分かりあうこと

おはようございます。
毎朝、目が覚めた時にいろんなことが思い浮かびます。
その日によって思い浮かぶテーマが違うのですが、大体いつもすごく先の未来のことや、すごく遠い場所のこと、概念的なことなど、今の自分とは離れた時間・空間のことについて考えが巡ることが多いです。

今朝は、『分かりあう』ということについて、ふと考えました。
「なぜそんなことをするんだろう」
「なぜそんな行動をとるんだろう」
目の前の人がとる行動・言動に、今までの自分の価値観ではなぜそんなことをするのか、理由がわからないことはたびたび起こります。
きっと多くの人がそういう経験をしているのだと思います。

相手の気持ちを理解しようとしても、自分ではないから100%理解することは難しい。『なぜ』に対する答えは自分の中で結論つけたとしても、それは自分の中で答えが出ただけであって、真実かどうかはわかりません。

しかし自分の中で一つ結論づけるということも、大事なことなのかと思います。なぜなら、自分の思考・体を生きられるのは自分だけであり、真実かどうかは自分で決めることだからです。
事実・現実・真実の違いという話がありますが、実際に起こった事が事実、現象として現れたのが現実、そして自分の中にある確信が真実。
原理原則、真理という言い方など言葉の違いはあれど、そのようなイメージかと思います。

話は戻りますが、1人1人が多様なバックグラウンドを持っている中で、『分かりあう』ということは本当に難しい。だからこそ、この世の中ですごく尊い価値があるものだと思うのです。

この世界は1人で生きているわけではなく、人も動物も虫も自然も、あらゆる種が共存して生きています。その1つ1つの生まれた背景や経験してきたこと、想いに心を寄せることが、『分かりあう』ための一歩だと思います。

きっと『分かってもらえる』というだけで、心が少し救われる人はいると思います。
私の周りにも「わかってもらえない」ことで悩んだり苦しんだりしている人はいます。1人1人の根底にある幸せの土台をつくるには、「安心している」という感覚を養うことが必要だと。そのための第一歩が『分かる』ということだと思うのです。

今、私のお腹にはもうすぐ生まれる子どもがいます。
胎動が強くなってきてからは、より子どもとの結びつきを感じるようになりました。へその緒で繋がっているからでしょうか?
大体、私が落ち込んだり悩んだりしているとき、お腹をグッと蹴られたりします。「そうじゃないでしょ」とツッコミを入れてもらっている感じです。
いつもどんな場面でも「自分はどうしたいのか」ということに立ち返らせてもらっています。
そういう意味で、我が子ながら私をわかってくれる存在であり(実際には自分をわかってくれる存在をお腹の子に置き換えているだけだと思いますが)、偉大なる師匠だと思っています。笑

『分かりあう』ことが出来る人になれるよう、心を築きあげていきたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?