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AIは人類にパラダイスをもたらす、と思っていた時期がぼくにもありました。

以前、こんな記事を書きました。

今回の記事「AIはこの世界に楽園を実現しない」は上記の記事の付随記事、いわば続編ですので、まだお読みになっていない方は上の記事を読んでからこちらの記事に目を通していただければと思います。

本当は上の記事を公開した後にすぐにこの記事を公開しようと思っていたのですが、なかなか重い腰が上がらず時間がかかってしまいました。

はじめに

上記の記事で私は「AIは人類に楽園をもたらす」という主張をした。その理由は、AIが人間の労働をとって変わることによって、人間は芸術や学問などに打ち込めるからである、とした。さて、人間が芸術や学問に打ち込めることが人間にとって楽園であるためには、いくつかの前提が必要である。本記事では、それらの「前提」と私が考える人間の性質について説明しながら、「AIは人類に楽園ではなく地獄をもたらす」という真逆の主張を展開する。

AIが楽園をもたらす条件

先述したように、AIがこの世に楽園を実現するという主張は、いくつかの前提に基づいている。これらの前提を説明するにあたって、この主張においてどのように楽園が実現されるのかということを簡単に再確認しておく。

AIが人間がするはずであった労働のほとんど全部をとって変わってしまい、AIによって生み出された富が人類に分配されるので、人類は学問や芸術に打ち込めるようになり、楽園が実現される。(上記記事より引用)

これが大まかな流れであった。さて、ここで批判的に検証をしたいのは、「学問や芸術に打ち込めるようになった人類は幸福である」という命題である。これは、真実だろうか?

ここで注意したいのは、人類がみな等しく学問や芸術(学芸)に打ち込む機会を与えられていることである。全員が学者で、全員が芸術家かもしれない。

全員とまでは言わずとも、かなり多くの人間が学芸にたけている状況下でも学芸に勤しむことが幸せであるとき、学芸には「絶対的に幸福をもたらす」力があるといえる。(絶対的に幸福をもたらす性質を持つ活動を「絶対的幸福源」と呼ぶことにする)これと対をなす概念は「相対的幸福源」である。

勘のいい方はすでに私の言いたいことを理解して下さっているかもしれないが、明らかに説明が足りないので、絶対的/相対的幸福について説明する。

絶対的幸福とは、「他者との(優劣の)比較なしに生まれる幸福」のことであり、反対に、相対的幸福とは「他者との(優劣の)比較があって初めて生まれる幸福」である。

上記の記事では「学芸は絶対的幸福源である」ということを暗黙の前提に論が展開されていた。みんながお勉強に打ち込めて幸せだね、と。しかし、実際はどうだろうか?

「他者に優越すること」が学業のモチベーションになってきた人が少なからずいることは間違いない。私がその実例であるからである。しかも、感覚的には「少なからず」レベルではなく、非常に多くそういう人間がいることが考えられる。

将来、労働力市場にて優位に立ち、良い待遇を手に入れ、良い生活を手に入れるために頑張ってきたのだ、という人はどのくらいいるだろうか。これも「他者に優越すること」が学業のモチベーションになっている例だろう。(「良い待遇」「良い生活」を相対的幸福源と考えた場合)

皆が学業に打ち込めて、皆が学問にたけていると仮定したとき、その世界は幸せだろうか。他者に優越することが非常に難しい社会は幸福だろうか。

芸術でも考えてみよう。みんなが絵を上手に描くとき、本当に絵を描くことは楽しいだろうか。みんなが上手に歌をうたい、楽器を弾くとき、おんがくは楽しいだろうか。

答えはおそらくNoだろう※1。身も蓋もない話だが、「他者に優越すること」によって幸福を感じるのが人間の性である。

つまり、この世の多くのことは絶対的幸福源ではなく、相対的幸福源なのである。

ハイブランド商品などは、相対的幸福源の最たる例だろう。その商品が欲しいのではなく、「その商品を買うことが可能なほど経済的に余裕があることを社会に示す手段」として、つまり他者への優越を表示するツールとして消費されているように思う。

したがって、冒頭に貼った記事に書かれているような世界が実現し誰もが学術や芸術に(ないしはそれに限らずやりたいことに)打ち込めるようになった時、他者に優越するのは非常に難しくなるのではないか、というような仮説にたどり着く。ここでこの仮説が正しいと仮定するとどのようなことが起きうるかを考えてみる。

このような世界で起きることはずばり、「やってもやっても永遠に欲求が満たされない、幸福を得られない」という現象である。

この世の幸福源の多くが相対的幸福源であるということを踏まえると、上に示したような世界で幸福を享受することはきわめて難しいばかりか、報酬系がうまく刺激されないためにそもそもやる気が起きない、継続しないといった状態に陥ることがほとんどになるであろう。

「全てのことを出来るが故に、何もやりたくない」

という地獄が待っているのかもしれない。

AIが高度に発展していくのはこの先の話だが、現時点でも我々は「絶対的幸福源」を自覚的に発見し、そこから幸福を享受することを意識しながら生活したほうが賢明かもしれない。


1.私は個人的に、皆が音楽にたけている世界で音楽をすることはとても楽しいと思う。しかし、合唱や吹奏楽で全国大会レベルでの活躍歴を持つ友人に聞いたところ、かれらは音楽の世界でも、正直「勝つ」ことに非常に価値を見出していると言っていた。極めるとやはり勝敗がつけたくなるのが人間なのかなあ、と思い本記事では以上のようにまとめさせていただいた。




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