい。
どうしようかと考えて、「そうだ!」と思いついた。
ベランダである。試しにここに置いてみよう。

東向きの我が家のベランダは、朝、光が差し込んで、タージマハルはキラキラ輝く。私はすっかり嬉しくなった。雨の日のタージマハルもまた、それは憂いを含んで素敵なのだ。

少し屈んで視点を落とし、タージマハルごしに見上げる空は特別に見えた。そして、私は思い出した。

私はタージマハルに行ったことがある。

二十歳になる前くらいに、アルバイトで貯めた資金で、女友達と2人インドに貧乏旅行をした。
格安航空券だけとって、むこうで適当に宿をとるみたいな、今思うと若気の至りとは言え、無鉄砲で恐ろしい旅行だ。

インドといったらタージマハル。そんな安直な発想で行ったのに、すっかり忘れていた。

インド北部アーグラにあるタージマハルは世界遺産になって、インドに訪れる観光客のほとんどが見に行く。入場料がインドにおいてはべらぼうに高くて、ビックリした記憶にある。

そういうわけで、タージマハルには世界中から来た観光客が集まっていて、その客たちのお金を狙うインドの人たちも集まっていた。
気を抜くと、頼んでもいないのに、観光案内を勝手にしてきて料金を請求してくる。そういうインド人が周りにいっぱいいた。

はじめてのインドで、旅の疲れと気疲れと暑さとで頭がぼうっとしていたんだと思う。
タージマハルはせっかく来たのだからと高い料金を払って入ったはずなのに、中に入った記憶がほとんどない。
思い出すのは、ただ、遠くから見たタージマハルが美しかったことだ。
空に浮かぶ白いタージマハルは、本当にシンメトリーで美しかった。

ベランダで洗濯を干すとき、小さなタージマハルをチラ見して、なんだか誇らしい気持ちになる。

そうだ、私はタージマハルに行ったことがあるのだ。

その事実は、急に壮大な世界がガチャンと私につながった気がした。
東京の片隅のベランダで、私は少しほくそ笑む。

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