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感想「かくしごと 最終巻」

ついに……

ついにこの日がやってきました。

この日が来るのが待ち遠しかったような、怖かったような……複雑な気持ちです。

「かくしごと」最終巻を手に入れました。

大好きな漫画の最終話を読むと、いつも壮大な読後感とともに、一つの時代が確実に過ぎ去っていった事のへの寂寥感が沸き上がってきます。もう「かくしごと」の続きが読めないと思うと絶望で胸が苦しくなり、人生の大きな生きがいの一つを失った喪失感に嗚咽が漏れます。

けれどもそんなマイナスの感情を飲み込むほどの、大きな喜びもあります。大好きな漫画の最終回……つまり最も面白いであろうクライマックスのシーンに触れられる事、そして作品の隅から隅まで味わうための最後のピースを手にした事。最後の1冊を確実に楽しめる事。

「かくしごと」という作品を、どうあれ最後まで読む事が出来て、わたしは幸せでした。久米田先生、これまで希望をありがとうございました。

もう思い残すことはありません。

いや、まだ久米田先生のもう一つの連載「スタジオパルプ」の2巻がまだ発売されていないので、思い残す事はありました。

それに、久米田先生が新連載を始めたら、是非ともそちらを追っていきたい所存です。ファンとして、そこだけは見逃せませんね。

さて、そういうわけでかくしごと最終巻、語って行きたいと思います。

とりあえず、おさらいとして前巻の感想をリンクします。

以下、最終巻のネタバレ注意!

「1・2のあーしろう」

まずはいつも通りの一話完結型の日常的ギャグ回。

安心しました。最終巻でもいつも通りの回が楽しめて、最高です。

・姫ちゃん可愛い

さて、ついに姫ちゃんが反抗期っぽい事を言い出しました。

姫ちゃんも小5ですし、何もおかしな事はありません。むしろ今まで後藤パパの過保護下において、素直すぎたくらいです。

後藤パパは娘に甘いですが、娘が大事であるがゆえに危険や無茶には厳しい傾向にあります。それも行き過ぎると、過干渉になってしまうというわけです。姫ちゃんに注意をする際、すごく言葉を選んでいる風なのが微笑ましいですね。

・風のタイツアニメ化進行

反面、アニメに対しては無関心な後藤先生。自分の作品がアニメ化するとなれば飛び上がって暴走してもおかしくないはずなのに、妙に達観している風が捻くれ者の後藤先生らしくて面白いです。この辺りは久米田先生の持論でもあるようですが。

「原作者が介入するとアニメはクソ化する」

……うーん、また全方位に敵を作るような発言をしますねえ。

そういえば作中でも一度、「風のタイツ」の連載が終わる事になった(誤解)時、後藤先生は「どうせ終わるなら」と全方位に敵を作る展開を多用していましたね。

そしてこの漫画もこれで最終巻です。

作中でのネタを実践するとは……ギャグ漫画家の鑑では?

・家庭訪問

一子先生、思い出したように教師しますよね。

彼女、意外と仕事とプライベートを演じ分けるタイプみたいです。私情を持ち込まない教師の鑑ですね。好意を持っている後藤パパ相手にもきっちりと教師として振舞うその姿は魅力的です。

プライベートのストーカーみたいな真似は考慮しないものとする。

しかしこのやり取りを見ていると、このご時世親になるのも教師をやるのも大変だという事がよく分かります。後藤パパも一子先生もわりと気にしいな面が強いですが、そうならざるを得ない環境なのだとすると、なかなか大変ですね。

それはそれとして、ギャグとして面白いので良いです。遠慮してるわりに玄関先で持参したお菓子を無遠慮に頬張る一子先生がシュールでした。

・新編集長と十丸院さん

まーたやってますね、十丸院さん。おかしな噂が流れるや否や、後藤先生も副編集長も真っ先に十丸院さんを訪ねる辺り、十丸院さん無能です。なんでこの人、クビにならないんでしょうねえ……やっぱコネ入社なんですかね?

