シナリオ書くのやめれば?

コンクールで賞獲ったことすらない奴が、自分の脚本論について語ります。

私の頭の中で脚本が生まれる瞬間は、シーンやキャラクターがふっと頭に出てきたときだ。

高校生くらいの過激なフェミニストがいたら?
裕福な周りの同級生を憎む貧困学生がいたら?
高級財布をコンクリートの道路に叩きつける瞬間って画にならん?

そういう空想から、このキャラはきっとこういう行動するだろうとか、このシーンを成り立たせる登場人物はこうだろうとか、そうやって枝葉をつけて徐々に脚本が出来てゆく。そして最終的には、「この主人公にとっての最適解は何か」というところで結末が完成する。

こういう作り方をしてるもんだから、物語作りにおいて最重要だとされている「テーマ」はかなりあとの方になって出来上がる。
しかも、主人公にとって一番良い解決策がテーマになってるんだから、私の考えとは正反対になる場合だってある。今度ヤンシナに出そうと思ってるシナリオのテーマも、私の本心とは反する。

今日はスクールで、「いつも優等生みたいな脚本ね」と言われた。

絶対褒め言葉じゃない。
要は、「綺麗にまとまってて採点しやすいけど、私の言いたいことがわからない」ってことだ。

続けて「3本に1本くらいは自分が書きたいものを書いてきたら?」とも言われた。

書きたいものって何?
言いたいことって何?

なんもない。特に思いつかん。
ていうか、私の言いたいことをそのまま書いたら、それってただのエッセイやん。

私が思うシナリオとは、「この世にいるかもしれない他人の人生の一部を書く作業」なのであって、私の言いたいことを書く場じゃない。愚痴はTwitterでぶちまけるし、キザっぽい日記書きたいときはnoteにくる。
だけど、私でない誰かに投影して主張を言わせることは、私にとってすごく難しい。

多分、私は周りの人をすごく客観的に見ている。
友達が喜んでいるのを見ても心の底から笑えないし、泣いているのを見ても多分涙が出ない。
「あっそ」くらいの気持ち。

破滅的やないか。脚本家が他人に興味ないやなんて。

だから私の書くものはなんか薄っぺらいのだ。
登場人物に感情移入しないまま神様みたいな気持ちで書いてるから、浅く、学びもなく、つまらない文章になった。

興味があるのは自分だけ。
自分が周りに注目されてるかどうか。
自分が友達に好かれてるかどうか。
自分が家族に愛されてるかどうか。
自分が異性に綺麗だと思われてるかどうか。
自分が先生に優秀だと褒められてるかどうか。

シナリオ書くのやめれば?

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