友人がnoteを書いていたので、それにならって私も先生の話をする。

友人のnoteを読んでいたら書きたくなった。いいものを見たら自分も作りたくなる性なのだ。そして無計画に突っ走っては失速するのがオチ。今回はどうなるかな。

私の人生で影響を受けた先生について書こうと思う。高校の美術教科担当兼、美術部の顧問について。顧問というか、実際には技術顧問と称した方が適切だと思う(部活動では「コーチ」という扱いだった)。顧問の先生は別にいるが、今回は面倒なので「顧問」で統一しよう。その先生とはLINEを交換していて今でもメッセージを送るし、なんならTwitterの絵垢もバレている。そして相互フォロー。顧問がバズったタイミングならフォローしてもわからないだろうと思ったら普通にバレた。なんか絵でわかるらしい。マジか。

このnoteも絵垢での共有を予定しているので先生の目につく、かもしれない。もし変なこと書いていたらごめんなさい先生。そう言えば高校時代に顧問のことをここで一回書いたことがあったけれど、どうぼかしてまとめれば良いのかのかわからなくて具体性のない内容になっていた。今回は解消された状態で書ける気がする。

その先生は非常勤講師だった。小柄な女性教師。うちの学校には週2回やってくる。授業で初めて会った時の印象は「声ちっちゃ」だった。かといって大人しいだけの性格でないことは、のちに交流を深めてから明らかになる。

私があそこまで交流を深めた先生はあの人だけだと思う。今後顧問以上に会話を重ねられる先生は、果たして出てくるかどうか。小中高を振り返ってみると、他の生徒のように積極的に先生と仲良くしようと思ったことはなかった。面倒臭いし、生徒と先生はある程度距離をおくべきだと思っていたし。一般的な先生の、茶番めいた明るさがあまり好きでなかったし。両親が学校職員であるから、自分の話はすぐ広まってしまうし。

内輪の噂、侮るなかれ。実際高校時代は、私が入学する数年前に母が勤務していたから顔が割れていて、入学直後には何人かの先生に「〇〇さんの娘さんでしょ」の枕詞で話しかけられた。学校で何か下手なことをすると親の知り合いの方で噂になるのだ。それは避けたいと思っていた。今思えば彼女と交流を持てたのは、顧問がそういった輪から外れたところにいたことも関係しているのかもしれない。週2回しかうちに来ない上、職員室にはほどんど寄らない。美術室の隣にある準備室を拠点としていた。職員室の彼女の机は本人が注文した教材の小包が置いてあるだけだったらしい。

顧問は私と趣味が合い、一般的な「先生」とはかけ離れた雰囲気で、学校という組織に対して反感を持っていることを臆面もなく表明していた。一言で言えばアウトロー。私は顧問が来る日を心待ちにしていた。最後の美術の授業の日(うちの文系では美術教科は二年生まで)には、
「ああ、三年生になってしまうのが嫌だなあ」
と素直に思った。娯楽の無い授業なんてただの作業だもんな。受験勉強なんて特にそうだ。

顧問は漫画好きだった。王道、名作を読んでるかと思えばマイナーな打ち切り作品を推してくることもある。『呪術廻戦』も『鬼滅の刃』も単行本を楽しみにしていて、『ダイの大冒険』もアニメ化を喜んでいたのを覚えている。『封神演義』も大好きで(「水彩絵の具を買い始めたきっかけ」とまで言っていた)、『幽遊白書』も読んでいたらしい。正直羨ましかった。90年代のジャンプ名作リアタイなんて楽しいに決まっている。その時代の空気と共に作品を楽しめるのはリアタイ世代の特権だ。後から生まれた世代は想像するしかできないから。ジャンプ名作の他に、エヴァも直撃世代だったようだ。羨ましい。

高校二年の冬休み直前に、私は顧問から『BANANA FISH』を借りて読んだ。「漫画貸そうか?」という軽い流れだったと思う。もちろん学校には漫画持ち込み禁止だけれども、それを平気で破って全巻セットで持ってきた。面白かった。無論作品もだけど、さらっと学校のルールを無視してこちらの要望を優先してくれる顧問が。他にも、高校二年の授業の自己紹介で「(呪術廻戦の)七海が推しです」と言ったり、新入生歓迎のため、ひとりで美術室の黒板に伏黒と玉犬を描いたり。めちゃめちゃ上手かった。特に玉犬(理由は後述)。大人しそうな外見に反して大胆なエピソードが多い人だった。

美術教師になるルートは主に二つ。美術教師の教師免許が取れる教育系大学への進学。もう一つは、美術教免の課程を用意している美大への進学。顧問は後者だった。学科は、デッサンで細密描写を鍛える日本画。よってデッサン力が半端でない。元々は藝大志望だったのもある。先生の仕事を両立しながら、動物画家としても活動している。ので先述の黒板アート、伏黒はもちろん玉犬の説得力も凄かった。ちなみに書き忘れたが、顧問は今でも母校で教師をしている。特定とかされたらどうしよう・・・どうかそっとして下さい。

