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へなちょこ東京生活 0929




快、不快でいうと不快に振っているけれど、そこまでとげとげしい感じではない。不安で、不安定で、寂しくて、でも一人でいたくて、ちょっと泣きたいような気分になることがたまにある。半年に一回とか、それくらい。今がそうだ。一過性のもので、おそらく身体の疲労、オーバー・タスク、あといくつかの不運な偶然(例えば今日食べるつもりだった弁当が売り切れていた、とか)に起因するこの気分。別にほっときゃ治るのだが、それでもなんだか沈んでいる。泣いちゃいそうだよ、と言っても、泣いてもいいんだよ、と胸を貸してくれる人はいない。嗚呼独り身の哀しみよ。むしろ「泣いちゃいそうだよ」と言ったりなんかしたら「よ」の部分だけが部屋に残ってキモチワルイことになりそうなのでやめておく。そんなことになったらマジで泣いちゃう。一人で泣くほど虚しいものはない。涙は他人あってこその涙であり、誰もそこにいなければただの塩水でただの生理現象だ。(今日はこんなダル・モードの私がお送りします)

今聴いているのはバート・バカラック。教室カフェ化計画、と名付けて高校の時のセンセイ(川上弘美風)が送ってくれた総特集だ。センセイは「村上春樹の『バート・バカラックはお好き?』じゃん!」と突っ込んでくれるのを期待していたみたいだが、それならカタカナのタイトルで送ってくださいよ。「教室カフェ化計画 Burt Bacharach編」で私が気づくとでも思ってんですか。ちょっと腹が立ったから、メールを縦読みすると「ハンバーグ・ステーキ」になるようにして送ったら、こっちの機種とあっちの機種でフォーマットが変更されたらしく「今日の文章は不自然ですね。もしかして何か仕掛けてましたか?」と返ってきやがった。こんにゃろ。完全敗北である。というか、センセイいい加減スマホでもガラケーでもいいので持ってほしい。いつまでもパソコンと家電で補えると思うなよ。でもそんなところも好きだ。

なぜこんなにセンセイの話ばかりしてるかと言うとですね、私はお酒も飲めないしたばこも吸えないからです。一昨日、劇団木霊のキャパ(客席)作りに参加したとき、すでに成人済みの先輩方がお酒の話で盛り上がっていた。なぜ一人で酒を飲むのか、と訊けばそうしないと越せない夜があるからだという。「高校の時とかもさ、あったとは思うんだよ。でもさけをのむという手段を覚えるとさぁ」と言う先輩の顔は若干沈んでいた。大丈夫なのだろうか。ちょっとカウンセリング行った方がいいのではないか、と思わんでもないが、世の大人が晩酌をするあたり皆同じようにうまくやり過ごして朝を迎えるのだろう。ひどい二日酔いとともに。しかし私はお酒が飲めない。だって未成年だし。未成年でも別にいーじゃん、という同級生には大きく頷いておきたいと思う。そりゃそうだ、自分で責任取るんだったら別にいくつから飲んでもよかろう(よくねえか)。私が成人するまでお酒を飲まないと決めているのは別の理由だし特に語る必要もない。で、酒を飲まない私がいかにダル・モードをやり過ごすかというと、ただ良い思い出を思い返す。懐かしい音楽を聴いたり、懐かしい小説を読み返したり、懐かしい人と会話したりする。そして、私の最良の時代は高校であった。私の高校生活にセンセイの存在はタイヘン大きい。だから、センセイを思い出すことは、私の最大のメンタル治療なのだ。記憶は力になる。私の好きな言葉のひとつだ。

ここまで書いて、我ながらやべえ奴だなぁ、と思っている。これがセンセイにばれたりしたらもう棺桶に入って燃やされるしかない。葬送曲は星野源の「ストーブ」がいい。

さて、楽しかった高校時代(だいぶ美化されている)を思い出したところでちょっぴり元気になった気がする。ちなみに、この前から星野源のアルバム行脚をしていたのもこの辺の理由だったり。

星野源を最近聴き直している、と言ったら某かなり洒落ならないレベルの星野源ファンである劇団木霊同期がまた良い曲を教えてくれたので紹介したいと思います。聴いたこと無いはずなのになんだか懐かしくなる曲です。
そして、YouTubeでこの曲の次の候補に挙がってきた曲もよかったので紹介しますね。これ映画の主題歌になってたんだ……知らなかった……

宮内優里で「読書」フィーチャリング星野源
https://youtu.be/SXrh7HmHr8k

続いて、星野源で「夜のボート」ハモっているのは石橋英子です。
https://youtu.be/6KInrsDWzng

2曲続けて、どうぞ。

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