さて今回新しい編集長が登場しました。最終巻での新キャラといえば、扱いは何となくお察しですよね。

キャラとしては、前の編集長とは違ったタイプのおじさんという感じですが、やや性格がくどいです。そう考えると、前の編集長が漫画的に当たり障りの無いキャラである事がよく分かるというものですね。

新編集長と後藤先生とのアンジャッシュ的会話はまさに「かくしごと」における「いつもの」って感じで面白かったです。勘違いの結果が不快な方向に進まないのも、ストレスフリーで良いですね。

で、十丸院さんを殴って編集長降板というのは、まあ可哀想です。殴られた十丸院さんは完全に自業自得ですし、間が悪かったという風です。

新編集長は一話で終わらせるには勿体ないキャラでした。もう少し連載が続くようなら、続投だったのでしょうか? その場合の展開もちょっと気になります。

かくして、順調に「風のタイツ」アニメ化が進行するのですが……

・やっぱ姫ちゃん可愛い

冒頭でやや反抗期っぽいところを見せた姫ちゃんですが、別に後藤パパが嫌いになったわけではありません。むしろ場面の合間合間での会話から、姫ちゃんがパパとの生活を大切に思っている事がひしひしと伝わってきて、すごくハートフルでした。

「うちはお父さんが二倍口出していいと思う」

これは「口出しして欲しい」と暗に言っているようなものではないでしょうか。反抗期っぽい事を言って口出しを煩わしく思いながら同時にこんな事を言うなんて、滅茶苦茶微笑ましいです。

いい父娘でした。

・「無題(父の日についての回)」

この回から、「かくしごと」独特の雑誌風サブタイトルの表現が無くなり、全て無題になりました。これは今回を境に各エピソードが「漫画家モノ」ではなくなるという表現なのでしょうか。

そういえばこの回から「風のタイツ」のアニメ化の話が一切登場しなくなります。仮にも回を跨いでの布石のはずなのに、全放棄というのはかなり思い切ったやり方ではないでしょうか。

おそらくこれは、最終話の掲載形式が通常の連載と少々違うがゆえの措置なのではないでしょうか。

この漫画は、アニメの終了と同時期に連載が終わるという予定だったのでしょう。そして久米田先生はおそらく、そのタイミングであらゆる伏線を回収する手立てを考えていらしたのだと思います。

ただ、ここでネックなのはアニメの存在。アニメは全12話で、話の縦軸を漫画の最終回に合わせてまとめるという構成でした。

そうなると問題になってくるのは、原作とアニメ制作側とのすり合わせ。

アニメと原作は基本的に、ほぼほぼ同じ結末である事は必須でしょう。結末を合わせるためには、原作側がアニメ制作側に最終回の展開を指示しなければなりません。

察するに久米田先生はアニメ最終回の製作時点で、予定していた原作最終話の構想を他人に伝える形でアウトプットする事が出来なかったのではないでしょうか。

あるいは伏線の回収方法が、アニメでは回収しきれないほどに膨大な量の過去を振り返る必要があったのだとしたら、それもまたアニメ側での再現が不可能という事になります。

漫画というものは、連載を続けていくうちに元々定めていた最終回とは別の着地をするように変化していくものだと、他ならぬ久米田先生が仰っていました。回収されなかったりオミットされてしまった伏線は、だから変化した上での最終回でまとめて回収させるはずのものだったのではないでしょうか。

つまるところ、久米田先生はアニメ化に伴って、急遽変更版の構想をアニメ側に伝える事が出来ず、やむなく本来定めていた最終回の構想を使用し、その結果原作版でもそれを適用するしかなくなった……という事ではないでしょうか。

まとめると、

①連載開始時に決めていた最終回

②連載が進むにつれて新規に登場した伏線を回収する最終回

の二通りのうち、アニメで表現できたのが①のみだったため、原作も①に合わせた結果、②で回収するはずの伏線が放置された

という事です。

もちろん、全て証拠の無い言いがかりです。本来こんな事を追求するべきではないのかもしれませんが、「風のタイツアニメ化の件」があまりに気になるかたちで物語から姿を消してしまったので、その理由を妄想してしまいました。

厄介なファンみたいな考察をしてしまって申し訳ございません。決して他意はございません。

アニメにしろ漫画にしろ、最終回はとても良かったです。どちらかにけちをつけたいがためにこんな事を言い出したわけではないという事だけ、ここに述べておきます。お目汚し失礼しました。

さて、この話は「父の日」をテーマにした回でした。一話完結型の日常系ギャグですが、気になる伏線が一つありました。先にそこの回収をしていきましょう。

・白黒に拘る後藤先生

以前「もう何年もカラー貰ってない」と嘆いていた後藤先生でしたが、白黒への拘りがあるというのは初耳です。でも確かにあの時にしろ、「タイツ」連載終了(誤解)の時のカラーにしろ、別にカラーそのものをありがたがっている風ではありませんでした。「カラーを貰えるくらいの人気がある」というのが後藤先生にとって大事なのでしょう。

さて、お話の内容を語ります。

・父親思いな姫ちゃん

父の日にあげるプレゼントに悩む姫ちゃん、父親思いです。後藤パパからすれば何を貰ったって気持ちの方が嬉しいでしょうから大差は無いとは思いますが、姫ちゃんがそんな事を知る由もありません。

