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へなちょこ東京生活 0911


コンビニのバイトから帰ってきて、すぐ演劇サークルに直行し、新人公演の通しで泣いて、文芸サークルの友人たち(私は友人と思っているが以下略)と通話する。近年まれに見る充実した日だ。翌日には内容もぼんやりしているであろう会話ほど貴重な時間はない。ふとしたきっかけで高校の話になったのだが、どの高校にも必ず一つ二つ特筆すべき点があるものだなぁ、と思ったり。まず彼ら本人がすごい。科学甲子園に出場したり、バレエ経験者だったり、空手ができたりする。やたらと手先が器用でなかなか常にない小中高校生活を送っていたり、どのジャンルの話を投げられてもあっさりヒットを打ち返す博識打者だったりする。高校全体の話はあまりに面白くて長いので割愛。以下にキーワードだけメモしておく。


受け継がれしカルメ焼きとテキサス/仮装行列とリヴァイ兵長/恋ダンスと空手男子


彼らの性質が培われた土壌を知ることはなかなかどうして面白い。土が違うと野菜の味が変わってくる、あれと同じ原理なのだろうか。


その中で少しだけ放送部の話になった。かつて私は、たった一人の後輩と昼放送を勝手に始め、勝手にリクエストを募集し、勝手に流していた。大学になった今でもその残像というか亡霊というかが放送室で昼放送を作っている気がする。その原体験が今なお私を演劇や創作に突き動かすのかもしれない。

なんの功績にもならない、履歴書にも受賞歴にも何も書けないあの日々。しかし、その日々は案外かけがえのないものだったんじゃないか、と、やっとてらいなく思えるようになってきた。私が今まで年単位で毎日続けたことなんて、喘息の薬を飲むことと昼放送くらいのものだし。


ああ、演劇の話をしたい。

劇団木霊の新人公演は、ええぞ。まず脚本がやばい。ネタバレは出来ないので一切を口にしないが、やばい。舞台装置もやばい。私もコンクリネイルを打ち込んだり汚しをしたりしたので、本当に観てほしい。生配信なのでご予約と予定の確認をお忘れなく。『犀臨』、通しの時点で泣いてしまった。演者一人ひとりに「すごかった」と言って回り、半躁状態で劇団の人と喋りまくった。何を言ったかは覚えていない。明日は照明の仕込み日だ。今からワクワクである。音響なのに行く。もうそろそろ演劇狂い扱いされそうだ。そんなに演劇に狂っているわけじゃないんだけど……

演劇っていいよね。あと、本当に今言うことじゃないかもしれないけど、演劇は生に限る。あれは経験に近いものだ。音響と照明も好きだ。演劇の場を支配する強制力を持っている。支配者って、それだけでわくわくする。舞台美術もいい。とくに今回の舞台装置はザ・舞台!と言った風合いで最高。また作りたい。脚本も書きたい。阿保か私は、何人いるつもりだ。


会誌の話もする。

とりあえずは提出できた。納得はしていない。もう知らない。へなちょこなのでどんどん弱気になっていく。LINEで会話していた友人たち(私は以下略)もしっかり提出できたようで、読むのが楽しみだ。

今回の私の作品は自分の中の矛盾や奇妙だと引っかかるところに焦点を当てることへ全精力を傾けたので、出来はあんまりよろしくないだろう。それでも思い出の一作になったのは確かだ。うん、これでポジティブに「もう知らない」と言える。


最後に少し、中途半端の話をする。

私は様々なことに手を出すタイプの人間だ。なぜなら、これまでの人生で何一つ極めてこなかったから。演劇、映画、小説、どれか一つに打ち込めないのは保険をかけているからだ。ここがだめでもあっちの居場所がある、という具合に。それを繰り返してここまで来て、ようやく初めて本当に何でもできる人を日々目の当たりにしている。まず素養が違う。また今日もいくつかの小さな見栄を張ってしまった。その一つ一つはきちんと覚えていないけど、嘘をついたような罪悪感だけが薄ぼんやりと残っている。誰かと長く話した時は、いつもこんな気分になる。でもそれも克服しなければならないのだろう。だって、話をすることは本当に楽しいし。

また、その小さな見栄が私を成長させてきたこともまた事実である。へなちょこにはへなちょこなりの流儀と生き抜き方がある、と言い切れないのはへなちょこ所以だ。


躁状態と鬱状態、この二つを行ったり来たりしながら人は生きている、ように思う。溌溂と外へ開けたワタシも、うじうじと内省反省するワタシも、どちらも私なのだろう。まあ、鬱のワタシがあんまりグッタリしないよう、躁のワタシはもう少し落ち着いてほしい。ね?頼むよ?


【追記】

サン・テグジュペリの『人間の土地』を読もうと思う。なんだか今読むべき気がする。なんでかは知らんけど。


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