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生きて音楽を続けたいと思えた21歳。

もうすぐ22歳。
21歳最後に何か書きたいけれど、今年は公にできないこともあって書くか迷った。
でも、等身大の私を残しておくことは大事だと思ったので、書いてみる。

少しシリアスな内容かもしれないけれど、私は別に悩んでいるわけではないので、心配しないでください😊わたし、悩まないので(`・∀・´)キリッ。
淡々と思考しているだけです。
個人的に感じたことをつらつらと書くだけなので、温かい目と心で読んでください🙇‍♀️


正直、誰もが「この人が1位で間違いないよね!」という演奏をしたわけではないのに1位をいただいた私は、その後、名前に自分自身が置いてかれちゃった。あの曲がただただ弾きたくて受けたコンクールで、私をひとり置き去りにして、周りの世界はあっという間に変わっていった。世界はどんどん、白黒になっていった。

1位をとったからといって、その瞬間勝手に1位らしくなるわけもなく、自分自身がまだ“ヴィエニアフスキコンクールで1位をとった人”になりきれていないのに、周りからはそうみられ、“ヴィエニアフスキコンクールで1位をとった人”を演じ続けた毎日だった。
いつ弾いてもどこで弾いても、ヴィエニアフスキコンクール1位という肩書きにくっついてくる歴史や伝統の重みを、背中に背負って弾かなければいけない日々に、自分でも気付かないうちに疲れを感じていた。

コンクールは受かった人、賞を獲った人に目が行きがちだけれど、そうではない人も当然いて、その方々がいないとコンクールは成立しない。順位だってつかない。そして、賞を獲った人はその方々の分までを背負って舞台に立たなければいけない。
その覚悟がある人しか、コンクールを受けてはいけないんだな、と気づいた。それは当たり前のことのようだけれど、自分勝手に生きている私はそんなこと気にしたこともなかった。そんな自分を本当に恥ずかしく思う。

本当は口が裂けても言ってはいけないことだけれど、何度、あの時1位にならなければこんなプレッシャーもなかっただろうに、と思ってしまったことか。
特に優勝者ツアー中は、「ヴィエニアフスキコンクールの1位の人が演奏する!」と世界中のたくさんの方が聴きにきてくれて、“ヴィエニアフスキコンクールの1位の人”の演奏を楽しみにしてくれていた。その重みは、私を疲れ果てさせるには十分すぎた。

ヴィエニアフスキコンクールが終わったらヴァイオリンを辞めてしまおう、と思っていた私が、確かに存在していたそんな気持ちをガン無視してヴァイオリンを弾き続け、名前だけが有名になっていく。
“ヴァイオリンを辞めたくなるほど疲れている私”なんてどっかに置き去りにして。

コンクールの結果なんて賛否両論はつきものだし、世界中のみんなが満場一致の1位なんて、ほぼないに等しいと思う。だけれどせめて、会心の出来の演奏ができて、自分だけでも納得できる1位になれていたら、どれだけ良かっただろうと思う。
この世で1番結果に納得できていないのが自分、つまり自分自身の1番のアンチになってしまった自分と付き合っていくのは、とても難しかった。1位を背負える器もないくせに、という自分自身への気持ちがぐるぐるする毎日だった。

せめて練習量だけでもと思ってひたすらやった時期、
もうどうでもいいやと思って自暴自棄になった時期、
音楽なんて所詮空気だしやっても意味なくね?と思った時期。
色々、あった。

でも、体調を崩し時間をおいて、ヴァイオリンや音楽とも離れてみて、そしたらやっぱり、私は音楽が好きだった。とてつもなく、好きだった。辞めるなんて、できなかった。

それからというもの、白黒だった私の世界が、絵本のようにあざやかになった。元々私が見ていた世界よりもさらにきらきらと。

追われる日々があまりに重すぎて、明日のことなんて考えるのも嫌で、スケジュール帳の先のページを開くのも嫌、将来はどんな音楽家になりたいですか?という質問にもうまく答えられなかった私が、こう言えるようになった。
「どんな音楽家になりたいかはわからないけれど、これからも色々経験していくであろう自分自身が、10年後、20年後に奏でる音楽に、とても興味があります。だから、生きて、音楽は、続けていたいな。」
と。

初めて、そう思えた。


いつ何があってもおかしくないこの世界で、23歳になる直前に、また等身大で文章を書けますように。音楽、できてますように。
お願い!神様!頑張るから、わたし。

いつも、本当にありがとうございます。
恩返しができるように、頑張ります。


2024年9月10日 午前2時12分

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