というか、相談する人選を間違えています。何故莉子ちゃんを基準にしてしまったのか。めぐろ川たんてい事務所メンバーの中でも、特に絶望少女に似た性格の莉子ちゃんは、「さよなら絶望先生」の木津千里に似た病的な「徹底さ」を持ち合わせています。原稿用紙120ページ貰った父親は、どんな顔をすればいいのやら。

思い込みの強い姫ちゃんは、莉子ちゃんを基準にしてしまったせいでハードルを下げられずに悩みます。可愛いですね。

結局物量作戦に至るのが、最高にシュールです。

・色は脳で見る

久米田先生……もとい、後藤先生の漫画的技法教室です。

……と思いきや、重要な事を言っていました。

「白黒原稿でもカラーに見せる事が出来る」

「色は脳で見る」

……のちの展開を知っていると、切ないです。

「無題(姫ちゃんお誕生日)」

先の話からですが、扉絵が滅茶苦茶悲しいです。時系列は不明ですが、姫ちゃんが不憫でなりません。

さて姫ちゃんのお誕生日会……これはアニメ11話でもありましたね。時系列的に原作の方が先という事になるのでしょう。

これまで登場してきたキャラクターのオールスターといった感じで、賑やかな回でした。

後藤プロ一同の小学生コスプレはともかく、あまりに唐突かつ行き過ぎな「漫画的」展開は、夢オチを疑うほどに適当で、かつ笑えました。最終回が近いがゆえの細部に拘らないやり方ですね。ギャグっぽくて好きです。

あまりにも賑やかで楽しそうで幸せそうで、不穏な回でした。

「無題」

・父娘二人きりの誕生会

姫ちゃんへのプレゼントがトロイメライのオルゴールというのは、アニメ側の「さよなら絶望先生」オマージュかと思いましたが、原作でもその方向性のようです。もしかすると久米田先生ご自身がトロイメライに対して特別な思い入れがあるのかもしれません。そう思うとなんか良いですね。

・後藤プロ一同での誕生会

……

…………

……………………

いや、なんで?

姫ちゃん本人がいない誕生会というのは、なかなか意味不明でシュールですね。それに付き合う一同も大概ですが、いよいよ後藤パパの子煩悩もここに極めたりといった風です。面白いです。

羅砂ちゃんのツッコミが極めて正論です。

「20歳まで(誕生会)付き合ってもらえると思ってたんだ」

「ずーずーしい」

こういう鋭いツッコミ、大好きです。羅砂ちゃんは後藤先生に対して、ちょっと娘目線で話をする事がありますよね。羅砂ちゃんは学生ですし、そのくらいの年頃への理解が深いのでしょう。良い関係です。

・つまらない漫画の真実

アニメでは回収されなかった項目の一つですね。

18歳パートで姫ちゃんが箱の中に見つけた「つまらない漫画」。もちろんあれは後藤パパの作品ですが、あの箱の中にそれを入れるという事は、すなわち自分が漫画家であるのを明かす事と同義。つまり後藤パパはいずれ、姫ちゃんに自分の仕事を明かす気があったのか……というお話。

あれの説明がつきましたね。要するに後藤パパ自身が深く考えず問題を先送りにして、そのまま意識を失ってしまったためにああなったという事です。なるほど流れを見るに自然です。

そして箱の続きの真実も明かされました。こういう風に着々と18歳パートとリンクしていくのを見ていると、いよいよ終わりが近づいてきたみたいでドキドキします。

というか、さりげなく描写されていますが、この「つまらない漫画」の執筆を断念したのって、見る限り例の海難事故が原因ですよね。

失われた幸せな家族像を思い描いた漫画ではなく、幸せな家族がいる間だけ描く事が出来た漫画だとすると、重要性がかなり違ってきます。そうなるとここで後藤先生が「描けねー」と言ったのは、ものすごく悲劇的です。

「描けない」のは漫画としてつまらないからではなく、幸せな家族の一人を失ってしまったから……

あまりに辛いです。

・志治くんと羅砂ちゃんの未来

18歳編ではこの二人の行く末も描写されていました。志治くんが漫画家を諦めて書店員になり、羅砂ちゃんが人気作家に……という未来は、二人の人生が思い通りに行っていない事を直接的に示していて、切ないです。特に志治くん、漫画に掛ける情熱は強かったのに……やはり残念です。

・18歳パート

全てが繋がりました。時系列は現代になり、これまでの描きおろしの姫ちゃんパートを加味した上で、最終話に繋がります。

ただこれ、雑誌で読んでいた人にはどういう風に映ったのでしょう。姫ちゃん18歳パートはあくまで単行本の描きおろしなので、ちょっと唐突に映ったのではないでしょうか。それとも雑誌掲載時にはちょっと違う描き方だったのでしょうか。

