見出し画像

「子どものための精神医学」を読んで②

発達のことを専門的でありながら非常に分かりやすく書いてくれている書。子育てや学級経営、特別支援教育含め、他人との関わりにおいての根本を見直すことのできる良書。自省を含めて書きます。

真の目的は、説き伏せて行動を変えさせることよりも、ひとと判断をやりとりする体験を与えることにある。
滝川一廣(2017),『子どものための精神医学』

今、私には2歳半の息子がいる。いわゆるイヤイヤ期に入っているのか、大人が「ダメ」ということをやりたがるし、全然言うことを聞いてくれない。

でも、そういうもんなんだと改めて思う。教員をしていると、子ども達が素直に教師の言うことを聞いてくれる場面が何度もある。そんな場面が続くと、万能感に陥ってしまうことがある。なんだか「子どもが大人の言うことを聞くのは当たり前」という錯覚に陥ってしまうのだ(今となっては、本当に良くないことは重々承知してます…)。

そうすると、言うことを聞いてくれない子がいた時に、それこそ説き伏せて行動を変えさせようとしてしまう。目的が「行動を変えさせること」になってしまう。だから、説き伏せて行動を変えない子がいるとイライラして、相手の子を責めたり、自分の能力不足を呪ったりしてしまう。

でも、そもそも相手の行動をコントロールできると思ってることが、大きな勘違いなのである。なぜなら相手と自分は違う人間だから。他人を変えようと思ってること自体がおこがましい。相手を変えることなんてできない。「その子」を変えることができるのは、「その子」以外にいない。(この事実に気が付いたのは、教員5年目くらい)。

かと言って、「何もしない」のも違う。それは教育ではない。間違っている行動を取っていたら、「間違っている」と伝えるべき。たとえ、相手の行動がその場では変わらなくても、自分の価値観や判断を伝えることには、大きな意味がある。(だから教育は、短絡的な結果を求めてはいけないと私は思う。)

もちろんそれ以上に、その子なりの判断や理屈を理解しようと歩み寄ることは大事。その判断や理屈がいくら自分から見て間違っていたとしても、「あなたはそう考えたんだね」と認めることが判断の共有になる。その後、自分の判断を伝えれば良い。そうやって判断をやり取りする体験を与えることが教育の営みなんだと思う。自分の判断を押し付けて、行動を変えさせることを目的としてはいけない(ほんと、気をつけよう)。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?