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父が大嫌いだったワタシ

心と体の癒し家うちむらあきこです🍀

宇宙元旦の春分の日
今日は初めて父の事を書いてみようと思います。

私は父が大嫌いでした。

一緒に居るのも嫌で
連絡が来るのさえ嫌
LINEやFacebookをブロックする程

でも私は自分のインナーチャイルドと
こつこつ向き合った結果

父を許し愛する事ができるようになったのです。


父が難病指定されている病に…

高校2年生くらいだったでしょうか
父が仕事を休みがちになったのは。

金融機関で仕事をしていた父は
忙しい時は午前様
いつもパリッとスーツを着こなし
私の自慢の父でした。

帰宅するとその父がパジャマ姿でいる

不思議な光景でした。

その光景が段々と増えて
ついに長期休暇を取ることに。

当時父は色んな精密検査を受けており
どんな検査を受けても異常なし

なかなか病名もつかず
(病名が分かると意外と安心するのですよね)

精神的なものだろうと
心療内科も受診することになりました。

心療内科では

『鬱病です』
と告げられたようで

両親は高校3年生になった娘に
きちんと病状を説明してくれました。

私は小さい頃からお父さん子で

一緒に寝るのも父
お風呂に入るのも父

本当にお父さんが大好きでした。

だから私はきっと傷ついたのだと思います。

大好きな父
仕事をバリバリして自慢の父

そんなお父さんがまさか鬱になるなんて…
受け入れたくなかったのです。


私が先に心の扉を閉ざしてしまったのでしょう。

父も鬱と言われてましたし
気持ちのゆとりはなかったと思います。

だんだん父娘の溝は深まっていきました。

父に話しかけられると鬱陶しく思い
私は素っ気ない態度を取りました

父が私のご機嫌を伺うように接するのが
また癇に障ってしまい
私の態度は辛辣なものに…

今でも忘れはしません
ちょっとした小競り合いから取っ組み合いになり
しまいには

心が弱いから鬱になんてなるんだ
お父さんは病気に負けたんだ


そんな取り返しのつかない
酷いことまで言ってしまったのです。


ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい…

深く父を傷つけたのは
父の顔を見てすぐに分かりました。

でも私も傷ついていたから
相手を傷つける事でしか自分を守れませんでした。

私まで壊れてしまいそうだったから。


その後、良い先生に出逢う事ができ
父は国に難病指定された
とある病気であった事が判明しました。

鬱じゃなかった…
私はなんて酷いことを言ってしまったんだ。

その時も後悔の念に襲われましたが
素直になれず、謝れなかったのです。


ずっと埋まらない父娘の溝

難病と判明しても
そんなすぐに私の気持ちを切り替えることは
不可能でした。

しかも過去に父がよそに女の人を作って
母を悲しませたことが
なぜかそのタイミングで私の中で再燃してしまい

猛烈に父を嫌いになっていました。

就職して社会人になった私ですが
相変わらず父に対して心を閉ざし
最低限の会話を交わす程度。

24歳でプロポーズされ、彼が挨拶に来た時
父は結婚に対して少し干渉してきたのです。

それが彼は嫌だったのだと思います。

今思えば、娘を想う父が娘の結婚にあたり
実家の近くに住んでくれたら嬉しいというのは
些細な願いだったのではと。

彼は父に対して否定的な発言をするように…

私もざわざわしたのですが
当時全身全霊で愛していた人ですから
彼の肩を持ったわけです。

結果彼とは破談になりました。

もちろん父が原因ではありません。

また別の機会に書きますが
私のこじらせ体質が原因でした。

でもまたしてもその時、私は
自分が痛みに耐え切れず
父のせいにしたのです。

お父さんのせいで彼と別れた
お父さんがあんな事言わなければ…

そうやって破断の原因を
父とすり替える事で
私は楽になる事ができました。


心は錯覚するもの


こうやって振り返るとわかるのですが
明らかに私は父に責任のない事を
父のせいにして痛みから逃れ

そして月日が経つと
それはまるで事実であったような
そんな感覚になっていきました。

本当に父が悪くて
父が私を哀しませた。

そんな風に自分の中の記憶が
すり替わってしまっていました。

この後長男を出産し、里帰りするのですが
その際にも、父との溝を埋める出来事が…

長くなったので
また次回に書きたいと思います。


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