単行本派としては関係無いお話ですが、ちょっとだけ気になりました。

「最終話」

大きな流れとしては、アニメと同様でした。

が、かなり細かい部分が異なります。語りたいので語ります。

・奥さんについて

後藤パパの奥さんの抱える病気について判明しました。

奥さんが色盲になりかけていたから、後藤先生は白黒に拘ったのです。白黒でも他の色の表現が出来るよう、工夫する事を覚えたのです。漫画の技法にまで優しさと思いやりが溢れています。

そして家族の中で、奥さんだけが事故に巻き込まれた理由も判明しました。事故の理由や内容が明らかになって、過去の悲劇が全て開示されました。

結局、奥さんは見つかりませんでした。話としては、後藤家のお金が尽きたために捜索も打ち切りにせざるを得なくなったという結末に至ったのでしょう。なんとも言えないビターな終わり方です。

アニメにしろ原作にしろ、奥さん関係はあえてこれ以上描写していないように思えます。これ以上の描写はもう、全て蛇足という事なのかもしれませんね。

・千田ちゃんとマリオ

アニメでは千田ちゃんのフォローが無かったので、こちらで登場してくれて嬉しいです。彼女は記者という事ですが……結局後藤先生が筆を折る原因となったスキャンダルとの関連性は不明です。あまり邪推すべき部分ではないのかもしれません。

マリオは……結局この人、最後までわけわからん人のままでしたね。だんだんムキムキになっていくし……でも改蔵の「おしゃれ先生」と同一人物だとすると、このくらいの扱いが丁度良いのかもしれません。

あるいは、次回作あたりで彼の何かしらが明らかになったり……

しますかね? 分かりません。

・記憶の復活

後藤パパの復活に関しては、アニメと同じです。単行本を11巻まで読んでいた読者としては、予定調和とさえ言えましょう。

ただ、感動路線を貫いたアニメと違ってひたすらギャグっぽいのが原作でした。見開きの下ネタがひどすぎて、爆笑してしまいました。そりゃこんなん描いてたら、娘に秘密にしたくなります。下らないけど、それでもやっぱり笑ってしまうインパクトの強さは、さすがは久米田先生です。

そして思い出す姫ちゃんとの記憶は、単行本の表紙の一枚絵の様子です。どういう経緯・状況かは詳しく描かれていませんが、過去が回収されていくようで感動しました。

感動と笑いが一気に押し寄せて、勢いのままの幕でした。

ひめごと

後日談……といった感じでしょうか。改蔵で言う「大蛇足」ですね。

姫ちゃんが漫画家を目指しているというところまではアニメと同じですが、原作ではさらに一歩踏み込んだ事を言っています。

「私が父の仕事に気が付かなかった原因の一つは」

「私の方からもいっさい漫画の話をしなかったからだ」

……なるほど。

非常に関心しました。そして得心がいきました。

やたら鋭い第六感の持ち主でありながら、何故かパパの仕事に関してだけ鈍感になっていた姫ちゃんの心理は、そういう事だったんですね。

理由付けとしては、これ以上無いくらいにすっきりするものだと思います。つまるところ姫ちゃんは、ずっと昔から漫画に興味を持っていて、後藤パパに内緒で漫画を描こうと思っていたという事です。本編中の裏でも姫ちゃんのひめごとが展開されていたと考えると、すごく劇的です。もしかすると、どこかに伏線でも撒かれているかもしれませんね。

ちょっとだけ出てきた「ミハル」なる人物も遊び心がありますね。彼女は「さよなら絶望先生」の藤吉さんに瓜二つです。高校生である事を加味すれば、本当にそっくりで笑います。

・色の設計図について

これは伏線や謎というよりも、単なる答え合わせですね。なんとなくカラーコードのようなものであるという事は、話の展開上すぐに気が付く仕様ですし。

ただ、それの落とし込み方がえげつないです。

キャンパスに向かう姫ちゃんの背に、流れる音楽。

「想い出はモノクローム」

「色を点けてくれ」

アニメのエンディングテーマ「君は天然色」の歌詞の一節です。

ここに来てアニメ要素を落とし込むとは、もはや言葉が出てきません。カラーページで描かれるラストも含めて、最高の結末でした。

総評

最高以外に言う事はありません。

久米田先生特有の「最終回のどんでん返し」は、18歳パートを小出しにする事によってマイルドに仕上がっており、新感覚で楽しめました。

次回作、楽しみにしています。

最終巻の満足度:100/100

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