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2021年MAKER UNIVERSITY U18メンター2年目の気づき

4年前、自分もMAKERS UNIVERSITY U18に参加していまいした。
島根県の離島の高校に通っていた自分にとって、全国のハミダシがちな高校生が集まるコミュニティとの出会いは今にも大きく影響を与えるものでした。そして昨年、U18の兄貴プログラム、MAKERS UNIVERSITYに参加し、このプログラム期間中に今取り組んでいる葬想式ができました。

昨年から、U18の伴走メンターとして参加させていただき、自分の産みの親であるコミュニティに自分なりの還元の機会をいただけていること、大変ありがたく思っています。

今年は伴走メンター2年目で、新たに見えてきた事があったのでここに残しておこうと思います。

プログラムをなぞるわけではなく、気づいた事を適当に書き殴る形ですがお許しください。

課題解決or価値創造・・・自分の生き方

これが一番高校生を悩ませていたトピックに思います。
高校生が「社会課題を解決する」と頑張っていると褒められます
次第にそれが自分の使命となり、やりがいとなり、自己を委ねていきます
自己紹介で自分の話しを全くせずに自分が取り組んでいる問題について語りがちな子が多かったことからもみてとれました。

また、そういった子はイキイキと頑張っているわけで、ストーリーも描きやすいので、まだ解決したい社会課題を発見していない子は焦るわけです。

こうして課題ロスに陥って、自分がやりたいことがわからなくなっていく、という構造があります。

さらにタチが悪いのは、こういったプログラムを設計している人自身が、高校生の機会創出だとか、課題解決型な場合が多いので、どうしてもそちら側への引力が強くなります

また一方で、課題ドリブンじゃなくてもいいよね、という雰囲気も創るわけです。そこで使われるのが「好きなことは何?」「わくわくすることは何?」「本気で向き合いたいことは何?」という問いです。自分な好きな事を起点に価値を創造しよう、というストーリーですね。

これもまた、「自分が本当にやりたいことってなんだろう」と考える機会を与える一方で、それが見つからないと焦ってしまいます。

課題解決型・価値創造型」の二軸だと限界がきます。

その間に、

「課題っぽいものを解消してるっぽくする」(カッコよくいうと違和感解消型)

とか

「価値らしきものを創造してるっぽくする」

みたいなグラデーションがあってもいいわけで、自分の心地よい世界を自分の周りに構築していく、みたいな内向きのエゴに留めるのが健全なのかなと思いました。
課題解決、価値創造という外向きのエゴは一種の暴力性(ex.課題を所有している当人を課題とラベリングすることなど)を含むので、限られた時間でそこに伴走するのは個人的にやりたくないことでした。

あと、僕に相談にきた子で「自分が本当にやりたいことってなんだろう」という問いに蝕まれた子が「やりたいことがわかりません」と相談してきました。
事業をつくることにこだわりがあるようなので「1日5つ、生活するなかの違和感を見つけて毎晩メッセンジャーで送ることにしよう」と伝えました。
意図としては、「テスト前夜なのに勉強してないやばい!」となると、勉強が頭に入らないのと同じで「やりたいことが分からないやばい!」となるとやりたいことは分からないです。
なので、一旦その問いを忘れて、違和感に意識を向けて生活してみるとか、自分のノルマを決めてやればいいと思います。
生き急いでいる人ほど、一日の最後に「何もできなかったやばい!」となるので「今は違和感に意識を向けて生活する期間だからOK」という余裕を持てるようにしたほうが結果的にいい感じになると思いまして。

複雑⇔抽象 と ごちゃごちゃ⇔曖昧

これは高校生のやりとりを聞いたりプレゼンを聞いたりするなかで思ったことで
よく「抽象的な問い」とかいいますが、抽象的なのではなく、「曖昧な問い」も中には多くあるなと思いました。

また、難しそうな話し方をする人もいますが、それは複雑なのではなくて、ただごちゃごちゃしている、という場合もあるなと。

これは自戒を込めつつ、気づきです。

納得することと、納得したとすること

こういった合宿型のプログラムは事前に設計された型があります。
今回もアジェンダワークというミッションに対する解を模索していくワークがありました。当然、「チームみんなが納得した上で進めていきたい」という気持ちは生まれるかと思います。

私が思ったのは、「チームみんなが納得することって無理じゃない?」ということです。
なぜなら

・なんでやるの?という問いを突き詰めた時、「プログラムにあったから」となる
・バックグラウンドが違う仲間が集った時、それぞれの合理性がある

の2つの要素が大きいからです。
あくまでプログラムなので、「納得したっぽい」という状況だったり、ある程度譲歩可能な前提条件を設定して推進する必要があるわけです。

この「譲歩する、ということに納得する」という落とし所を設定する、という考え方は新しい気付きでした。

他者の合理性を理解すること

これはいつも私が大切にしていることですが・・・
(正しくは「他者の合理性を理解しようとする営みをやめないこと」)

Aさんは「人のためになること」が第一優先事項だとします。
Bさんは「お金が回ること」が第一優先事項だとします。

そこの第一優先事項は何でもいいわけです。自分が大切にしたい軸なので。
大事なのは、それぞれに第一優先事項に設定した合理性があるわけです。他者の合理性を理解しようとしなければ「合理的⇔その他」的な思考に陥り、議論が進まなくなってしまいます。

「私の合理性はこれ、あなたの合理性はこれ」

と机の上にそれぞれの合理性を並べた時にチームメンバー同士が歩み寄れるようになると思いました。

エネルギーの采配

MAKERSは割と「熱」に傾倒しています。
それぞれコミュニティが大切にすることは異なりますが、今年は「熱」というエネルギーに触発される子が例年より少なかったのではないかと思いました。もちろん、熱が原動力になる子もいるので盛り上がってはいましたが、一歩引いたところから眺める、みたいなスタンスの子もいて興味深かったです。

どちらがいい、という話しではなくて、エネルギーにも色々な質があるのでそのエネルギーを上手くコントロールしないと最後まで自分のアクセル踏み出すチャンスが回ってこない子もいるなぁと。

例えば、共通のアンチテーゼを設定するとか、二人だけの秘密的なものとか、必要悪とか、エネルギーのコントロールの手段はプログラム中に結構考えさせられました。

参加者の選考の段階でふるいにかけるのか、その多様性を認めるのかは運営がつくりたいコミュニティに拠ると思いますが、多様性を許容しすぎても物足りないコミュニティになりそうだなという疑問が残りました。


というような学びがありました。
今回の参加者のみんなのメンターは一生続けるので引き続き利用してほしいなと思います。

ありがとうございました!




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