私は中学生の頃から美大志望で、高校に入ったのも、美術部に真っ先に見学に行ったのも、
「この辺で一番、生徒の絵が上手いから」
「絵が上手くなりたいから」
「美術科のある高校は遠すぎるから」
「母から『美大出身の美術教師がいる』と聞いたから」
だった。といっても入った高校は普通科(しかも自称進学校)。それでも美術系志望者は毎年数人いて、顧問はそういった生徒のための技術指導もしていた。県内に美術予備校が存在しないのも大きい。私は顧問(ともうひとり)にデッサンを教わった。最終的に私は、彼女が卒業したのと同じ大学に進学することになる。学科は日本画でなくて油画だけれども。

娯楽なき授業はただの作業。受験勉強、とくに座学は非常に退屈で単調だった。デッサンや推薦の為の作品制作がある美大志望者でも、座学の時間はあった。割合にして8:2。
反復練習。暗記。土曜日も学校。学校と自宅を行き来するだけの生活。その二つだけで完結した世界で私が生きられたのも、顧問と会える実技練習の時間があったことが大きい。

私以外にも美術系志望者はいて、そこから仲良くなった子もいる。そして全員例外なく、顧問のことを好いていた。先述した性格に加え、面倒見の良さもある。デッサン未経験者や美術部に所属していない美術系志望者でも、突っぱねるのでなく丁寧に話を聞いていた。そして自信と、それに裏打ちされた技術力があった。
ある生徒が、「先生マジでデッサン上手いですよね」と言った。それの返答は。
「そう、私上手いから」
だった。自慢げな口調だったけれども、嫌味っぽさはない。むしろ無邪気な雰囲気さえした。その場に居合わせた私たちは微笑んだ。顧問の話で今でも思い出すのは、そういう何気ないこと。他には、堂々と「餌付け」と称して部員や美術系志望者にお菓子を配る、など。・・・カントリーマアム食べたくなってきた。

なんか先生好き好き話で終わりそうだったので、ここらで話題を変えよう。私と先生とのやりとりの中での、少しの後悔。

美術部員は例外なく、顧問とLINEを交換している。その主な目的は、個人チャットで部活動のやり取りをする為だ。事務連絡の他に、高文祭のための作品案、進捗の共有など。そこから発展して、私は先生の好きな作品の話題や創作における悩みの相談もした。けれども私のアカウントから、そのログのほとんどは消えた。スマホの機種変の際に操作をミスってログが消えたのだ。LINEなどのテキストによる情報は、人間にとって外部記憶装置の一つだ。先生とのことを思い出す確かな証拠が、私のデバイスにはカケラ程度にしか残されていない。それがすごく寂しい。多分この後悔は、数年後、数十年後により大きなものとして返ってくるだろう。一度だけ「明日の美術の授業、何校時からかわかる?」と尋ねられたあの履歴も存在しない。いつもと違って1校時から授業が入っているのに驚いていたことも。

先生と同じ美大に進学してみてどうだったか。正直に言って後悔していないと言ったら嘘になる。絵の技術は1人でも学べるのに、なぜあそこまで美大にこだわっていたのだろうと陰鬱な気分になることもある。少なくとも今のところは。他の学生と授業に対する不満が主な原因だったけれども、話していて得るものがある友人と教授たちが学科問わずいるので、その問題はひとまず落ち着いている。ちなみに「美大に行くと絵が上手くなる」と思われがちだが、実際は「絵が上手いから美大に行く」の方が正しい。美大進学までの実技の経験(と分野に対する知識)が、進学してからの動向を左右することが多い。もちろん、最後にどうなるかは本人次第である。私も頑張らないとな・・・。

そして私は今、『シャーマンキング』の同人誌を作りたいと考えている。急になんだって話だが、理由はただ一つ。
顧問に絵を寄稿してもらいたいからだ
90年代のジャンプ作品ならOKらしい。顧問との仲が急激に深まったり、漫画借りたりするきっかけになったのも、顧問がマンキン好きだと知ったからだ。私は高校三年直前の春にハマった。無印の新アニメも最近やってたし、アニメ版フラワーズも制作中だし、マイナージャンルとは言えない、はず。問題は、今度参加する予定の地方のオールジャンルイベントで、マンキンを扱っている人がいなかったことだ。果たして売れるのか。年齢層的にダメではないだろうけれども。捌くことを優先して私も好きな有名ジャンルでいこうか、それとも自分のやりたいことを優先して作ってみようか、本気で悩んでいる。サークル参加が初めてで正解がわからんので誰か教えてくれ・・・。

機会があったらそちらも記事にするかもしれない。その時はドウゾヨロシク。