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うちに子供がいない訳①

結婚したら大抵「次は子供だね」と言われる。

しかし結婚10年目を迎えた我が家にはいまだ大人の男女ふたり、そしてデカめの犬…子供はいない。



我々はいわゆる『選択子なし』だ。

いや…『ほんのり選択子なし』といったニュアンスのほうが近いかもしれない。うーん『やや選択子なし』のほうか。それはまあいいか。


なにか確固たる信念がある訳でもなく、子供が特に嫌いな訳でもなく、流れからそうなった。

その過程で、たまたま自分たちの意思に気づいていった…そんなゆるやかな顛末である。




後悔しない保証なんてない

ゆるやかとは言っても今に至るまでの長い間、子供にまつわる問題は私の中でうまく割り切れず燻り続ける重大な事柄だった。


本当に子供を持たない道で後悔しないだろうか。

次世代不在の将来はどうなるのだろうか。

次々に母になっていく周りと比べて、子育てをしていない自分は恥ずかしいのではないか。

親にならないことで積むべき経験が積めず、精神的な成長が不足するのではないか。

果たすべき役割を果たさず、社会から後ろ指を刺されるのではないか。


などなど「私たちは子供がいらない」とはっきり答えられるほど心を定めることは難しく、事あるごとにぐるぐると悩んできた。

自分の選択にだいぶ自信が持てた今でも、道で子連れの同世代と出くわしたり子供に関する話を聞いたりしたとき、なにかに責められているようで居心地が悪くなることがある。それぐらい女にとっては子供のあるなしは根強い問題なのだ。

 
ちなみに夫はどうなのかというと……驚く程なにも考えていない。超絶マイペースな彼は子供について考えること自体にまったく興味がなさそうだ。

しかしそう見えても表現していないだけかもしれないし…身近な人間とはいえ心の内は誰しもブラックボックスなので、いつまでも彼の心境が変わらない保証もない。

子供が完全に産めない状況になったタイミングで「やっぱり子供が欲しい」と言い出し夫婦関係が破綻へと向かう可能性だってある。
 

いや、子供がいたとしてもそれが原因でギスギスしてしまい離婚に至る夫婦だっているか。

だれだって人生に約束された安心なんかない。やっぱり終わってみるまで何が正解かわからぬ道なのだ。



1年間の妊活で気づいたこと

結婚して3年が経った頃だっただろうか、そろそろ私たちも子供を持たなければと思い立った。

善は急げと婦人科の門を叩き、そこから妊活がスタート。まずはタイミング法から、ということで月に一度ほど病院に通う日々が1年続いた。
 

最初の検査で驚きの結果が出た。なんと私と夫、どちらもコンディションが悪い。

私の方は頑張れば調子を改善できそうな程度だが、夫の方はすこぶる悪かった。具体的に告げられた「◯◯代男性並」という結果はちょっとここに書くのも憚られるほど。


という訳で、毎月ホルモン注射を打たれタイミング法というやつに奮闘し、生理のたびに悔しさに涙を流したりした。情報収集をし、漢方やサプリなど民間療法にも手を出し、やれることはすべてやった。


それでも残酷にも結果は出ず、あっという間に迎えてしまった1年後。こんなに妊娠ってできないものだったのかと思い知った。

そのタイミングで再び夫の検査をしてみたところ、愕然。なんと初回よりも状況は悪化していたのだ。


その結果を告げられたときのことを、数年経った今でもなんとなく覚えている。

これまでの努力が実らなかったショックに気が遠くなるような感覚………を上回る、胸を覆っていた雲がパーっと晴れていくような清々しさ

思えば、これが明確な私の気持ちだった。


「本格的な不妊治療に進みますか?」と尋ねる医師に向かって私の口は「いえ!大丈夫です!」と朗らかに答え、颯爽と病院を後にする。

やれるところまではやった!解放された!!

そんな気分だった。そういえば私、子供が欲しいと感じたことが人生で一度もなかったのである。



それまで知らなかった本当の自分

従順な長女、そして長男の嫁であるという謎の生真面目さと責任感。「親達に孫の顔を見せなければ」その一心だったことに、そのとき初めて気がつくこととなった。

その後たった一度だけ義母に不妊治療を勧められたことがある。「我が子を手に抱きたいと思うのであれば…」と私の中に眠るはずの母性を扇動されながらも「まったく思わん」とはっきり感じた。

あなたの人生だから後悔しないように、と両肩を持ってもらったとき「それなら他にやりたいことが山ほどあるが」と思ってしまった。


子供は苦手ではない。しかし、特に好きでもない。親に、特に自身が母親になりたいという感覚が体中どこを探しても見当たらないのだ。自分がそういうタイプの人間だということを私自身もそれまで知らなかった。

…というと「自分の子を産んだら変わるよ〜」と諭されそうだが、もし変わらなかった場合にその人が責任を取ってくれることはないだろう。

妊活にあたって乗り気でない夫を私が責めたりすることで小さな諍いも増えていたが、もともとは二人だけでも笑いの絶えない家庭だったのだ。元々いない存在に淋しさを感じることもなく、必要性も感じられない。


 

子供を持たないという経験

子供を持たない道を選んだ今でも、本当にこれでいいのかなと思うことはある。

脈々と続いてきた家系図の末端にアンカーとして自分たちが立ち尽くしている様を想像し、ご先祖様に申し訳なくなることもある。


しかしこの人生はご先祖様のものでも親達のものでもない。たった1回与えられた、自分の人生。


この選択が正解だったのか間違っていたのか、この先どうなるのかは誰にもわからない。

でも、子育てを経験する人と同じように、子育てをしない経験を私達はしていける。母になるか、ならないか。女の道は明確に別れていて、その両方を経験することはできないのだ。

産まないのならば、産まない人生を充実させる機会を与えられたと捉えたっていい。産むのはまた来世だっていいじゃないか。


今どちらか迷っている人には、悔いのないようとことん考えて考え抜いて、どうか自分が笑顔でいられるような選択をしてほしい。

 



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